19.エルランジェ公爵家の使用人
母が亡くなったとき、レリアはまだ三歳だった。
まだ幼かったとはいえ、母との朧げな記憶はある。あの母を侯爵夫人は死に追いやった。それを思うだけで、心が暗くなる。
(お母様に本を読んでいただいたり、一緒にお散歩をしたりした懐かしい記憶……その頃はアルトワ侯爵もお優しかったですね。まあ、今となってはそんなものは要りませんが)
そんなことを考えていると、部屋の扉が開いてマリアンヌが入ってきた。
「レリア、おはよう」
「あ、マリアンヌ、おはようございます……」
身支度を整えて部屋に入ってきたマリアンヌに、レリアはベッドの中から挨拶をする。現実で関わる人との会話に、一気に気持ちが切り替わった。ぐんと伸びをしてみると背中が痛い。
(昨日、邪神からの攻撃をかわした時に無理な姿勢をとったせいでしょうか?)
体の調子を確認しつつ分析していると、マリアンヌは腕組みをして表情を歪ませた。
「……なにこれ」
部屋を見回したマリアンヌは呆然としていた。そんなに驚くようなことがあっただろうか、傾げかけたレリアだったが、わりとすぐに思い至った。
「ん? ああ、この荒れたお部屋のことですね?」
「そうよ! 何これ⁉︎」
マリアンヌが声を荒げるのも無理はない。なぜなら、レリアの部屋はものすごく荒れ、手入れが行き届いていない状態になっていたからだ。
埃などの汚れが付着したままのカーテン、穴が空いてぼろぼろのシーツ。ブランケットは見当たらないため、昨日のレリアは防寒用のコートを被って寝た。
そして、床には、どこから持ってきたのだろうというような枯葉が落ち、隅には砂が溜まっている。昨夜のレリアも念のため確認したのだが、ここは室内だ。
「昨日、ユノ荒野から帰ってきた時には普通だったはずなんですけど……ウィリアム様に三年前の謝罪をし、夕食後に休もうと戻ったらこの惨状で。確認したところ、特に盗聴系の魔道具はない様子だったので、そのまま寝たのですが」
「はぁ? どうしてなにも言わなかったの⁉︎」
怒りを露わにするマリアンヌをなだめるように、レリアはおっとりと笑った。
「もう夜も遅かったですし、絶対にウィリアム様ご本人の意思は関わっていないことですし、騒ぐのも面倒だし、あまりにも手の込んだ荒らしっぷりに感動すらしてしまって。……そっか、身体が痛いのはこの荒れたベッドのせいかぁ……」
「なんでそんなにのんびり受け入れてるのよ⁉︎ これ、明らかにレリアへのいじめでしょう⁉︎ この屋敷の人たちは組織に護衛を依頼しておいて、信じられないわ」
憤慨するマリアンヌをレリアは宥める。正直、彼らの気持ちもわからなくはないからだ。
「この屋敷の方々は私が変身魔法を使っていたことを理解していないのです。だから、なぜか突然『レリア・アルトワ』が戻ってきたと勘違いをされているようで」
「だけど、ここはウィリアム・エルランジェを護衛する組織の人間に与えられた部屋だということは知っているのでしょう? いくら同一人物だと理解できなくても、これはおかしいわ。レリア、ちゃんと抗議して。これじゃあ組織が舐められる」
「まぁ、それはそうですね。私のことは置いておくとしても、組織への対応としてはあり得ませんから言っておきます。ごめんなさい……」
「それ、一生やらない人のお返事よ⁉︎ もういい、私が言ってくる!」
「ああっ……落ち着きましょうか、マリアンヌ」
マリアンヌの周辺に何やら重そうな置き時計や花瓶や壺や散らばった砂が浮いているのを見て、レリアは慌てて止めた。
いくら腹が立っていたとしても、非武装、せいぜい持っていても雑巾や箒程度の相手の口に砂を突っ込むのはいただけない。そして本音を言えば、レリアもかなり後ろめたいからこそこんな及び腰なのだ。
この屋敷で働いている使用人たちは、三年前からほとんど変わっていない。つまり、彼らはレリアが馬鹿を演じたせいで大迷惑をかけられた被害者である。
あの頃は、どういうことなのかウィリアムが不自然なほどに寛容だった。だからどうにかなっていたものの、普通なら、恨みを抱えた彼らに殺されていても文句は言えなかった。
この屋敷の使用人たちが、自分たちの働く家や主人を守るためにどれだけ苦労したのか。それは想像するに難くない。
(ですが、いくら嫌われて警戒されていたとはいえ、突然『馬鹿なレリア』が出戻るというこの意味不明な状況で、使用人の皆さんが自分の意思でこんな待遇をするとは思えません。つまり、誰かが裏で糸を引いていることになりますね)
ふとレリアは三年前に自分の下敷きになった、夫の愛人キャサリンのことを思い出した。
「マリアンヌ。キャサリン・ガルシアさんってまだ未婚なのですよね?」
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キャサリン・ガルシア
1話目でレリアと一緒に階段から落ちたウィリアムの幼なじみであり愛人(※レリア視点では)です。
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