三年前の真実
ウィリアム視点です。
元妻への尋問を終えたウィリアムは、書斎の執務机に突っ伏した。
この部屋にいるのは、信頼する家令のピエリックだけだ。そのピエリックが楽しさを隠すことなく、満面の笑みで聞いてくる。
「レリア様には久しぶりの再会でしたね。お元気そうでホッとしましたよ」
「……お前の感想はそれだけか?」
「恐縮ながら。あいかわらず、優しくて面白いお嬢さんですなぁ。三年前に聖女様を追放なさったときは、あらあらまあまあと思ったものでしたが、あれは任務に背いてでも私どもの平穏を優先してくださったからだったんですねえ。我ながら、この爺の人を見る目はさすがです」
「……」
ついさっき、レリアから想像を超える報告を受けたばかりのウィリアムは、閉口するばかりだ。
三年前の聖女追放は、エルランジェ公爵家を救うためだった、ということはわかった。それについては心から感謝するし、彼女がいなかったらどうなっていたことだろうと恐ろしくなる。
しかし『馬鹿のふりをして公爵家をめちゃくちゃにする』というとんでもないミッションに関しては、腹立たしいを通り越して何の感情も湧いてこない。
そもそも、彼女が本当に馬鹿ではないことまでいまいち信じられない。
しかし一方で、ピエリックがレリアに好意的な感想を持っているのは、実は予想通りだった。なぜなら、三年前もピエリックはレリアに優しかったからだ。
当時、家令の人を見る目を信頼していたウィリアムは、彼に倣い新妻を冷静に見てみることにした。その頃のことを回想する。
(あれは、彼女が嫁いできた翌日のことだったか)
◇
――三年前。
王命によりレリア・アルトワが嫁いできた翌日。黒焦げになった書斎を呆然と見つめながら、ウィリアムは思わず声を漏らした。
「……改めてひどいな。一体、彼女はどういう人間なんだ」
「魔法ではなく、物理的な火を使って燃やしたようですね。にしても、この書斎の中の、本を燃やさず書類だけ。魔法を使っていないのだとしたら、マッチの使い方がお見事ですなあ。はっはっは」
「ふざけるんじゃない、ピエリック」
ニコニコとした笑みを崩さない爺を睨め付けた後、ウィリアムはもう一度書斎の惨状に目を戻す。
そこには、炭の塊になったかつて紙だったものがあり、ウィリアムのため息に合わせてかけらがふわりと浮き、地面に落ちたはずみによりくしゃりと砕けた。焦げ臭さが鼻をつく。普段とはまるで違う様子に、悪夢を見ているようだ。
「なぜこんなことになったんだ?」
「奥様曰く、『こんなにたくさんの書類に火をつけたらどうなるのか知りたかった』らしいですよ」
「なんだそれは……」
何の情報も得られず、ますます困惑を強めたウィリアムはあることに思い至り、顔色を変えた。
(! そうだ。あの書類はどこだ)
ウィリアムはすぐに窓の前に置かれた執務机へ足早に駆け寄ると、机上にあるはずの書類を探し始めた。火事の影響で黒い煤を被った机の上の荷物を手で退かし、目的のものを探す。
(記憶では、他の書類に紛れさせた上でここに置いたはずなんだが)
しかし、見るからにここにないのは明らかだ。諦め切れず執務机の引き出しにも手をかけた。ガタガタと音を立てて書類を探し続ける。
やはりない。
その様子を見ていたピエリックが首を傾げる。
「何をお探しで?」
「レリア・アルトワに関する調査結果をまとめた書類がないんだ」
「坊ちゃん、書斎にはいつも鍵をかけておいでですよね。誰かが持ち去った可能性は低うございます。もっと落ち着いて探されては」
穏やかな言葉を聞いても、全く安堵はできなかった。なぜなら。
(あの調査結果にはとんでもないことが書いてある。しかも、この書斎を燃やしたのは調査対象のレリア・アルトワ本人だ。彼女が自分で見てしまった可能性が)
焦りで背中を冷たい汗が流れた。
