異端の探偵
——人間は、見たいものを見る。
聞きたい言葉を聞き、信じたいものを信じる。
だからこそ、目の前にある真実を見落とす。
服部宗平という男は、そう考えているらしい。
もっとも。私が初めて彼に出会ったとき、そんなことを考えている人間だとは、少しも思わなかった。
だって、その男は、どう見てもただの、だらしない人だったのだから。
◇
王城の会議室。
窓の外には、朝の光が差し込んでいた。
けれど、室内の空気は重かった。
私たち三人の前には、一枚の紙片が置かれている。
端に乾いた血が付着した、小さな紙。
そこに書かれていたのは、日本語だった。
『四人目を探すな』
その文章を読み上げた瞬間、会議室は静まり返った。
「……四人目?」
低い声が響いた。
声の主は、部屋の入り口近くに立つガイルだった。
「……それは、どういう意味だ?」
ガイルが私たちを見つめた。
「……分かりません」
私は首を横に振った。
「ただ、日本語で書かれています」
「にほんご?」
ガイルが眉をひそめる。
「私たちの世界の言葉です」
美琴が答えた。
「この国の文字とは違います」
ガイルは腕を組んだ。
「……つまり、この文章を書いたのは異界の人間ということか?」
「必ずしも、そうとは限りません」
レオンが一歩前へ出て、ガイルの言葉を否定した。
彼は丁寧な口調で続けた。
「異界の文字を、何らかの方法で写し取った可能性もあります」
「……なるほど」
ガイルが頷いた。
「だが、なぜ神官長の遺体の下にあった?」
「それは、まだ分かりません」
レオンは静かに答えた。
「ただ、神官長様が召喚術式の記録を調べていたことは確かです」
私は紙片を見つめた。
四人目。
私たちは三人で召喚された。
それなのに、どうして四人目という言葉が出てくるのだろう。
「……陛下」
ガイルが女王へ視線を向けた。
「この件について、どのようにお考えですか?」
女王セレスティアはしばらく黙っていた。
そして、静かに答えた。
「……現時点では、何とも言えません」
その表情には、深い憂いが浮かんでいた。
「ただし、一つだけ確かなことがあります」
女王は私たちを見つめた。
「この事件は、勇者召喚と無関係ではないのかもしれません」
私は思わず唇を噛んだ。
世界を救うために召喚された勇者。
それなのに。
私たちは、殺人事件に巻き込まれていた。
◇
——同時刻。
グランフェルト公爵家の屋敷では、一人の男が盛大に欠伸をしていた。
「……ふぁぁ」
二十代半ばほどの男、背が高く、細身でボサボサの黒髪、生気のない瞳。
そして、皺だらけの黒いコート。
彼は公爵家の客間に置かれたソファに寝転がり、天井を眺めていた。
時刻は、すでに昼近い。
しかし、彼はまだ起き上がる気配を見せない。
「……宗平様」
使用人の女性が声をかけた。
「……何です?」
「そろそろ、お起きになられてはいかがでしょうか?」
「……起きていますよ」
「……ですが、ずっと横になっておられます」
「横になっているだけです」
使用人は困ったように微笑んだ。
「……本日は、何かご予定が?」
「ありませんね」
「……そうですか」
「ええ」
宗平は目を閉じた。
「……平和で何よりです」
使用人は小さく溜息をついた。
この男は、グランフェルト公爵家の用心棒だった。
しかし。普段から屋敷の警備をしているわけでもなければ、訓練に励んでいるわけでもない。
事件が起きなければ、基本的に何もしない。
食事をし、寝て、時々本を読む。
そして、気が向いたときだけ外へ出る。
使用人たちの間では、密かにこう呼ばれていた。
——公爵家の厄介な居候。
もっとも。
宗平本人は、その評価を気にしていなかった。
「……宗平」
そのとき、低い声がした。
部屋の入り口に、アルベルト・グランフェルト公爵が立っていた。
落ち着いた灰色の髪。
威厳のある眼差し。
濃紺の礼服。
王国でも有数の名門貴族を率いる男だった。
「……おはようございます」
宗平が眠そうに答えた。
「もう昼だ」
「……そうでしたか」
「お前は、いつまで寝ているつもりだ?」
「……特に予定もありませんので」
公爵は眉間を押さえた。
「……まったく」
そして、静かに告げた。
「王城へ行くぞ」
宗平は目を開けた。
「……王城?」
「ああ」
「……嫌です」
即答だった。
公爵は額に青筋を浮かべた。
「まだ理由も聞いておらんだろう!」
「……王城なんて、面倒事の塊でしょう」
宗平は再び目を閉じた。
「行く気にならないですね」
「神官長が殺された」
その言葉に。
