第33話 執着の牙。ゲルハルト、帝都の軟派貴族を「無言」で威圧する
「――エルゼ!」
静寂を切り裂き、庭園のガゼボに鉄の軍靴が踏み込んだ。
抜刀された大剣が、夕陽を反射して凶悪な光を放つ。ゲルハルト閣下の全身から放たれる殺気は、周囲の空気を物理的に凍らせ、給仕の侍女たちが悲鳴を上げて逃げ出すほどだった。
「あら、閣下。……一分、過ぎてしまいましたかしら?」
私は、皇太后の目の前で毒を中和したばかりのティーカップを置き、ゆっくりと立ち上がった。
私の足元では、先ほどまで「システム・オンライン」と不気味な声を上げていた聖遺物の箱が、今は沈黙を保っている。けれど、その黒い表面に映った自分の顔は、今までにないほど蒼白だった。
「……。皇太后陛下。……我が妻に、これ以上何の用だ」
ゲルハルトが私の肩を、痛いほどの力で引き寄せる。彼の胸の鼓動は、戦場でのそれよりも激しく、速かった。
「くすっ。……怖い騎士様。……。案じなくてもいいわ、ザイフリート。……この娘は、私の毒などでは死なない。……もっと、残酷で、甘美な『宿命』に愛されているもの」
皇太后エリザベートは、翡翠の瞳を細めて私をじっと見つめると、聖遺物を懐へと隠した。
「行きなさい。……。帝都の夜は長いわよ、魔女殿」
◇
城への帰路、ゲルハルト閣下は一言も発しなかった。
馬車の中、彼は私の腰を抱きしめたまま、その顔を私の首筋に埋めていた。
……。まるで、私が今この瞬間にでも、砂のように崩れて消えてしまうのを恐れているかのように。
「……。閣下、苦しいですわ」
「……。黙っていろ。……。貴様は、あの箱を前にして、俺が見たこともない顔をしていた。……。何を、知ったのだ」
彼の低い声が、喉元で震える。
言えるはずがなかった。あの箱から、前世の言語……それも、デジタル言語が響いたなどと。そして、管理者の名に、私の名が刻まれていたなどと。
「……。何でもありませんわ。ただ、少し眩暈がしただけです」
「嘘を吐くな」
ゲルハルトが私の顎を強引に持ち上げ、その昏い紅の瞳で私を射抜いた。
「貴様のその瞳は、俺を見ていない。……どこか、遠い場所を見ている。……。許さん。……。貴様の知恵も、魂も、その視線一つですら、俺以外の何物にも渡さんと言ったはずだ」
彼の指先が、私の唇をなぞり、押し広げる。
重い。あまりにも重い執着。
けれど、世界の基盤が揺らぐような不安の中にいる私にとって、その重さは唯一の錨だった。
◇
翌夜。帝都での滞在を祝う、第二夜の晩餐会。
皇太后との会談が「良好な結果に終わった」という噂が広まったせいか、会場の貴族たちの態度は、初日の嘲笑から「値踏み」へと変わっていた。
「……。ザイフリート領主夫人。……。閣下がお席を外されている間、私と一曲いかがかな?」
ゲルハルトが皇帝に呼び出された一瞬の隙を突き、数人の若手貴族が私を囲んだ。
中でも、金髪を美しく整えたカスティール侯爵家の嫡男は、自信満々の笑みを浮かべて私の手を取ろうとする。
「辺境の不器用な男には、貴女のような気高き薔薇は毒が強すぎる。……。帝都の『洗練』を知れば、貴女のその知恵も、より輝くはずだ。……。どうかな、私と共に、新しい香水の店を立ち上げるというのは?」
口説き文句に、利権の提示。
私は、彼の差し出した手を、扇の端で冷たく払いのけた。
「侯爵様。……。洗練、とお仰いましたが。……。貴方のその纏っている香水の配合、計算が三パーセントほど狂っていますわ。……。その微かなアンバランスさが、貴方のその浅薄な人格を雄弁に物語っておりますけれど?」
「な……っ!? 貴様、辺境の女が何を――」
侯爵が激昂し、私の腕を掴もうとした、その時。
会場の喧騒が、一瞬で「死」のような静寂に包まれた。
侯爵の背後に、影が落ちる。
言葉はなかった。
ただ、そこにゲルハルト閣下が立っていた。
彼は剣を抜いていない。
だが、その眼光だけで、侯爵の心臓を物理的に握り潰したかのようだった。
閣下の肩から溢れ出す殺気は、もはや魔力というよりは、古の怪物の咆哮に近い。
「……。ひっ、あ、あ……」
侯爵は、掴もうとした手を空中で凍らせ、ガタガタと膝を震わせた。
ゲルハルトは無言で一歩、踏み出す。
それだけで、侯爵は自らの失言と恐怖のあまり、無様に後ろに転び、腰を抜かして這いつくばった。
「……。邪魔だ。失せろ」
その一言で、侯爵と取り巻きたちは、悲鳴すら上げられずに這うようにして逃げ去っていった。
「……。閣下、やりすぎですわ。これでは私が、歩く立ち入り禁止区域だと思われてしまいます」
私が溜息をつくと、ゲルハルトは私の腰を強引に、そして乱暴に引き寄せた。
周囲の貴族たちが息を呑む。社交界の礼儀など、今の彼には微塵も関係なかった。
「……。それでいい。……。貴様に触れていいのは、俺の剣に斬られる覚悟がある者だけだ」
ゲルハルトは私の首筋、皇太后に狙われたその場所に、見せつけるように熱い、熱い唇を押し当てた。
周囲への宣言。
この女は、俺の獲物であり、魂である。一歩でも近づく者は、国ごと滅ぼすと。
◇
深夜、与えられた離宮の寝所。
ゲルハルトが私を抱いたまま眠りに落ちた後。
私は一人、月の光の下で鏡を覗き込んだ。
聖遺物の起動以来、微かな熱を帯びていた首筋。
ゲルハルトが口づけを落とした、そのすぐ横に。
「……。なに、これ……」
そこには、昨夜まではなかった「痣」が浮かび上がっていた。
それは、あざというにはあまりに規則的で、無機質な。
細い数本の線が並んだ、黒い紋様。
――バーコード($Bar-code$)。
私の前世に存在した、情報の識別子。
それが、私の白い肌に、呪印のように刻まれていた。
『――System Loading:9%……』
脳裏に直接響いたのは、あのアナウンス。
鉄の匂いがする夫の腕の中で、私は、自分の身体が自分のものではなくなっていくような、底知れぬ恐怖に震えることしかできなかった。
第33話、お読みいただきありがとうございました!
ゲルハルト閣下の「無言の威圧」……。言葉よりも殺気で語るその姿に、帝都の軟派貴族も読者の皆様も震えていただけましたでしょうか?
独占欲がカンストした後の、首筋への深い口づけ……。閣下の溺愛は、環境が変わるごとに重さを増していきますわね。
しかし、ラストに衝撃の展開!
エルゼ様の首筋に浮かび上がったのは、なんと現代の「バーコード」!?
ファンタジーの世界に侵食する、デジタルな謎。
エルゼ様は、単なる転生者ではなく、この世界の『システム』の一部なのでしょうか……。
「閣下の溺愛にキュンとしたと思ったら、ホラー展開で鳥肌が……!」「エルゼ様、一体どうなっちゃうの!?」
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次回、地下の囁き。聖遺物と、エルゼの記憶に眠る「数式」。
ついに帝都地下の禁域へ。科学と魔法の境界線が崩れ落ちます。
お楽しみに!