――ウィリアムがエルランジェ公爵家の当主になったのは、わずか数ヶ月前のこと。
公爵家の主でありながら領民を無視し私利私欲に走り悪名高かった両親が落石事故で亡くなったせいだった。
元々、ウィリアムは公爵の悪政には嫌悪を感じていた。七大公爵家という名門に身を置きながら私腹を肥やし、贅沢に走り、領民に苦しい生活を強いる両親を心底軽蔑していた。
いつかは自分がエルランジェ公爵家をあるべき姿に戻さねば。
そう固く決意していたものの、その日はまだ先のはずだったのだが、両親は何の前触れもなくいなくなってしまった。
残されたのは、土台からボロボロになった家名と、手の施しようがないほど荒れた公爵家、疲弊し切った領民。それ以来、ウィリアムはほとんど休むことなくエルランジェ公爵家の立て直しに奔走している。
「坊ちゃんは間違いなく優秀なお方です。お父上の悪政を軌道修正し、あらゆるものを立て直しておいでです。代替わりしてわずか数ヶ月。これだけの功績を上げるのはとんでもないことですぞ」
ピエリックはそう言いながら、燃やされずに済んだ帳簿や記録を綴じた冊子を手に取り、誇らしげな眼差しを向けてくる。
「……確かに、表向きはそうかもしれない。だが、何か重要な見落としをやらかす気がしてならないんだ。正直手一杯で、どうしても不安は拭えない。その見落としが、エルランジェ公爵家と領民にとって致命的なものでないことを祈るだけだ」
事情を何もかも知っているピエリックは、穏やかな表情を変えなかった。まるで孫にするように、無言のまましばらくウィリアムの頭を優しく撫でる。
「それにしても、国王陛下は随分と急な縁談を持ち込まれましたねえ」
「代替わりしたばかりで、まだ婚約者もいないとなればこうなるのも予想できたことだ。今のエルランジェ公爵家が国王からの縁談を断ることなどできない」
「坊ちゃん、キャサリン・ガルシア様をお選びになるという選択肢もあったのではないですかねえ」
暢気に幼馴染の名前を口にするピエリックを、ウィリアムは厳しい視線で制す。
「あれはダメだ。自分勝手すぎる彼女に公爵夫人は務まらないし、何よりもあれの父親はこの家を乗っ取ろうとしている。思い通りになってたまるか」
「ほほう、よくわかっていらっしゃる。いいですぞ、坊ちゃん」
孫を見るような瞳を向けられて、少し脱力した。王命ともいえる縁談を断ることができなかったウィリアムは、せめてもの抵抗で、嫁いでくる新妻のことを調べた。すると、意外なことがわかったのだった。
「――レリア・アルトワ。アルトワ侯爵家で第二夫人の子として生まれ、早くに母親が死に、正妻に育てられた。貴族令嬢ではたまにある境遇だ。この突拍子のなさは育ちのせいだろうか」
「同情する背景ではありますが、この爺としては、奥様は悪いお方には見えないのですよねえ」
ピエリックの相槌を聞きつつ、自分の声が低く暗くなるのを感じた。ウィリアムはそのまま本題を続ける。
「調査結果によると、彼女の本当の母親は継母――アルトワ侯爵夫人に殺された可能性が高いということだった。おそらく、この件について本人は知らないだろうな」
「はい。当時は事件になっていませんし、侯爵家ではあくまで『急病』で押し通しました。うちの調査結果で『可能性が高い』程度の濃度で判明するということは、ほぼ間違いなくご本人は知らなかったでしょうなあ。……本当に痛ましいことです」
「ああ」
見つからない書類を諦め、ウィリアムは引き出しを閉じてため息をついた。
「彼女がこの書斎に入ったのは、偶然鍵が空いていたかららしいな。確かに施錠したはずなんだが」
「坊ちゃんの不在中、掃除のために爺がここへ伺った時は、確かに施錠されておりましたよ。ああ、爺がそのまま鍵をかけ忘れたということですねえ。ははは、申し訳ない」