宗平の瞼が、わずかに動いた。
「……」
「しかも、密室でな」
沈黙。
宗平はゆっくりと身体を起こした。
「……密室?」
「ああ」
「……本当に?」
公爵は眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「……いえ。ただ、少し興味が湧いただけです」
公爵は小さく笑った。
「ならば、同行するな?」
「……仕方ありませんね」
宗平は立ち上がった。
「ですが、先に言っておきます」
「何だ?」
「僕は、王城に入るのは初めてです」
「知っている」
「迷子になっても、責任は取りませんよ」
「私から離れるな」
「努力します」
公爵は深く溜息をついた。
そして。
「……宗平」
「はい?」
「せめて、その髪くらい整えろ」
「ああ。無理ですね」
「なぜだ!」
「……寝癖というのは、簡単には直らないものですから」
そう言った彼の表情には少しだけ、笑っているようだった。
公爵は、今日何度目か分からない溜息をついた。
◇
王城正門。
豪華な馬車が、ゆっくりと停車した。
深い紺色の車体。
金色の装飾。
扉には、獅子と剣を組み合わせた紋章が刻まれている。
グランフェルト公爵家の紋章だった。
「グランフェルト公爵閣下、ご到着!」
門番の声が響く。
騎士たちが一斉に姿勢を正した。
馬車の扉が開く。
最初に降りてきたのは、アルベルトだった。
「閣下。お待ちしておりました」
門番が深々と頭を下げる。
「うむ。ご苦労」
公爵は短く答えた。
そして、馬車の中へ声をかける。
「……宗平。着いたぞ」
返事はなかった。
「?」
沈黙。
公爵は小さく溜息をついた。
「……まったく」
そして、馬車の扉を大きく開けた。
「いつまで寝ているつもりだ」
「寝ていませんよ」
ようやく、男の声がした。
「楽しみでもう一睡もできませんよ」
「そういう言い方はやめろ。とっくに着いている」
「そうですか」
馬車の奥から、宗平がゆっくりと姿を現した。
門番たちは、思わず顔を見合わせた。
「……あの」
一人の騎士が恐る恐る口を開いた。
「閣下。そちらの方は……?」
「ああ……。私の護衛だ」
しばらく間を置いて公爵は答えた。
「……護衛?」
騎士は宗平を見つめた。
鎧も着ていない。
武器らしいものも見当たらない。
それどころか、今にも眠ってしまいそうな顔をしている。
「……失礼ですが」
騎士が尋ねた。
「本当に、護衛なのですか?」
宗平は騎士を一瞥した。
「何か問題でも?」
「い、いえ。ただ……」
「随分と頼りなく見える、と?」
騎士は言葉に詰まった。
宗平は肩をすくめた。
「ご安心ください。僕もそう思っていますから」
「……宗平」
公爵が低い声で呼ぶ。
「冗談ですよ」
宗平は面倒くさそうに答えた。
そして、ふと騎士の手元へ視線を向けた。
「……ところで、あなた」
「……はい?」
「昨夜、東棟の警備を担当していましたね?」
騎士の表情が変わった。
「……なぜ、それを?」
「簡単なことです」
宗平は気怠そうに答えた。
「右手の手袋に青い蝋が付着している。王城東棟の廊下では、ほかの区画とは異なる青い蝋燭が使われているそうですね」
「……!」
「それに、靴の縁には白い砂が付いている」
宗平は騎士の足元を指さした。
「王城の東側にある中庭は、白い砂利が敷かれている。西側とは違ってね」
騎士は思わず自分の靴を見下ろした。
「さらに、左手の甲には新しい擦り傷がある」
「……え?」
「今朝、東棟で扉を破壊した騎士がいたと聞きました」
宗平は眠そうな目を細めた。
「その際、あなたも現場にいた。恐らく扉の破壊に加わったか、すぐ近くで補助していたのでしょう」
騎士の顔色が変わった。
「……な、なぜ……」
「別に、大したことではありません。見れば分かることです」
公爵が小さく笑った。
「相変わらずだな」
「何がです?」
「お前の悪い癖だ」
「……癖?」
「人を見るなり、勝手に調べ始める」
宗平は肩をすくめた。
「仕方ないでしょう」
そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……人間というのは、見ているだけで色々と教えてくれますから」
騎士は呆然と男を見つめていた。
「……何者なんだ、あなたは」
「この世界で唯一の探偵。服部宗平。以後、お見知りおきを」
そう言ったあとにニカッと口角を上げて笑みを浮かべる。
◇
王城の廊下。
宗平は天井を見上げながら歩いていた。
高い天井。豪華な装飾。壁には歴代の王族の肖像画が並んでいる。
