旦那様に仕掛けられた罠 6
「ん? 何でしょう……?」
「くっそ。盛大に踏みやがって……」
カエルのように鳴いたのは、煤けた髪の男だった。
扉が倒れた際にきれいに下敷きになったようで、体の上半身をバタバタさせてもがいている。レリアは慌てて退いてやった。
「あら、ごめんなさい。どなたかいらっしゃるとは思いましたが、まさかこんなに鈍臭い人だとは」
「は?」
「この鈍臭さ、同業の方ではなさそうですね? この部屋に出入りするための魔法錠を授けられるほど雇い主に信頼されているようだけれど、身のこなしは残念ですね」
「おい、おまえ⁉︎」
レリアの冷静な分析に、男は声を荒らげる。
ついさっきまで床に這いつくばっていたせいで体のあちこちに埃がついていた。間抜けな姿に、レリアはにっこりと微笑んだ。
「見た感じは五十代、男性、上級使用人、でしょうか。でも、私が嫁いでからの半年間では一度も見たことがありませんね? もしかして、先代の公爵様に私的にお仕えしていた方でしょうか?」
「おまえ、そんなに突っ込んで聞いていいのかよ。勇気あるな。ウィリアム坊ちゃんの妻は、とんでもない馬鹿だって噂に聞いたが、馬鹿というより怖いもの知らずだよな」
「お褒めに預かり光栄です」
笑みを返せば、男は「そういう意味じゃねえよ、ほんとバカだな」と呟く。
よかった。自分をしっかり馬鹿だと思ってくれている。これなら、レリアも苦労することなく任務を遂行できる。ということで、レリアはニコニコと微笑んだまま問いかけた。
「それで、あなたの後ろにあるそれは何ですか?」
扉の下敷きになり、ボロボロになった男は何かを守るように立ちはだかっている。よく見ると、それらは古びたトランクケースのようだった。
山積みになっているその数、ざっと見積もって百以上はあるのではないだろうか。
「ずいぶんたくさんあるようですけれど」
「世の中には知らない方がいいこともあるんだよ。今なら見逃してやる。さっさとあっちへ行け。まあ、お前なんかがウィリアム坊ちゃんに告げ口したとしても、どうせ信じてもらえないか。ははは」
ひどくバカにしたような言葉にもレリアは動じなかった。くすくすと笑いながら「馬鹿すぎる公爵夫人」を演じるだけだ。
「何だか……物語に出てくる泥棒が狙いそうな鞄ですよね。見た目が完璧です」
「見た目だけかよ」
リズムよくツッコミを入れてくるこの男は、すっかりレリアを舐めているらしい。隠し部屋の魔法錠を開けられてしまったというだけでも、普通はショックを受けると思うのだが、この男はそのことすら頭から抜け落ちているようだった。
こんなに油断が多い悪人がいていいのか、と余計な心配をしそうになったところで、魔力の気配がした。すぐに左肩を攻撃魔法が襲う。
レリアは反射的に防御結界を張りつつ、その残撃が部屋を破壊しないよう、うまく吸収させた。
「え?」
魔法を放ったのは、当然目の前の男だ。けれど、今は思いもよらない事態にぽかんと口を開けている。まさか、防がれるなど微塵も想像していなかったのだろう。
レリアの魔法への反射速度も、残撃の吸収のさせ方も、訓練を受けた人間のそれだ。魔法を使ったことがあればわかる。組織で身につける魔法は、どれも実践に特化したえげつないものだと。
とにかく、相手が驚いていてこちらに主導権があるうちに、事の全容を明らかにするべきだろうと判断したレリアは、人指し指を向けて短く詠唱した。
「いきなり攻撃したら痛いですよ。でも、そこまでして隠したい中身、一体何が入っているのか、見せてくださいね」
その瞬間、一番上の段に乗せてあったスーツケースの蓋が勢いよく開いた。ガタンと音がしてバランスが崩れ、男の周囲を大きめの紙吹雪のようなものが舞う。
男は情けない悲鳴をあげた。
「⁉︎ なぜ急にこんなことが」
「告げ口しても信じてもらえないようなこととは、どんなことかしらと思いまして。…… うわぁ、白い紙がたくさんできれい、って……あれ? これは紙幣ですか?」
レリアは足元に飛んできた紙を拾い、まじまじと見た。そこには、見覚えのある肖像画が描かれた、長方形の紙が一枚。――十万ルギル紙幣だ。
十万ルギルといえば、一般的な平民の一ヶ月分の食費ぐらいである。つまり大金だ。大金を前に、レリアは白々しくはしゃぎ続ける。
「待ってください? もしかして、このトランクケースの中全部、十万ルギル紙幣ですか⁉︎ わぁ、すごいです、なんでも買えてしまいますね!」
「ちょっ……全部に鍵をかけていたはずなのに、どうしてだ⁉︎ どうして勝手に開いた⁉︎ 戻せ……戻っ……ダメだ、クソッ」
上段のトランクケースの蓋が全部開き、中身が部屋に巻き散らかったため、回収するのは容易ではない。男は風を発生させて紙幣の行方をコントロールしようとしているが、無駄だった。
レリアも気づかれないように呪文を詠唱する。
(私も、風を発生させて紙幣の回収を妨害していますからね)
「こんなにたくさんのお金を見たのは初めてです! ですが、少しおかしいような?」
悪態をつき、紙幣をかき集めて蒼くなっている男の前で、レリアは首を傾げた。そうして続ける。
「私たちの国で流通する紙幣って、国王陛下の魔力を刻印して流通するじゃないですか? けれど、この紙幣にはそれがありませんね」