朗らかに笑っているピエリックは、確かにたまにそういうミスをやらかす。ウィリアムは呆れつつも息を吐くのだった。
「もしかして彼女、迷い込んだこの部屋でうっかりあの報告書を読んでしまい、パニックになって燃やしたのだろうか? それぐらいでないと、行動に説明がつかないだろう」
「その可能性が高いですね。不幸な事故です」
どことなく沈んだ表情の二人は、焦げた書斎を二人で見つめる。
「……たとえ真実でも、知らないでいたほうが幸せなこともある。俺が無理にした調査の結果で、彼女が傷ついていないといいが」
ピエリックと共に書斎を片付け、使用人たちに煤の処理を任せた後で外を見ると、すでに夕暮れだった。後を継いでからというもの、毎日刺激的なことが多い。しかし、今日はその中でも特にとんでもない一日だったような気がする。
どっと疲れを感じ、階段の踊り場で壁に寄りかかる。踊り場の窓は大きく、自然が豊かな裏庭に面していた。あまりの疲労に、夕暮れの庭の風景に瞳を奪われる。
ちょうどそこで、淡いラベンダーがかったブロンドが揺れるのが見えた。
(あれは――)
それはまさに、ウィリアムが先ほどまでいた書斎がああなった原因を作った妻だった。
彼女は無邪気に書斎の片付けを手伝うと言ったのだが、ウィリアムが少し目を離している間に、あまりの事態に憤慨した使用人たちが彼女を追い出してしまった。その後、姿が見えず心配していたのだった。
「姿が見えないと思っていたら、あんなところにいたのか」
裏庭に佇むレリアだが、一体いつからあそこにいるのだろう。
(さすがにまもなく日が暮れる。迎えにいくか)
一人っ子で、後継としての期待を一心に背負ってきたウィリアムは、年少の人間と接した経験が乏しい。その一方で、定期的に参加する茶会などでは仲睦まじいきょうだいの姿を見ることもあり、心のどこかで羨ましく思っていた。
(彼女は幼くて、妻というよりはまるでまだ子供のようだ。守ってやらないと)
だからだろうか。
昨夜、夫婦の寝室を訪れたものの、薄い肩ときょとんとした眼差しを見て、ウィリアムは何もする気が起きなかった。もちろん、彼女に女性としての魅力がないわけではない。
オレンジ色の室内灯に照らされたベッドの上で見た彼女は、中身がまだ外見に追いついていないように思えて、指一本触れられなかったのだ。
妻を迎えにいくため踊り場から離れようとしたウィリアムの視界で、こちらに後ろ姿を見せているレリアの肩が揺れる。
「⁉︎」
窓に手のひらをあて、食い入るようにして見ると、レリアは左手で目の当たりを拭った。後ろ姿しか見えないが、泣いていることに間違いはない。
今日の午後、『こんなにたくさんの書類に火をつけたらどうなるのか知りたかった』というぶっ飛んだ理由で書斎に放火した彼女とはまるで別人だった。
(やはり、彼女は母親は他殺だというあの書類を――)
いくら施錠をしているとはいえ、調査結果を置いておくべきではなかった。確認してすぐに処分するべきだったのだ。
ウィリアムは急ぎ、駆け足で裏庭に出たものの、レリアはもういなかった。
◇
三年前の回想を終えたウィリアムは感慨深げに口をひらく。
「三年前、確かに抜けていて教養が身についていないとは思っていた。あまりにも突飛な言動ばかりするので、間諜ではと一瞬疑ったこともある」
「実際に間諜だったんですねぇ。ははは」
ピエリックの笑いが、全然笑えない。
「確かに、あの頃は急死した父の悪政の名残があった頃だ。七大公爵家でありながら国への忠誠心は低く、二心ありと見られても仕方がなかった。当時の国王陛下が未来の王太子選に備え、悪名高いうちの力を削ごうとしてもおかしくない」
正直、当時のエルランジェ公爵家がまともではなかったことは認める。当時の国王が組織を使って潰そうとしたのも理解できてしまうほどに。
