アルトワ家の憂鬱 2
ヘクターは唇を噛むばかりだ。けれど、ヘクターも馬鹿ではない。何とかして妹を探し呼び戻してもらうのが最善の策だとわかっている。
だから状況を打破するため動きたいのだが、両親にレリアの話をすると途端に機嫌が悪くなってしまうのが厄介だった。
母は『あの女の娘を呼び戻すなんて信じられない。私は自分を傷つけた女の娘に最低限の教育は与えたのに、これ以上を望むの?』と泣き、時には『ヘクター。あなたもお父さんと同じであの女に惹かれるのね』と詰ってくる。
一方の父は、自分自身が祝福を持たないことと、第二夫人の娘を正妻に育てさせたことの両方に負い目があるらしく、母の前ではダンマリを決め込んでしまう。そして、こんな風に二人になった時を狙ってヘクターを叱るのだ。
恨めしい思いで父親を見つめると、彼は話題を変えた。
「だがこんな状況下でも、我が家に特別な護衛任務の話が持ち込まれた。これまでの輝かしい功績を評価されてのものだ。感謝し、心して臨まねばなるまい」
「……王太子選の護衛任務の件ですね」
これは、最近のヘクターにとってさらなる悩みの種だった。けれど、父親はそんなことはまるで心配していない。期待を込めた眼差しを向けてくる。
「お前が祝福持ちだと皆が信じているんだ。いいか、期待を裏切るんじゃないぞ?」
「ち、父上。確かに、私は学生時代に優秀な成績を納めました。王立騎士団での貴族部隊に勤めた経験もあり、そこでも高く評価されてきました」
「さすがアルトワ家の跡取りだな。……だが、なぜここでその話題を持ち出す? 何が問題だ?」
明らかに答えをわかっているのに、完全にはぐらかしている父からの問いに、ヘクターはまた唇を噛む。
「その……私が受けてきた評価は、祝福を温存した上でこれだけの能力があるのだからすごい、というものです。つまり、仮に祝福がないと知られてしまえば、私など塵芥にすぎません」
ヘクターはアルトワ侯爵家の期待に応えるため、王立騎士団に勤めたことがある。そこでの経験は、自分の無力さと現実を思い知るのに十分すぎた。
ヘクターは確かに高い評価を受けたが、それは『あいつは【祝福】が使えるらしい。にもかかわらず、周囲に手の内を秘すため使わないのだとか』という前提でのもの。アルトワ家による誇張した宣伝がなければ、その他大勢と同じなのだ。
そのことをいまいち理解しておらず、息子が優秀だと疑わない父親は、心底不思議そうにしている。
「何を言うんだ? お前は優秀な子だ」
「……っ」
猫撫で声で頬を撫でようとする父親の手を、ヘクターは軽く振り払った。
「王立騎士団の中で本当に優秀な者には、王国庁の専門部隊への誘いがあるそうです。しかし、私は入隊を勧められませんでした。だが、同期で一番優秀な男はある日突然いなくなった。彼のその後は知りませんが、彼の痕跡が完全に消されていることを考えると、王国庁に引き抜かれて出世したことは明らかです」
「ふん。あの男は男爵家の三男だろう? お前とは背負っているものが天と地ほどの差だ。王国庁だって引き抜きやすかったんだろう。いなくなっても誰も困らない」
「ですが父上……!」
ヘクターは騎士団を経験していない父親と違い、自分の実力がどれほどのものか知っている。
このまま王太子選の護衛任務に就いたとしても、王国庁の専門部隊に配属されるような化け物とまともにやりあえるはずがない。そのことを誰よりも実感しているのだ。
しかし、プライドばかり高い父親はそれ以上の発言を許さなかった。一度は息子に振り払われた手をもう一度頬にあて、冷笑を浮かべる。
「いいか? 護衛任務の辞退は絶対に許さないぞ。勝手にそんなことをしてみろ。六年前の真実を母親に明かしてやる」
「父上⁉︎ なぜそれを……っ」
ヘクターの問いには答えが返ってこない。焦りと恐怖に硬直するヘクターを置いて、アルトワ侯は部屋を出て行ってしまったのだった。部屋に残されたヘクターは髪をくしゃくしゃと掻き乱す。
(くそ……どうしたらいいんだ)
六年前。家族全員が自分の味方をしてくれて、兄の暴挙を訴えるレリアの言葉には耳を貸さなかったことを思い出す。皆が自分の無実を信じたのだ、とヘクターはたかを括っていたが、今の父親の発言によると実際にはそうではなかったらしい。
そんなことにすら気づかず、暢気に過ごしてきた自分が愚かに思えて、足が震える。
(父上は全部わかっていて、レリアを追い出した。そして今、六年前の真実を盾に私を脅そうとしている。これを母上に知られたらどうなるか……)
ヘクターの母は潔癖なところがある。
だからこそ、夫の第二夫人の子であるレリアを汚らわしく思い冷遇したにも関わらず、教育だけは与えた。教養のない『自分と同じ家名を名乗る子』が許せなかったのだろう。
思い通りにならないと暴れるのも潔癖なせいだ。子供の頃は何度も打たれた。父親は助けてくれず、外へ出かけていくばかり。
幼い頃からそんな姿を見てきたヘクターは、母を落胆させないことを最優先に考えるようになった。父は母に頭が上がらないし、味方でもない。
だから、母の心が『品行方正で優秀な長男』の自分から離れたらどうなるか。
半分だけ血が繋がった、母にとって憎い女の娘に手を出そうとしたことを知られたらどうなるのか。想像しただけでも恐ろしい。
(あれは、本当に魔が差しただけだったんだ……)
そういえば家族は信じるに違いない。信じることこそが、アルトワ侯爵家を守るただ一つの手段だからだ。それでもきっと、この家の内部はめちゃくちゃになるだろう。
この国では、長子が家督を継ぐことが絶対ではない。それを考えると、アルトワ家の後継という自分の立場が危なくなる可能性すらある。ヘクターは唇を噛んだ。
「レリアさえ戻ってくれれば全ては解決するんだ。そうすれば、アルトワ家の評判は元に戻るし、私に祝福を持つ子が生まれれば弟に家督を奪われることもない」
そこへ、部屋の扉がノックされ、末の妹アデライドが顔を出した。十六歳になったばかりの彼女は数年前に社交界デビューを果たし、最近では結婚相手を探すために盛んに夜会やお茶会に顔を出している。
ヘクターから見ると、何のプレッシャーも背負わない気楽な妹である。母も妹には甘い。アデライドは今日もどこかの屋敷帰りらしく、美しく着飾っていた。
「ねえ、お兄様。今お茶会で聞いてきたのだけれど」
「何だ。悪いが、今は女どものくだらない話に付き合っている暇はないんだ」
冷や汗が引かず苛立ちを隠せないヘクターに、アデライドは意味深な笑みを浮かべる。
「ふうん。“レリアお姉様”の噂話でも?」
「レリアの?」
顔色を変えたヘクターを見ても、末妹はつまらなそうに告げるのだった。
「そう。ずっと姿を眩ませていたレリアですけれど、急に現れて再婚するらしいって噂になっていますわ」
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