第34話 地下の囁き。聖遺物と、エルゼの記憶に眠る「数式」
「……見せろ、エルゼ」
深夜の寝所。月明かりさえも拒絶する重厚なカーテンの裏側で、ゲルハルト閣下の低い声が響いた。
逃げようとした私の手首を掴む彼の指は、鉄のように冷たく、けれど微かに震えている。
「何でもありませんわ、閣下。……ただの、肌荒れです」
「嘘を吐くな。……貴様が鏡を見て、あれほど絶望した顔を隠せると思っているのか」
強引に背を向けさせられ、髪をかき上げられる。
首筋に、彼の熱い呼気が触れた。直後、彼が息を呑む音が聞こえた。
そこには、昨夜よりも鮮明に浮かび上がった『バーコード』の紋様。
黒い線が並ぶそれは、皮膚に描かれたものというより、内側から発光しているかのようだ。
「……これは、呪いか? 皇太后があのおぞましい箱で貴様に何を仕掛けた!」
ゲルハルトの瞳に、剥き出しの狂気と守護の意志が混ざり合う。彼はその紋様を、自らの唇で上書きしようとするかのように激しく口づけを落とした。……だが、その唇が触れた瞬間。
『――システム・アップデート。ローディング……12%。干渉を感知。』
脳裏に響く無機質な声。私の身体が、私の意思を離れて微かに痙攣する。
「閣下、離れて……っ!」
私は彼を突き飛ばし、胸を押さえて荒く息を吐いた。
……違う。これは呪いなどではない。
これは、もっと理不尽で、もっと冷徹な……「システム」だ。
「……。明日、地下へ向かいますわ。皇太后様が仰っていた、あの聖遺物の『源流』へ」
ゲルハルトの昏い瞳を見つめ返し、私は決意を告げた。
このままでは、私は「私」という個体から、単なる「管理者」というパーツに書き換えられてしまう。
◇
帝都ヴィクトリアの地下深く。
宮廷魔術師たちですらその全容を知らぬという、禁忌の聖域。
そこには、魔法の輝きとは無縁の、鈍い銀色の金属で覆われた「壁」が立ちはだかっていた。
中央には、継ぎ目のない巨大な扉。その表面には、複雑な幾何学模様が刻まれている。
「……辺境伯夫人、お止めなさい。ここは神の領域。数百年間、いかなる高位魔法も、この『嘆きの門』を揺らすことすらできなかったのです」
案内役の老魔術師が、震える声で警告する。
だが、私の目には、それが魔法の結界には見えなかった。
「神、ではありませんわ。……これは単なる『音声・波長認識(Audio Recognition)』によるロックです」
私は門の前に立ち、表面の幾何学模様の一部に手を触れた。
冷たい。……懐かしい、金属の温度。
「エルゼ……」
ゲルハルトが背後で剣の柄を握る。彼は、私の指先からこの世界の理が零れ落ちていくのを、本能的に察知しているようだった。
「大丈夫ですわ、閣下。……数式は、嘘を吐きませんもの」
私は、扉の模様……いや、スピーカーグリルを模した文様に向かって、前世の記憶に刻まれていた特定の「周波数」を口ずさんだ。
歌ではない。それは、特定の共鳴を引き起こすための、単調なハミング。
$$f = \frac{1}{2\pi \sqrt{LC}}$$
脳裏に浮かぶ共振回路の公式。
私の声が、地下の静寂に波紋を広げる。
刹那。
魔術師たちが「神の怒り」と称した放電現象が扉を包んだが、私は動じなかった。
特定の周波数が重なり、干渉(Interference)が起きた瞬間。
『――ユーザー認証:管理者(Admin)エルゼ。波長照合完了。』
ゴオン……という地鳴りとともに、数百年動かなかった「門」が、滑らかに左右へとスライドした。
「ば、バカな……!? 呪文も、魔力も使わずに!?」
魔術師たちが腰を抜かす中、扉の向こうから漏れ出してきたのは――。
埃臭い魔法の残滓ではない。
キン、と冷えた空気。
循環を続ける機械の駆動音。
そして、淡い青色のLEDライトが、幾筋ものラインとなって奥へと続く通路を照らし出した。
「……これは、何だ。……。ここは、本当に神の庭だというのか?」
ゲルハルトが、茫然と通路を見つめる。
その光景は、戦場を駆ける騎士にとって、悪夢よりも不可解なものだったろう。
だが、私にとっては違った。
そこは、香水の蒸留器よりも遥かに精密で、ザイフリートの鉱山よりも遥かに巨大な――「プラント(工場)」だったのだ。
「……。行きましょう、閣下。……。私の知識が、ただの『思い出』なのか、それとも『記録』なのか……確かめなくてはなりません」
私は、もはや「エルゼ」という個人の感情を半分失ったような、冷徹な足取りで青い光の中へと踏み出した。
通路の奥。
大型コンピューターのような筐体が立ち並ぶ中心に、一人の少女の姿をした『ホログラム』が浮かび上がった。
『待っていました。……管理者、エルゼ様。』
少女は、私と瓜二つの顔で、けれど感情を欠いた微笑みを浮かべた。
『プロジェクト:ガーデンの再起動まで、あと88%。……世界を「初期化」するための算盤を、どうぞお持ちください。』
ゲルハルトの手が、私の肩を砕かんばかりに強く掴んだ。
初期化。
その言葉が意味する絶望を、私の「化学」と「帳簿」が、瞬時に計算し尽くしてしまった。
ザイフリート領の繁栄も、王都の没落も、そしてこの不器用な愛さえも。
すべては、この冷たい光の中で管理された「シミュレーション」の一部だったのか――。
第34話、お読みいただきありがとうございました!
ついに物語が「異世界内政」から「オーバーテクノロジーによる世界の再定義」へと変貌を遂げました。
エルゼ様の首筋のバーコード、そして地下に広がる青い光の回廊……。
魔法を「技術」で圧倒するカタルシスは健在ですが、その代償としてエルゼ様自身のアイデンティティが揺らぎ始めます。
そして、妻が「神」や「機械」のような遠い存在になっていくことに、誰よりも早く恐怖を感じているゲルハルト閣下。
彼の「俺から離れるな」という独占欲は、今や一人の女を守るためではなく、世界というシステムから彼女を奪い返すための戦いへと変わろうとしています。
「科学だと思っていたらSFだった……!」「エルゼ様、初期化なんてしないで!」
と思ってくださった皆様、ぜひ【下部の☆☆☆☆☆】をポチッと押して評価、または【ブックマーク】をお願いいたします!
皆様の応援が、エルゼ様に「人間としての意思」を留まらせる力となります。
次回、経済制裁2.0。帝都の物流を「紙一枚」で停止せよ。
……世界の謎に直面しつつも、エルゼ様は止まりません。まずは帝都の腐った利権を「お掃除」して、自分の拠点を固めます!
お楽しみに!




