第37話 狂信の影。マギウス教国の逆襲と、消えたゲルハルト
「――お姉様、そんなに怯えないで。その印は、貴女がこの穢れた世界を清める『神の指先』になった証なのよ」
仮面が剥がれ落ちたソフィアの顔には、かつての幼さは微塵もなかった。
狂気と恍惚に彩られた笑み。彼女が掲げた古びた銀の錫杖が、エルゼの首筋に刻まれたバーコードと共鳴するように、不気味な電子音を奏でている。
「……黙りなさい、ソフィア。私はパーツでも神の指先でもありません。……ましてや、貴女のような狂信者に算盤を貸すつもりもありませんわ」
冷たく言い放つ私の肩を、ゲルハルト閣下がこれ以上ないほど強く抱き寄せた。
彼の全身から放たれる殺気が、会場の床を物理的にひび割らせていく。
「この女から離れろ、亡霊。……貴様のその首、今ここで胴体から切り離してやる」
「あら、怖い。北の野蛮な騎士様。……でも、貴方はもう『エラー』なのよ」
ソフィアが錫杖を床に突いた、その瞬間。
『――警告。近接オブジェクトに高エネルギー反応を確認。システムへの干渉を排除(Purge)します。』
脳裏に、氷のような無機質な声が響いた。
私の意思ではない。首筋のバーコードが、心臓の鼓動を無視した超高速のパルスで発光する。
「……っ、閣下! 離れて……!」
「何を言って――っ!?」
ゲルハルトが私を抱きしめていた腕が、目に見えない衝撃波によって弾き飛ばされた。
魔法ではない。それは、空間そのものが「エルゼ」という個体以外の存在を拒絶するような、物理法則の強制書き換え。
「エルゼ……!?」
ゲルハルトが再び手を伸ばそうとした時、私たちの間に漆黒の「壁」が出現した。
それは教国が持ち出した古代の聖遺物――空間を分断する『境界石』の起動。
「閣下! ゲルハルト閣下!」
私は叫び、その壁を叩いた。だが、私の手が触れた場所から、デジタルなノイズが走る。
壁の向こう側で、ゲルハルトが叫び、大剣で空間を切り裂こうとする音が聞こえる。けれど、その姿は急速にノイズの中に溶け、消えていく。
「……ふふ。お姉様を返してほしければ、帝都の地下深くまでいらっしゃい。……そこが、新しい世界の誕生の場所よ」
ソフィアが嗤い、教国の信者たちが闇の中から現れて私を包囲する。
ゲルハルトはいない。
今まで、どんな絶望的な商談の場でも、どんな暗殺の罠の中でも、私の隣で鉄の匂いをさせていた唯一の理性が、消えた。
(……冷静になりなさい、エルゼ。……感情は計算を狂わせる毒ですわ)
私は、震える指先を自分の胸に当てた。
だが、心臓は動いていないかのように静かだった。
代わりに、脳内で何かが淡々と計算を開始している。
『――フェーズ2:周辺環境の整理。敵対的生物を24体感知。』
「捕らえなさい! 聖女様を、マギウス様の下へ!」
教国の暗殺者たちが一斉に飛びかかる。
私は動かなかった。扇を広げることもしなかった。
ただ、指先を一点に向けた。
「……計算を、終了します」
刹那。
私に触れようとした暗殺者たちの体が、まるで重力が反転したかのように、不自然な角度で天井へと叩きつけられた。
悲鳴さえない。ただ、肉が押し潰される鈍い音だけが響く。
「……? お姉様、何を……?」
ソフィアの顔から余裕が消える。
私の瞳からは、色が消えていた。
鏡を見なくても分かる。今の私は、帳簿を愛する令嬢ではなく、冷徹な『プログラムの実行者』になっている。
「……。邪魔ですわ、ソフィア。……貴女たちの非効率な信仰のために、私の大切な『投資先』であるあの人を傷つけた罪……。万死に値しますわよ」
私は一歩、空中に踏み出した。
床がない。だが、私の足の下には、透明なデジタル・グリッドが出現し、私を支えている。
「あ……あはは! そうよ、お姉様! それこそが神の姿よ!」
ソフィアは狂喜して跪くが、私は彼女さえも見えていなかった。
私の意識は、消えたゲルハルトの「残留思念」を、必死に帝都の全域から検索していた。
――。
その時。
帝都の北側、分断された空間の向こう側から、空気を震わせる凄まじい「咆哮」が届いた。
ドォォォォォン……!
幾重にも張られた教国の結界を、ただの「筋力」と「執着」だけで食い破ろうとする、怪物の怒号。
ゲルハルトだ。
彼は魔法もシステムも関係なく、愛する女を奪われた怒りだけで、帝都そのものを物理的に破壊し始めていた。
『――ターゲット:個体名ゲルハルトを、システムの正常化を妨げる「高リスク・エラー」と認定。……抹殺プロセスを開始しますか?』
脳裏に浮かぶ、血のように赤い「YES」のボタン。
(……やめなさい……。やめて……!)
私は、自分の指が勝手に動き出すのを、もう片方の手で押さえつけた。
「……。閣下、来ないで。……。今の私に近づけば、システムが貴方を……殺してしまいますわ……」
氷の令嬢の目から、数滴の涙が零れ落ちる。
だがその涙さえ、地面に届く前にデジタルの光となって消滅していった。
愛する者の咆哮と、自分を消去しようとするシステム。
エルゼ・フォン・ザイフリートの「逆襲」は、ついに自分自身の運命を相手取った、最も残酷なフェーズへと突入した。
第37話、お読みいただきありがとうございました。
ついに来てしまいました……エルゼ様とゲルハルト閣下の、悲劇的な分断。
どんな理不尽も跳ね返してきた二人ですが、エルゼ様自身の「システム」が、愛するゲルを「排除対象」にしてしまうという、これ以上ない試練。
空間を物理で壊して迎えに来るゲルハルト閣下の「重すぎる愛」……。
もはや執着の域を超えて、神への反逆者と化しています。
「二人を引き離さないで!」「ゲルハルト閣下、早くエルゼ様を奪い返して!」
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次回、鉄の愛、爆発。エルゼを奪われた怪物の「帝都蹂躙」。
お楽しみに。




