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第43話 鉄の薔薇、永遠の楽園へ(最終回)

「……やはり、計算が合いませんわね」


 ザイフリート城の執務室。差し込む朝日は、かつての青白いシステムの光とは違い、埃の粒子さえも黄金色に輝かせていた。

 私は手元の古い木製の算盤そろばんを弾き、眉を寄せた。


「エルゼ。……また赤字か? それなら俺が――」


「いいえ、閣下。……逆ですわ。……想定よりも、領民たちの『笑顔』の配当が多すぎるのです。……これでは私の予測モデルが台無しですわよ」


 私が溜息をつくと、背後から逞しい腕が伸び、私の肩を包み込んだ。

 ゲルハルト閣下。……今はもう、神の守護者でも、システムの不純物でもない。ただの、執着心が人一倍強くて不器用な、私の愛する夫だ。


「……フン。……貴様が『管理者』としての魔法を失ってから、この領地はかえって騒がしくなった。……。皆、貴様の機嫌を取ろうと必死なのだ。……特にあの事務員ジュリアンなどは、貴様に褒められたくて帳簿の裏まで磨いているぞ」


「あら。……ジュリアン様も、少しは数字の価値が分かるようになられたのですわね」


 私は、彼の胸に背中を預けた。

 あの日、霧の島でシステムのプラグを抜いてから、私の頭の中にあった「高度な数式」や「精密な化学式」は、砂時計の砂のようにこぼれ落ちてしまった。

 今、私が作れるのは、かつてのような「魔法の香水」ではない。

 

 ただ、この地の花を摘み、時間をかけて抽出した、素朴で、けれど誰もが安らげる「普通の香り」だけだ。


「……。閣下。……。私、本当にただの女になってしまいましたけれど。……。後悔していらっしゃいません?」


 ゲルハルトは私の問いに答えず、強引に私の椅子を回して、私と正面から向き合った。

 彼の瞳には、かつてのような冷徹な剣気はない。

 代わりに、私一人だけを映し出す、深く、重く、淀みのない情熱が宿っていた。


「……。エルゼ。……。貴様は勘違いをしている。……。俺が惚れたのは、貴様の頭の中にある『神の知識』などではない。……。泥を啜ってでも、理不尽に中指を立ててでも、自分の帳簿を黒字にしようとする……。その、浅ましくて気高い貴様の『魂』だ」


 ゲルハルトの大きな掌が、私の頬を包み込む。

 その熱さが、かつてバーコードが刻まれていた場所を優しく上書きしていく。


「……。魔法が消えたなら、俺が貴様の剣になろう。……。知識が消えたなら、俺が貴様の記憶になろう。……。貴様がただの女だと言うのなら、俺はただの男として、貴様を一生かけて愛し抜く。……。これ以上に確実な『投資』が、この世にあると思うか?」


「……。ふふ。……。閣下にしては、満点の回答ですわ」


 私は彼の首に腕を回し、自ら唇を重ねた。

 

 鉄の匂い。

 潮風の香り。

 そして、二人の未来を繋ぐ、確かな鼓動。


 ◇


 城のバルコニーに出ると、眼下には活気に満ちたザイフリートの街が広がっていた。

 港にはバルガスの商船が停泊し、クララがアンハルト商会の新しい看板を掲げ、ハンスが領民たちと復興の計画を話し合っている。


 空にはもう、黄金の文字はない。

 管理者としてのステータス画面も、システムの警告音も聞こえない。


 あるのは、自分たちの足で歩き、自分たちの手で明日を掴み取ろうとする、不完全で美しい人々の営み。


「……。お父様。……。私、ようやく自分の人生を『決済』できましたわ」


 私は、青い空を見上げて呟いた。

 

 王都を追放され、凍える荒野で死を待っていたあの夜。

 もし私が「計算」を諦めていたら、この景色を見ることはなかっただろう。

 

 知識があったからではない。

 最後まで、自分の幸せの価値を信じ続けたから、私はここに立っている。


「……。エルゼ。……。何をしている、行くぞ。……。披露宴の二回目・・の準備が滞っていると、アンナが泣いていたぞ」


「あら、大変。……。予算の再チェックが必要ですわね」


 私は笑って、差し出されたゲルハルトの手を取った。

 

 鉄の薔薇は、もう枯れることはない。

 それは永遠の楽園などではなく、この不器用で、愛おしい、泥まみれの「現実」の中に、いつまでも美しく咲き誇るのだ。


 私の新しい帳簿の、真っ白な第一ページ。

 そこには、どんな神様にも書けない、最高に幸せな「黒字」の文字が刻まれていた。


 ――。

 エルゼ・フォン・ザイフリートの逆襲。

 これにて、全ての決済を終了コンプリートいたします。

「鉄の薔薇は、泥にまみれて黒字を謳う」、これにて堂々の完結です!

最後までエルゼ様とゲルハルト閣下の物語を見守ってくださり、本当に、本当にありがとうございました。


「管理者」としての特権を捨て、ただの人間として愛を選んだエルゼ様。

そして、どんな彼女であっても離さないと誓ったゲルハルト閣下。

二人の旅路の終着点が、読者の皆様の心に温かな「黒字」を残せたのであれば、これ以上の幸せはありません。


ジュリアンやソフィアといった宿敵たちも、それぞれの場所で自分の人生を「精算」し、新しい一歩を踏み出しました。

魔法のない世界で、自分たちの力で幸せを掴む……。

それこそが、一番のハッピーエンドだと信じて筆を置かせていただきます。


これまで【ブックマーク】や【評価】をくださった皆様の応援が、私の算盤を弾く何よりの動力源でした。

白鷺ユウの次回作(もしあれば!)でも、またどこかでお会いできることを願っております。


皆様の日常にも、素敵な奇跡の香りが届きますように。

完結までのお付き合い、心より感謝申し上げますわ!


白鷺ユウ

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