好都合な噂 1
それから数日が経った。
二次投票の日まで一ヵ月を切った。ウィリアムは票集めに奔走していて、ほとんど屋敷にいない。外出時には防御に特化したジスランに加えチームの誰かが必ず同行し、残った二人は屋敷周りの警備を固めたり、情報収集したりというような日々が続いている。
その日の朝、レリアは珍しくウィリアムと顔を合わせた。廊下の向こうから主人が歩いてくることに気がついたレリアは声をかける。
「ウィリアム様、おはようございます」
「ああ、おはよう」
なんとなくやりとりがぎこちない気がするのは、気のせいではないと思う。
この前、ウィリアムに祝福の内容を聞かされた日。ウィリアムに人の感情とは理屈ではないと言われてしまい、それが自分への感情にもかかるのだと知らされてから、いまいち普通には接することができないでいる。
(ウィリアム様って女性の趣味が変わっているのかしら……と考えるのは何度目になるでしょうか?)
失礼なことを考えながらレリアはウィリアムをじっと見つめる。一方ウィリアムもそれはよくわかっているようで、なんとなく余所余所しい。
「ウィリアム様、今日はグレゴリオ侯爵家へいらっしゃるのでしょうか?」
「そうだ。あそこは教会を統べる一大勢力だ。一次投票では、君がユノ荒野で邪神を倒したことをきっかけにうちの味方についてくれていた。だが、念のため関係を強固にしておかないといけない」
「あの家を味方に引き入れたいと考える陣営は多いです。賢明なご判断かと」
レリアが答えて会話は止まる。タウンハウスの廊下には静けさが戻った。窓の外からは小鳥の声が聞こえ、朝の光が差し込んでくる、爽やかな朝だ。
「……先日のことだが」
ウィリアムが、先日の私室での会話について言及しようとしたところで、遠くから焦ったような騒がしい足音が聞こえてきた。
「……?」
(これはイヴの足音ですね)
何があったのか、とそちらへ視線を向けると、丸めた新聞を握りしめたイヴがこちらへ走り寄ってくる。
「レリア、大変だ!」
「どうしたのでしょう? 廊下を走ると危ないですよ」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃない! これを見ろ!」
イヴはそう言うと手にしていた新聞を開こうとした。
そこで初めて、イヴはレリアの隣にウィリアムがいることに気がついたらしい。一瞬だけためらうような素振りを見せたものの、それを見たウィリアムが眉間に皺を寄せる。
「何が書いてある? いいから見せろ」
「うっ。……はい」
見せてもいいのか迷っていたイヴは、ウィリアムにはっきりと命令されたことで諦めたらしい。手にしていた新聞を広げて見せた。
「これは」
そこには、エルランジェ公爵に関する醜聞が書かれていた。
――"ウィリアム・エルランジェ公爵に隠し子疑惑? ガルシア侯爵の娘とのあいだに子供がいながら、元妻と再婚!”
センセーショナルな見出しにレリアは目を見開いた。
「なんですかこれ」
「今日の朝刊だよ。昨夜から噂はあって、張ってたんだけど案の定だ」
そこまで聞いたところで、ウィリアムがイヴから新聞を取り上げた。
「……やられた」
くしゃりと紙を握る音がする。彼の表情は忌々しげに歪み、瞳には憎悪が浮かんでいた。その悪態がなんのことを指しているのか、レリアにもすぐにわかった。
「これはガルシア侯爵からの王太子選への妨害ですね?」
「そうだ。俺への支持が予想外に広がっているから、醜聞で潰そうとしてきたんだろう」
胸にすっと落ちた。
(ガルシア侯爵はお嬢様であるキャサリン様を大切にしていらっしゃる様子でした。明確に敵対する立場になったのも、ウィリアム様がキャサリン様を受け入れなかったからです。その大切なキャサリン様を巻き込んでまで、ウィリアム様の評判を下げようとする。なりふり構わないところが恐ろしいですね。)
そもそも、キャサリンの妊娠は彼女の虚言のはずだ。ウィリアムは彼女にエスコート以外で手を触れたことは一度たりともないと言っているし、普段の様子を見ていればその言葉に嘘がないというのはわかる。
また、別の角度からもそれは確定していた。イヴはキャサリンの主治医にも探りを入れている。ガルシア侯爵家から主治医に不自然な金銭の受け渡しがあることから、主治医もこの工作に一役買っているというのは、予想の範囲だった。
それに、社交界に出入りする貴族たちも馬鹿ではない。本来は隠し子がどうとかいうそんな噂が聞こえてきても、実際に存在するウィリアム・エルランジェやキャサリン・ガルシアという人物を見て判断する。
その意味で、王太子選の身辺調査においてウィリアムのレリアとの再婚は間違いなく有効だった。代替わり以降、ウィリアムの評判は極めて高く、一方でキャサリンがずっと付き纏っているというのは周知の事実だったからだ。
(ですが、新聞が記事にしたとなると話は別です。ある程度真実性が高いと思われますから。それに、新聞を読む層には社交界に直接触れられない人も多い。となると、歪んだ真実が広まっていく可能性が……)
にわかに危機感が高まる。そこへ遅れてマリアンヌが駆けつけた。
「まずいわよ、街にも噂が広がっているわ。ユノ荒野の件と一次投票の演説の内容が新聞で報じられたことで、ウィリアム様の評判は急上昇中だったのに。これじゃあ振り出しに戻るどころか、マイナスにだってなり得る!」
忌々しげな表情で新聞を見つめていたウィリアムは、緊張感に満ちた瞳で言うのだった。
「とにかく、すぐにグレゴリオ侯爵家へ向かう。まだ記事が出てから間もない。当主本人の耳にこの醜聞が届く前に説明できれば幾分印象が違う。そもそもこれは仕組まれたものだからな」
「私もお供しますわ。それに私がいたほうが都合が良いでしょう」
険しい表情で進むウィリアムをレリアは足早に追いかけた。
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