アルトワ侯爵家とレリア
レリアは夢を見ていた。
そこは、エルランジェ公爵家の屋敷で、自分は任務服ではなくドレスを着ている。ということは、つまりこれは三年前の夢なのだろう。そんなことを思いながらぼうっとしていると、夢の中のレリアは転移魔法を使い、書斎へと飛んだ。
転移魔法は一度行った場所なら大体は飛べる、高度な魔法だ。初対面の挨拶で書斎へ行ったため、レリアは難なく飛ぶことができたのだろう。
もちろん、特殊な魔法構成で妨害されている場所へは飛べないが、ここは王宮などではない。入られたくない場所は大体が物理的な鍵で守られているだけだ。
書斎に入り込んだ十五歳のレリアは、組織からの指示で探すように依頼されていた書類をあっさり見つけた。それから、他にも何か追加資料がないかウィリアムの机を観察する。
魔力の気配を探り、書斎の周囲には誰もいないことを確認し、そしてしばらくは誰も来ないことを確信してから、一番上の引き出しの鍵穴に針金を突っ込む。
(魔法鍵なら他の方法で壊しますが、物理の鍵は原始的な方法で壊すのが一番ですから)
程なくして手応えがあり、鍵が開いた。レリアは素早い仕草で針金をしまうと、引き出しを開ける。
そこには『個別案件』と書かれた書類の束が入っていた。怪しいと判断し早速中身を検めるが、何の変哲もない、領地内の調整事項についてまとめられた資料に過ぎなかった。期待はずれと判断しつつ、念のために回収する。
そして、机上に置かれた書類に目を留め、首を傾げた。整理整頓された書類の中に、一つだけ紙質が違う報告書があった。出所がいつもと違うのだろう。
手に取ってみて、目を丸くする。
(――これは私に関する調査結果?)
しかし、嫁ぐにあたってこういった調査がなされていることは想定の範囲内であり、むしろ当然のことだ。レリアの出自に関しては、組織が徹底的に情報管理をしており『アルトワ侯爵家の第二夫人の子であるレリア』以上の情報はないはずだった。特に焦ることもない。
何気なく『アルトワ侯爵家の第二夫人の子であるレリア』しか書いていないはずの調査結果に目を通す。緊張感は全くなかった。しかし、状況は数秒で変わった。
(……何これ……)
書類が指先から滑り落ちそうになるのを、すんでのところで耐える。なぜなら。
レリアに関する極秘調査結果には『アルトワ侯爵家の第二夫人の子』『特に目立った才能なし』『正妻に育てられ、十五歳で縁談の話を受ける』といった予想通りの文言に続いて、信じられない言葉が書いてあったからである。
――彼女の母親は、彼女が三歳のときに急病で病死したことになっているが、実際は現アルトワ侯爵夫人によって毒殺された可能性が高い。
と。
˖ ࣪⊹
(あの後……私は魔力の調整をミスして、書斎を盛大に燃やしてしまったんでしたっけ……魔法を使った痕跡を消すことだけはできましたが、代わりにお部屋がまる焦げに……)
「うーん……」
朝日が差し込むベッドに横たわったまま、レリアは眠さが残る頭を抱えつつ、夢の世界から現実へ戻ろうと唸る。
「魔法をたくさん使うと、精神面が不安定になるのでしょうか……。嫌な夢を見てしまいましたね」
邪神の討伐から帰還した翌日。思いがけないハードな任務を終えたレリアは、遅い朝を迎えていた。昨日の戦闘のせいで、どこもかしこも体が痛い。
普段から訓練を積んでいても、訓練では本当の本気を出すことはない。限界に近い力を使うと、体が悲鳴をあげるため、強敵と戦った翌日は体の調子を整えるだけで一日を終えることも多いのだ。
おまけに昨夜は夢見まで悪いときた。今日はもうごろごろして過ごすしかない。おでこに汗が滲んでいるのを感じながら、レリアはため息をついた。
昨夜、レリアが見てしまった夢は、三年前にエルランジェ公爵家にやってきて、自分の母親の死に関して真実を知ってしまったときのものだ。母親は急な病で亡くなったと聞かされていた。けれど、そうではなかった。それを知った日の記憶に、胸の奥がずきずきと痛む。
幼い頃、レリアは確かにアルトワ侯爵家で冷遇されていたが、十二歳で家を追い出されるまではそれなりにきちんとした暮らしをさせてもらっていたとは思っている。
だから、それ以前のことで恨む気持ちはなかったはずだし、自分の運命を受け入れてそれなりに精神は安定しているつもりでいた。しかしこの真実はあまりにも衝撃的だった。その場では何とか取り繕えたものの、思わず一人で裏庭に出て涙を流した。
誰に見られているかわからない、とどんなに堪えようとしても無理だった。裏庭から屋敷に戻った後は感情を抑えて『馬鹿なレリア』に戻れはしたが、心には大きな穴が空いたようで。
そして、このことを知った日を境に、両親へのレリアの気持ちは大きく変わった。
(私は、お母様を殺したアルトワ侯爵夫人がどうしても許せないのです……)
母が亡くなったとき、レリアはまだ三歳だった。
まだ幼かったとはいえ、母との朧げな記憶はある。あの母を侯爵夫人は死に追いやった。それを思うだけで、心が暗くなる。
(お母様に本を読んでいただいたり、一緒にお散歩をしたりした懐かしい記憶……その頃はアルトワ侯爵もお優しかったですね。まあ、今となってはそんなものは要りませんが)
そんなことを考えていると、部屋の扉が開いてマリアンヌが入ってきた。
「レリア、おはよう」
「あ、マリアンヌ、おはようございます……」
身支度を整えて部屋に入ってきたマリアンヌに、レリアはベッドの中から挨拶をする。現実で関わる人との会話に、一気に気持ちが切り替わった。ぐんと伸びをしてみると背中が痛い。
(昨日、邪神からの攻撃をかわした時に無理な姿勢をとったせいでしょうか?)