しかし、仮にそうだとしても、誰もが解せぬ問題が浮上するのだ。ウィリアムはそもそもの疑問を口にした。
「だが、馬鹿を演じて内部からめちゃくちゃにする? ……王国庁傘下の特殊組織とはそんな生ぬるい作戦を立てるものなのか……?」
「というか、レリア様の特性や魅力を活かした、彼女にぴったりの作戦を考えたのでしょう。さすがですよ」
ニコニコと目尻に皺を刻むピエリックは、若い頃に件の組織のエースだったらしい。引退後に幼いウィリアムの護衛兼侍従として雇われ、それからずっと一緒にいて今では公爵家の家令としても務めてくれている。
ピエリックは、数十年前はさぞかし有能だったのだろうと思わせる風貌で上品な笑みを浮かべた。
「今回『王太子選の護衛』という、最重要任務のチーフに彼女を選出したのも、きっとなにか狙いがあってのことでしょうな。単純に、能力が高いだけでは上官にはなれませんからねぇ」
「それな……」
「私は同行いたしませんでしたが、ユノ荒野でのレリア様のお仕事っぷりは見事だったのでしょう?」
「ああ、それはもう。あらゆるものを凌駕する力だ。明言は避けていたが、間違いなく彼女は祝福持ちだ」
思わず正直な感想を口にすると、ウィリアムの元妻がお気に入りらしいピエリックは、満足そうに笑うのだった。
「それはそれは。爺は、これからの坊ちゃんとレリア様が楽しみですな」
「だが、彼女の立場は一応は理解するが、普通、馬鹿のふりをしろといわれて、あそこまでやる馬鹿はいないぞ?」
「わはははは。私はあのお嬢さんのそんなところが気に入ったんですよ、坊ちゃん」
上機嫌に笑っている侍従を見ても、特にウィリアムは怒る気にはなれなかった。正直、その気持ちがわからなくもないからである。
それをとっくに見抜いている侍従は、ウィリアムの肩を叩くばかりだ。
「うち以外でユノ荒野に接しているのは、ドラード伯爵領です。当の伯爵家からは何のお礼文も届いていませんが、近くに領地を持つ家々からは感謝の手紙が届いていますね。どの家も元々は別派閥の家です。王太子選の投票時にはきっと、心強い追い風になりましょう」
「……」
彼の言葉は現在の状況そのままだ。怪我の功名、邪神を討伐したことで、エルランジェ公爵家を支持する家が増え、王太子選に有利になることを示していた。
たった一晩でこれなのだ。数日もすれば、間違いなく手紙の数はさらに増えるだろう。
そして、一ヶ月が経った頃には、邪神からの危機を救った英雄としてウィリアムの名前が広がるに違いなかった。正直、英雄は言い過ぎだとは思う。しかし、噂とは誇張されて広まるものだ。
偶然とはいえ、ウィリアムに追い風が吹くことになる。
(あの頃は疫病神扱いの彼女だったが……完全に別人……でいいのか?)
さっき、必死に謝りながら『当時は上からの命令通り、馬鹿な妻を演じてエルランジェ公爵家をめちゃくちゃにしましたが、今回はウィリアム様をお守りする方向に方針転換を……』と言っていたレリアの姿を思いながら、ウィリアムはため息をつく。
王国庁傘下の専門組織に所属し、上官でもある彼女がそんなやわな女ではないというのはわかっている。
けれどウィリアムの脳裏からはどうしても、三年前のレリアが涙を拭う姿と、いつも浮かべていた無邪気な笑顔が離れない。
(三年前、表向きは彼女をこの家から追い出すことになったが、秘密裏に面倒を見るつもりでいた。だが、彼女は忽然と消え、そのまま行方知れずになった。心配していたが……無事でよかった)
こめかみを押さえるウィリアムに、ピエリックは穏やかな笑顔で問いかけるのだった。
「レリア様のこととユノ荒野のこと。両方とも、ウィリアム様は本当にご存じなかったのですよねえ?」
「――もちろんだ。俺にはすべての結末しかわからない」
次話からレリア視点に戻ります。




