第32話 黄金の檻。エルゼ、皇太后からの「毒入り茶会」を化学分析
「……エルゼ。やはり、俺も行く。皇太后という女は、皇帝よりも遥かに蛇に近い」
帝宮の奥深く、苔むした静寂が支配する「沈黙の庭園」の入り口で、ゲルハルト閣下が私の腕を掴んで離さなかった。彼の指先には、いつでも剣を抜けるような緊張が走っている。
「閣下。……入り口で待機しているのが『専属騎士』の仕事ですわ。……それに、蛇の毒なら、私は既に解毒剤の処方を知っておりますもの」
私は彼の無骨な手に自分の手を重ね、安心させるように微笑んだ。
閣下は不服そうに唇を噛んだが、やがて私の額に、お守りを刻むように深い口づけを落とした。
「……一分だ。予定の時間を一分でも過ぎれば、俺は礼儀を捨てて踏み込む」
◇
庭園の奥、黄金の装飾が施されたガゼボ(あずまや)に、彼女はいた。
帝国の実質的な支配者、皇太后エリザベート。
老婆というにはあまりに艶やかな銀髪と、すべてを見透かすような鋭い翡翠の瞳。彼女の傍らには、古びた金属製の「箱」が置かれていた。
「よく来たわね、ザイフリートの魔女。……掛けなさい」
挨拶もそこそこに、皇太后が自ら紅茶を注いだ。
湯気と共に立ち上るのは、最高級のダージリンの香り。……だが、その芳醇な香りの裏側に、私は「それ」を嗅ぎ取った。
微かな苦み。そして、揮発性の低いアルカロイド特有の、鼻の奥を刺すような違和感。
「……。いかがしたの? 帝都の茶はお口に合わないかしら?」
皇太后が、優雅に自らのカップに口を付ける。
私は無言でカップを手に取り、その色を光に透かした。
「……。アトロピン($C_{17}H_{23}NO_3$)、それからスコポラミン。……ベラドンナ草の抽出液ですわね。皇太后陛下。……私の胃壁を麻痺させて、この場で意識を失わせるおつもりかしら?」
皇太后のカップを持つ手が、一瞬、止まった。
「……何のことかしら? 私が淹れたのは、ただの最高級の茶よ」
「いいえ。……陛下は、この茶に微量の酸($Acid$)を加えておられますわ。それによって、毒成分の苦みを隠しつつ、吸収を早める狙いでしょう。……ですが、残念でしたわね。私の嗅覚は、分子レベルの歪みを見逃しませんの」
私は懐から、銀色の小さな小瓶を取り出した。
それはザイフリート領で精製した、高純度の活性炭粉末と、中和用のアルカリ剤を配合した特製の「理系キット」だ。
私は皇太后の見守る前で、その粉末を自分のカップへと落とした。
シュワシュワと微かな音を立てて、紅茶の色が瞬時に変わり、再び元の透明感を取り戻す。
「毒は、適切な吸着剤とpH調整($potential\ of\ Hydrogen$)によって無力化できますわ。……むしろ、陛下」
私は、自分のカップからティーさじ一杯分の液体を掬い、皇太后のカップへと落とした。
「私が加えたのは、中和剤だけではありません。……ベラドンナの成分を化学的に分解し、その副産物として『バニラに近い芳香』を発生させる触媒($Catalyst$)です。……どうぞ、召し上がってみて。……毒よりも、ずっと甘美な香りがいたしますわよ?」
皇太后は、絶句して私を見つめていた。
恐怖、驚愕、そして……歪んだ好奇心。
「……。ハッ、ハハハ! ……皇帝が言っていた通りだわ。貴女は人間ではない。……知識という皮を被った、異界の怪物ね」
皇太后は毒気が抜けたように笑い、傍らに置いていた「箱」――聖遺物へと手を伸ばした。
「……ならば、見せてあげましょう。……貴女のその『知恵』が、これと同じ起源を持つものなのかどうかを」
皇太后が聖遺物の表面に触れた、その瞬間。
このファンタジーの世界には、決して存在するはずのない音が、ガゼボの中に響き渡った。
『――システム・オンライン。ユーザー認証……エラー。バイオメトリクス……未登録。』
無機質な、合成音声。
そして、聖遺物の表面に浮かび上がったのは……。
「……。嘘でしょ。……液晶($LCD$)ディスプレイ?」
私の現代知識が、悲鳴を上げた。
それは魔法などではない。
明らかに、私の知る「前世の世界」の、それも未来に近いテクノロジーの産物だった。
「……エルゼ・フォン・ザイフリート。……この『神の箱』が、貴女の言葉に反応して歌っているわ。……さあ、教えてちょうだい。……貴女は、一体『どこ』から来たの?」
皇太后の翡翠の瞳が、狂気的な輝きを帯びて私を捕らえた。
ザイフリートの黒字、帝国との通商条約。そんなものが霞むほどの、巨大な世界のバグが、目の前で口を開けていた。
庭園の入り口でゲルハルトが異変を察知し、剣を抜く音が聞こえる。
けれど、私の意識は、目の前の「デジタル画面」に表示された、ある一行のコードに釘付けになっていた。
『Project:GARDEN ―― Administrator:Elize.』
(……私の、名前……?)
鉄の荒野に降りた奇跡は、偶然などではなかった。
香水の香りが、遠い過去……あるいは未来の、鉄と油の匂いへと混ざり合っていくのを、私は戦慄と共に感じていた。
第32話、お読みいただきありがとうございました!
「毒入り茶会」というベタな展開を、ガチの化学分析で粉砕するエルゼ様!
毒をバニラの香りに変えてしまうという、圧倒的な「格の違い」を見せつけていただきましたわ。
しかし、物語はここで急展開!
皇太后が持っていた聖遺物は、なんと「現代の精密機械」だった!?
ファンタジーの世界に突如現れたSF要素……。エルゼ様の知識の源流に、一体何が隠されているのか。
「エルゼ様の化学無双、もっと見たい!」「聖遺物のシステムボイスに鳥肌が立った……」
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次回、執着の牙。ゲルハルト、帝都の軟派貴族を「無言」で威圧する。
……一旦シリアスを挟みつつ、ゲルハルト閣下の「重すぎる溺愛」で皆様の糖分を補給していただきます!
お楽しみに!




