前代未聞の交渉 1
地下室独特の、じめじめとした空気。固い石の床とベッド。その上に置かれた向こう側が見えそうなほど薄い布の塊。そして、鼻をつくカビとほこりが混ざった匂いに、レリアは眉間に皺を寄せる。
「いつまでこんなところにいればいいのでしょうか。訓練では1ヶ月ほどしか耐えたことがありませんが」
「レリアはこういう場所が苦手だな。」
「はい。組織での訓練の時は、耐え切れなくなって鍵を破壊してしまいました。だからそれ以上の続行は不可能だったんですよね」
「……聞いたことはある。」
鉄でできたフェンスを挟んで、レリアの隣の部屋で石畳のベッドに座っているのはジスランである。レリアとジスランの二人は、不慮の事故によりバロー公爵家のものと思われる別荘の地下室に閉じ込められていた。
レリアは、粗末なテーブルに置かれた簡単な食事に視線を移す。
(ここに来てからそろそろ一日ですね。水も食料も提供してくれていますから、一応人質としての扱いのようですが……こちらの陣営の様子を偵察できないのなら、そろそろ脱走するのもいいかもしれません)
そうして、こうなった経緯を回想する。はじまりは、一日前のことだった。
三日前、王太子選の二次投票を無事に勝ち抜いたウィリアム陣営は、領地へ帰ることを決めた。翌日からすぐに準備を始め、いよいよ午後には出発、となった昨日の朝。ジスランがバロー公爵家絡みのものと思われる『呪いの紙』を見つけてきた。
それは、前回のように屋敷の壁に貼られていたわけではなく、普通に手紙として届けられたものだった。
差出人は王都でも有名な金融ブローカー。内容自体は、何の変哲もないよくある『エルランジェ公へ投資の誘いをするダイレクトメール』だったのだが、ジスランは微細な差異をキャッチし、レリアのところに持ってきた。
ちょうどウィリアムが領地へ立つ直前で忙しそうだったのもあり、レリアとジスランは独断でこの手紙を追うことを決定し、ウィリアムのことはマリアンヌとイヴに任せてエルランジェ公爵家のタウンハウスを留守にしたのだった。
(その時は、少し様子を探ったら帰るつもりだったのですが)
手紙は本当にただのダイレクトメールにすぎず、金融ブローカーが運営する特別サロンへの案内と地図が描かれていた。この手紙の目的は、紙自体を届けて呪いを入り込ませることが目的なのはわかっていたが、レリアはジスランの助言を得てそれを逆手に取ることにした。
向こうも、数多送られてくるダイレクトメールに紛れ込ませるのを狙っている。その中で想定外であろう行動――実際に特別サロンに乗り込んでみることにしたのだ。
(すぐにジスランと二人で特別サロンを訪ねましたが、普通の顧客ばかりでした。ヒントになりそうなものも見当たらず、あてが外れて帰ろうかと思っていたとき、オーナーと思われる男性に呼び止められ、別室へと連れて行かれました。そこで薬品を嗅がされた後、この通りです)
もちろん、死角から薬品を嗅がされても息を止めて実際に吸い込むのは防いだ。気絶するふりをしたのは、当然ここに入り込むためである。
(決戦投票を残した今、犯人がバロー公爵家以外にあり得ないのは、前回のことを踏まえても明らかです。もしあからさまな妨害をしたという証拠があれば、こちらが有利になります。前回、ガルシア侯がうちにしたことの応用です。私たちは不正はしていませんが)
昨日起きたことを回想し終えたレリアは、ジスランに問いかける。
「敵は私たちを殺そうとはせずこうして捕らえているだけです。つまり、対話をしたい方がいらっしゃるのですよね? まだでしょうか? カビ臭くて、暗いのはなんだか苦手で」
「いつ交渉相手が来るのかはわからない。でもレリアの推測は当たっていると思う。おそらく、そろそろ誰か上の人間がここへ来るはずだ」
そんな会話をしていると、遠くでガシャンと鉄扉が開いた音がした。この部屋へと続く扉だ、と認識し、二人は目で合図をする。その後で、コツコツという靴の音が聞こえた。それはレリアたちの部屋の前まで来て止まった。
「……君たち。なぜこんなところに」
「あら。やはりあなた様でしたか」
レリアはおっとりと笑う。
驚愕の表情でこちらを見つめているのは、セス・バローだった。
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