27.キャサリンの企み
ウィリアムの愛人()視点です。
◇
「はぁ。疲れてしまったわ。温かい飲み物と、お菓子をくれる?」
「かしこまりました。お飲み物はハーブティーにしましょう。少々お待ちくださいませ」
身重ということが判明したばかりのキャサリンの体を気遣い、家政婦長が笑顔で下がろうとする。その腕を掴み、キャサリンは首を振ってにっこりと微笑んだ。
「この前、私のために人気の紅茶を取り寄せてくれたでしょう? あれが飲みたいわ。オレンジを漬け込んだブランデーを垂らして持ってきてちょうだい?」
「ですが、キャサリン様……妊娠されていらっしゃるのでは。お紅茶もブランデーも、どちらもお子に障ります」
キャサリンのお腹に一瞬視線をやった後、目を泳がせるエルランジェ公爵家の家政婦長に、キャサリンはふうとため息をついてみせる。
「いいから、早く持ってきて? あなたは私たち――ガルシア侯であるお父様が言う通りにしていればいいのよ。悪いようにはしないんだから、早く」
「か……かしこまりました」
愛想笑いを浮かべ、逃げるようにして部屋を出ていく彼女を見送った後、キャサリンは愛用のソファにもたれかかった。
(……ウィリアムの元妻。本当に邪魔だわ)
キャサリンが大好きなピンクと白で統一された特別な部屋。この部屋は、エルランジェ公爵家の中に十年ほど前に作らせたものだ。
ウィリアムの前妻が出て行ってからは、一階のサロンも同じインテリアにしてもらった。キャサリンにとっては、ウィリアムの愛を手にした勝利の証そのものだった。
この屋敷はキャサリンの家ではないが、絶大な権力を誇る父親の力を借りれば大体のことは思い通りになる。だから、前妻さえいなくなってしまえば、幼い頃から思いを寄せ続けたウィリアムと結婚できるはずだったのだ。
この部屋とサロンのインテリアを合わせたのは、そんな自分の覚悟をウィリアムに示し、彼に結婚の決心をさせるため――だったのだが。
キャサリンは、怒りに任せてソファのクッションをボスッと殴る。
「あと少しだったのに、なんなのよ、あの女!」
三年前。ウィリアムの前妻、レリアがこの屋敷を去った後。てっきり、キャサリンは次に自分がウィリアムと結婚できるものと思い込んでいた。
当時、ウィリアムとレリアの結婚は、王家筋から持ち込まれたもので、王命に近かった。だから彼に縁談が持ち込まれたとき、キャサリンは絶望し、何も知らずに無垢そうな顔をしてウィリアムを掻っ攫ったレリアにひどく腹を立てたものだ。
しかし王命でやってきた想い人の妻となる女は、とんでもなく馬鹿だった。
公爵夫人としての務めを果たせないばかりか、会話もまともに成り立たず、いびり尽くそうと思っていたキャサリンは、ある意味度肝を抜かれた。
エルランジェ公爵家は名門の一つ。ウィリアムは将来、王太子選に出て国で最も高貴な人になる可能性がある。だからこんな馬鹿な女はすぐに離縁されるものと思った。
けれど。当時の屈辱を思い出したキャサリンは、醜悪な表情を浮かべて唇を噛む。
(あれもこれもそれも、腹立たしかったわ。だけど何よりも許せなかったのは、とっとと追い出してしまえばいいのに、ウィリアムが彼女のことをいちいち庇っていたことよ……!)
アルトワ侯爵家から嫁いできたレリアが突拍子もない行動を取るたび、使用人たちは彼女への怒りを募らせ、わかりやすく無視をする者まで出てきた。しかしながら、ウィリアムはあまり動じない。
それどころか、レリアを公爵夫人として扱わない人間を冷遇し、彼女から遠ざけていった。加えて、無邪気に屋敷を荒らしまくっている馬鹿なレリアがそのことに気がついていないのも、キャサリンに大きな敗北を感じさせた。
しかしキャサリンが階段から突き落とされてやっと、レリアは離縁を言い渡された。これで、自分がウィリアムと結ばれる。エルランジェ公爵家に正式な夫人として迎え入れてもらえる。
そう思ったのに、キャサリンを待っていたのは、信じられないウィリアムの言葉だった。
――『天地がひっくり返っても、俺が君と結婚することはない』
レリアが屋敷を出て行った日、ウィリアムはキャサリンにそう宣言したのだ。
エルランジェ公爵家は家格こそ高いが、悪事に手を染めまくった先代の公爵のせいで、あらゆる面がぼろぼろだった。そんな中、ウィリアムはキャサリンの父の助けを受け、大人になり、家を継いだ。
父には絶対に逆らえないに違いなかったのだ。だから、馬鹿な元妻さえいなくなれば全ての望みが叶うはずだった。それなのに。
冷酷な言葉で自分を振った幼馴染の顔を思い出したキャサリンは、歪んだ笑みを浮かべた。
(あの女も、ウィリアムも、絶対に後悔させてやるわ。お父様の力を思い知れば、ウィリアムだって私を愛さずにはいられなくなる)
キャサリンは二十歳。貴族令嬢の間ではすっかり有名な『行き遅れ』だ。でも、それでもいい。
幼い頃から憧れ続けてきた、あのとんでもなく美しい男と、この国で最も羨望を集める女性の座の両方が手に入るのなら、一時的な不名誉などどうということはない。
(皆の前ではああ言ったけれど、私のお腹には赤ちゃんなんていないもの)
確かに妊娠は嘘だが、王太子選に臨む上で、ウィリアムが軍部を握るガルシア侯爵の娘キャサリンを邪険に扱えないことはわかっている。
それを利用し、お腹に子供がいると皆に思い込ませてレリアを牽制し、ウィリアムとの時間を増やしたところで、本当に既成事実をつくってしまえばいいのだ。王太子選が迫りウィリアムがガルシア侯の力を必要とする今ならば、そう難しいことではないと思えた。
(これからいくらだってチャンスはあるわ。この家に入り込んでしまうことの方が先よ。妊娠の妄言についてはお父様の許可をとっていないけれど、お父様は私に甘い。だから後から説得すればいい)
そこへ、さっき出て行った家政婦長が紅茶とお菓子が載ったワゴンを押して戻ってきた。リクエスト通りのメニューが準備されている。
「……キャサリン様。紅茶をお持ちしました」
「あら、ありがとう」
キャサリンは瓶に入れられたオレンジのブランデー漬けをグラスに移し、口をつけた。この家政婦長は、キャサリンが妊娠などしていないことを知って先程は動揺していたが、もう平常心に戻ったようだ。
お酒を飲むキャサリンを見ても、涼しい顔をしている。さすがこの屋敷でキャサリンの間諜を務める女だ。グラスを置いたキャサリンは片側の口の端だけをあげて微笑むのだった。
「ウィリアムが私と結婚したくなるよう、お父様にもう一押しね。婚外子が公爵家の子だと認められないのは予定外だったけど、私を傷物にされたと思い込んだお父様がどういう手段に出るかはわかっているもの」
「楽しみですね、未来の公爵夫人」
「ええ」
次話からはもとのレリア視点に戻ります!




