旦那様に仕掛けられた罠 5
そこを押すと、壁が奥へと動く。半歩分ほど奥へと動いた壁は、そのまま右にスライドした。また壁が現れる。
その壁にはこの書斎と同じ壁紙が使われていたが、一点だけ違うところがあった。中央に魔法鍵の鍵穴があるのだ。
魔法鍵とは、その名の通り魔力や魔法の定義を使った鍵のことを指す。構築がかなり難しく宮廷魔法師に依頼しないと構築できないレベルの技術のため、普通の場所には設置されない。
もしあるとすれば、王宮の中や上位貴族の宝物庫などだろう。そして、魔力そのものを鍵とすることはめったにない。その人間が死んだら、その魔力で施錠された場所は、永遠に開かずの部屋になってしまうからだ。
この奥にある隠し部屋もまた、魔力ではなく魔法定義を使ったものに違いないだろう。
「おそらく、この魔法鍵の鍵穴に一致するのはウィリアム様ではなく、宮廷の偉い人に依頼して作らせた先代公爵の魔法定義でしょうね、エルランジェ公爵家の力なら可能です」
その魔法定義を知らなければ、この扉を開けることはできない。
(使うしかないですね)
けれど、察したレリアは躊躇することなく【祝福】を顕現させた。魔力を解き放てば、薄暗かった視界に闇が広がる。そこに浮かぶ光の粒はまるで星のよう。
レリアはそこへ手を伸ばすと、星を掴むように軽く手を握った。浮遊するような不思議な感覚の中で、指先に集まった星が細かな砂の粒となって闇の中へとまた流れ出していく。
それは、いつ見ても夢のような世界だ。指先からきらきらと流れ出た砂の粒は、この扉を守っている呪文を魔法定義として可視化した。レリアはそれを読み上げる。
「……ヴァレンタイン・エルランジェ。銀の鍵、真実の意志、閉ざされし道……漆黒の扉……」
人が魔法を学ぶ際、すべての基礎となる初級魔法から知ることになる。その呪文はシンプルで明快。魔力を持つものなら誰でもその呪文を言えば魔法が行使できる類のものだ。
その先、中級魔法になると呪文が難しくなる。基礎となる呪文を元にして定義を入れ替え、望む魔法が発動するように独自に構成するのだ。
この辺りになると、魔力を持っているからと言って、覚えた呪文を言えば必ず魔法が発動するわけではない。条件に合った言葉を選ばなくてはいけないので、才能が関係してくるようになる。
そして、上級魔法になると魔法構成の全てを自分で構築し、呪文化することになる。危険な魔法が多いため、呪文自体に隠蔽がかけられていることも多い。いわば芸術の域だ。
レリアたち組織の人間は全員がここまで到達してやっと一人前として認められ、任務に就くことができる。けれど、レリアがもつ祝福を使えば、この魔法定義を可視化し、書き換えることができる。
たとえば、戦闘時に絶対的に不利な状況に置かれたとしても、相手の魔法構成を読んで発動する前に書き換えてしまえばいいだけのことだ。だから、魔法が得意な相手ほどレリアの祝福の内容を知って驚愕する。打てる手がなにもないとわかるからだ。
(圧倒的な魔力差や手数に差がない限り、なんとかできるはずだったのですけれどね……読み解いている時間すらもらえない場面では使えない能力です)
レリアは、少し前に封印しそこねた偽聖女――邪神のなりそこない、を思い出して遠い目をした。いけない。こんな関係ないことを思い出している場合ではなかった。慌てて思考を切り替え、目の前の光の粒に指を伸ばす。
時間がゆっくりと過ぎていくような、鈍い感覚に意識が持っていかれそうになる。けれど飲み込まれてはいけない。
レリアがこの祝福を使っているとき、レリアが呪文の解読と書き換えに要した時間の十分の一ほどしか経っていない。
これはこれで他に使い道がある能力でもあった。だから、レリアが持つ祝福は特異なものとして認識されているのだ。
(純白の鍵、開け放たれし花園……っと)
元の定義を白い指で書き換え、最後に人差し指と親指を軽く擦り合わせる。トン、と音がして、レリアの視界から闇が消え、薄暗い室内に戻った。同時に隠し扉に衝撃が走る。
ガコン、と音がして、扉は扉ごと枠から外れ、そのまま奥へと倒れていく。
「……あっ」
(魔法構成を軽く触って解錠するだけのはずでしたが、うっかり扉ごと破壊を……!)
レリアのうっかり漏れた声に合わせて、扉がものすごい音を立てて倒れた。最近、馬鹿を演じていたせいかもしれない。任務のための馬鹿のふりは、ここのところネタ切れしてきてしまって、ただ大雑把な公爵夫人になってしまっている自覚はあった。
「仕方がないです。ウィリアム・エルランジェには後で謝りましょうか」
馬鹿っぽいエピソードが一つできてよかった、と安堵しながら、レリアは扉を踏んで奥の部屋に入った。その途端、「ぷぎゃっ」と小さな悲鳴がした。足の下からだった。