体の調子を確認しつつ分析していると、マリアンヌは腕組みをして表情を歪ませた。
「……なにこれ」
部屋を見回したマリアンヌは呆然としていた。そんなに驚くようなことがあっただろうか、傾げかけたレリアだったが、わりとすぐに思い至った。
「ん? ああ、この荒れたお部屋のことですね?」
「そうよ! 何これ⁉︎」
マリアンヌが声を荒らげるのも無理はない。なぜなら、レリアの部屋はものすごく荒れ、手入れが行き届いていない状態になっていたからだ。
埃などの汚れが付着したままのカーテン、穴が空いてぼろぼろのシーツ。ブランケットは見当たらないため、昨日のレリアは防寒用のコートを被って寝た。
そして、床には、どこから持ってきたのだろうというような枯葉が落ち、隅には砂が溜まっている。昨夜のレリアも念のため確認したのだが、ここは室内だ。
「昨日、ユノ荒野から帰ってきた時には普通だったはずなんですけど……ウィリアム様に三年前の謝罪をし、夕食後に休もうと戻ったらこの惨状で。確認したところ、特に盗聴系の魔道具はない様子だったので、そのまま寝たのですが」
「はぁ? どうしてなにも言わなかったの⁉︎」
怒りを露わにするマリアンヌをなだめるように、レリアはおっとりと笑った。
「もう夜も遅かったですし、絶対にウィリアム様ご本人の意思は関わっていないことですし、騒ぐのも面倒だし、あまりにも手の込んだ荒らしっぷりに感動すらしてしまって。……そっか、身体が痛いのはこの荒れたベッドのせいかぁ……」
「なんでそんなにのんびり受け入れてるのよ⁉︎ これ、明らかにレリアへのいじめでしょう⁉︎ この屋敷の人たちは組織に護衛を依頼しておいて、信じられないわ」
憤慨するマリアンヌをレリアは宥める。正直、彼らの気持ちもわからなくはないからだ。
「この屋敷の方々は私が変身魔法を使っていたことを理解していないのです。だから、なぜか突然『レリア・アルトワ』が戻ってきたと勘違いをされているようで」
「だけど、ここはウィリアム・エルランジェを護衛する組織の人間に与えられた部屋だということは知っているのでしょう? いくら同一人物だと理解できなくても、これはおかしいわ。レリア、ちゃんと抗議して。これじゃあ組織が舐められる」
「まぁ、それはそうですね。私のことは置いておくとしても、組織への対応としてはあり得ませんから言っておきます。ごめんなさい……」
「それ、一生やらない人のお返事よ⁉︎ もういい、私が言ってくる!」
「ああっ……落ち着きましょうか、マリアンヌ」
マリアンヌの周辺に何やら重そうな置き時計や花瓶や壺や散らばった砂が浮いているのを見て、レリアは慌てて止めた。
いくら腹が立っていたとしても、非武装、せいぜい持っていても雑巾や箒程度の相手の口に砂を突っ込むのはいただけない。そして本音を言えば、レリアもかなり後ろめたいからこそこんな及び腰なのだ。
この屋敷で働いている使用人たちは、三年前からほとんど変わっていない。つまり、彼らはレリアが馬鹿を演じたせいで大迷惑をかけられた被害者である。
あの頃は、どういうことなのかウィリアムが不自然なほどに寛容だった。だからどうにかなっていたものの、普通なら、恨みを抱えた彼らに殺されていても文句は言えなかった。
この屋敷の使用人たちが、自分たちの働く家や主人を守るためにどれだけ苦労したのか。それは想像するに難くない。
(ですが、いくら嫌われて警戒されていたとはいえ、突然『馬鹿なレリア』が出戻るというこの意味不明な状況で、使用人の皆さんが自分の意思でこんな待遇をするとは思えません。つまり、誰かが裏で糸を引いていることになりますね)
ふとレリアは三年前に自分の下敷きになった、夫の愛人キャサリンのことを思い出した。
「マリアンヌ。キャサリン・ガルシアさんってまだ未婚なのですよね?」




