キャサリンの父
第一回の投票は、仕切り直して午後三時から行われることになった。
当主が殺されたドラード伯爵家は長男が代理で投票するらしい。
(こんなときの規定が定められているのも、参加者全員に危険が伴う王太子選らしいですね)
候補者の間に戻ったレリアは、血の跡が拭き取られた石階段を見つめて十字を切った。凄惨な事件が起きたばかりの候補者の間は不自然なほどにしんとしていて、参加者の緊張と恐怖で埋め尽くされている。
それもそうだ。候補者にはこの国でも有数の護衛たちがついているが、投票権を持つ貴族たちは身一つでここにいるのだから。自身が強力な魔力の使い手や最強の軍人でない限り、ここでは身を守る術はない。
(にもかかわらず、王太子選での投票権を行使することが、この国の貴族の義務でもあります。どんなに恐ろしくても王太子選から逃げることはできません)
そんなことを考えていると、目の前を見覚えがある男が横切っていくのに気がついた。
「ガルシア侯?」
レリアは声に出さなかったが、ウィリアムがその男に呼びかける。男は意地の悪い笑みを浮かべ、ニヤリと笑った。
「おや、王太子候補のウィリアム・エルランジェ殿。午前中の騒ぎは災難でしたな。お怪我がなくて何よりです」
「その格好は?」
敵陣に回ったガルシア侯の挑発には応じず、ウィリアムは彼の全身を一瞥する。
彼は王太子選用の白い任務服を着ていた。それは、レリアたちが着ているものよりも大分軍服らしいデザインで、彼によく似合っている。自ずと、目の前のオーバン・ガルシアが軍部を掌握する存在だということを思い出す。
(午前中、彼は護衛としてここにいなかったはずです)
負傷や配置の都合により人員に変更があることは少なくない。けれど、情報をよく握っているはずのイヴからも報告はなかったため、不意をつかれたような形になったのは事実だ。
(てっきり、軍部の大物でありながら護衛任務には参加せず、票集めだけに関わり最終的に全ての黒幕となる、キングメーカーのような立ち位置を選ぶのだと思っていました)
レリアたちが意表をつかれているのだと理解したガルシア侯は、ますます勝利の笑みを浮かべる。
「考えを改めたんだよ。票集めの他に、目障りな候補者を消す手段をとるのもありだとね」
「……なるほど、面白い」
機会さえあればエルランジェ公爵家を直接潰したいという挑発に、ウィリアムは挑戦的な笑みを浮かべて続けた。
「だが、そううまくはいかないんじゃないか。こちらには頭抜けて優秀な護衛がついているからな」
その言葉で、ガルシア侯はやっと護衛の中にレリアがいることに気がついたようだった。こちらを見てわかりやすく驚愕の表情を浮かべる。
「……なぜ、この馬鹿な女がここに」
「それに似たやりとり、もう今日二回目なんです。できれば遠慮したいですね」
「は?」
ため息をついたレリアに、ガルシア侯は心底意味がわからないという表情を向けてくる。それを見たウィリアムは苦笑を浮かべるのだった。
「彼女を馬鹿な女だと思っていられるうちはまだ幸せだ。じきに恐ろしさを知ることになる」
「外聞が悪すぎませんか、ウィリアム様……⁉︎」
ちょっとそれは聞き捨てならない、とレリアは夫の顔を覗き込んだが、ウィリアムはただ満足げだった。
自分を自慢するような表情を見て口を噤む。君を軽んじられたくない、と繰り返す声音を思いだして、わずかに呼吸が早くなる。
ちょうどそこで開始五分前を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「まぁいい。じきに、自分の判断を後悔することになる」
ガルシア侯はレリアを一瞥して去っていった。
◇
その後、候補者の演説が行われた。
午前中の事件の影響で候補者たちは萎縮しているかと思えば意外とそうでもなく、王太子候補の器とそれぞれの家で認められただけあって、全員の演説が堂々としたものだった。
当然、ウィリアムもそつなくこなしたばかりか拍手喝采を受けていた。
演説が終わるとそのまま投票が始まる。
本来は休憩時間を挟むのが伝統的なやり方なのだが、午前中の事件により今日はこれ以上の時間が無いらしい。第一次は無記名式の投票で、配布される紙二枚のそれぞれにふさわしいと思う候補者の名前を書いていく。
(この投票では候補者が半分に絞られます)
候補者の間に響く万年筆の音を聞きながら、候補者たちは候補者の間を退出する。ジスランと並んで歩くウィリアムの背中を見ながら、レリアは息を吐くのだった。
「とりあえず、当面の山場が終わりましたね」
「思ったより重労働よね。なりふり構わず容赦ないって聞いてたけど本当だったわ」
「ジスランやレリアの活躍もすごかったけど、俺は何気に、物理魔法で壁の崩壊を防いだマリアンヌが今日のMVPなんじゃないかと思う」
「得意とする魔法の種類のせいで脳筋って言われるのが癪だったけど……今日は役に立てた実感あった。私えらい」
マリアンヌとイヴのほのぼのとした会話を聞きながら、少しだけ肩の荷が降りた気がする。
この後開票が行われ、それぞれに結果が届けられることになる。
開票結果は、控えの間に下がってから二時間ほどで届いた。
王国庁の選挙管理委員から第一回投票結果が書かれたカードを受け取ったウィリアムは、一瞬カードを見つめた後で封を切った。それから顔色を変えずにカードの中身を見せてくる。
「通過だ」
「! おめでとうございます」
会場内の空気でなんとなくわかってはいたが、実際に結果が出てレリアたちも安堵する。お互いの今日の健闘を称え合っていると、ウィリアムは「ありがとう」と皆にお礼を伝えた上でカードに視線を戻した。
「うちのほかは、バロー公爵家、ルモワーヌ公爵家、リュミエール公爵家が通過のようだ」
「バロー公爵家は現在の国王陛下を輩出した家で、ルモワーヌ公爵家は前国王陛下のご出身。リュミエール公爵家はガルシア侯爵家が味方についた家か。まぁ、順当な結果だね。実際、この三候補が一次を通過するのは既定路線だった。四枠目に滑り込めたのは、やはりウィリアム様のスピーチがあったからではと」
イヴの分析を聞きつつ、レリアはウィリアムに問いかける。
「私たちを支援してくださるというグレゴリオ侯爵家には、根回しをされたのですよね?」
「一応挨拶はしてあった。だが、清廉潔白で不正が嫌いな一族と聞いている。踏まえて、極端な接近はしていない」
「そのような方々でしたら、今の対応が正解ですね。歴史上も、同じように支援者とほとんど接触なく大きな組織票を獲得することに成功した候補者もいましたし」
やはりウィリアムは優秀なようで、自分たちは護衛だけしていればいいことがわかった。となれば、次の目標は見えてくるのだった。レリアは夫の顔を見上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ウィリアム様、この後は国王陛下主催の簡単な祝賀会があるという話ですよね? 馬鹿な妻と護衛の妻、どちらの同行をお好みでしょうか?」