「……へえ」
宗平が呟いた。
「……思っていたより、広いんですね」
公爵が横目で見る。
「初めて来た感想がそれか?」
「……ほかに何を言えば?」
「少しは感動したらどうだ」
「……広い建物を見ると、掃除が大変そうだと思うだけです」
公爵は眉間を押さえた。
「……お前という男は」
そのとき。
「グランフェルト公爵閣下」
背後から、低い声が響いた。
振り返ると、ガイルが立っていた。
「お待ちしておりました」
ガイルは公爵へ一礼した。
「ガイル団長か」
公爵が頷いた。
「事件の状況は?」
「神官長エルド様は、東棟の執務室で殺害されました。扉は内側から施錠され、窓も閉ざされていたと報告されています」
宗平が小さく呟いた。
「……密室、ですか」
ガイルが視線を向けた。
「……貴様は?」
「どうも、団長。僕は服部宗平です」
「……服部?」
ガイルは宗平を見つめた。
ボサボサの黒髪。皺だらけのコート。嫌に笑顔なその男。
その姿を見て、ガイルの眉が動いた。
「……公爵閣下」
「何だ?」
「こちらの男は、何者です?」
「私の用心棒だ」
公爵が答えた。
「……用心棒?」
ガイルは宗平を見つめた。
「……随分と頼りなさそうだな」
宗平は肩をすくめた。
「よく言われます」
「武器は?」
「持っていません」
「鎧は?」
「ありません。その場にあるものを使います」
「……それで、どうやって公爵閣下を守るつもりだ?」
宗平は少し考えた。
そして。
「それはその時の状況によりますが、依頼人の安全は保証しますよ」
沈黙。
ガイルの眉間に深い皺が刻まれた。
「……ふざけているのか?」
「いいえ。真剣ですよ」
宗平は真顔で答えた。
「危険を避けるのが、一番確実な護衛方法でしょう」
公爵が小さく笑った。
「相変わらずだな」
ガイルは深く息を吐いた。
「……なるほど」
そして、低い声で続けた。
「どうやら、厄介な男を連れてきたようですな」
公爵は苦笑した。
「……否定はせん」
「……ガイル団長」
宗平が突然、声をかけた。
「……何だ?」
「神官長の遺体は、誰が発見したんです?」
「朝の巡回を担当していた騎士だ」
「……扉を破壊したのは?」
「騎士三名だ」
「……窓は?」
「内側から施錠されていた」
「……なるほど」
宗平は少し考えた。
「……それで」
「……何だ?」
「本当に、密室だったんですか?」
ガイルの表情が変わった。
「……どういう意味だ?」
「言葉どおりの意味ですよ」
宗平は眠そうに答えた。
「扉が開かなかった。窓も閉ざされていた」
そして、薄く笑った。
「……ですが、それだけで密室だったと断言できますか?」
ガイルは宗平を見つめた。
「……貴様、何が言いたい?」
「……いえ」
宗平は肩をすくめた。
「現場を見てから、お話ししますよ」
そのとき。
「……興味深いお話ですね」
穏やかな声がした。
振り返ると、レオンが立っていた。
「初めまして」
レオンは丁寧に頭を下げた。
「私はレオン・グレイヴ。宮廷魔導士を務めております」
「……服部宗平です」
宗平が軽く会釈する。
「お噂は伺っております」
レオンが微笑んだ。
「公爵閣下のもとで、数々の事件を解決されたとか」
「それはそれは!王城まで噂がいくとは僕もすみにおけないな」
宗平は肩をすくめた。
「普段は、公爵家で寝ています」
「……何?」
ガイルが眉を細める。
「食事も出ますし、なかなか快適ですよ」
レオンが思わず笑った。
「……面白い方ですね」
「そうですか?あなたも面白い人ですよ」
宗平は首を傾げた。
ガイルは額に手を当てた。
「……公爵閣下」
「何だ?」
「本当に、この男が事件を解決する気があるでしょうか?」
公爵は静かに頷いた。
「宗平は、少々変わっているが……」
そして、穏やかに微笑んだ。
「事件を解くことに関しては、信用できる男だ。私は何度も経験したのだ」
ガイルはしばらく黙っていた。
そして。
「……分かりました」
低い声で答えた。
「ただし、勝手な行動は慎んでもらう」
「……善処します」
宗平は微笑みながら答えた。
「善処では困る」
「……努力します」
「同じことだ!」
レオンが苦笑した。
公爵は、楽しそうにそのやり取りを眺めていた。
◇
王城東棟。
神官長エルドの執務室。
破壊された扉の前で、宗平は足を止めた。
「……なるほど」
彼は床に散らばった木片を見つめた。
そして、しゃがみ込む。
「……ふむ」
指先で木片を一つ持ち上げた。
しばらく眺めた後、静かに立ち上がる。
「……ガイル団長」
「……何だ?」
「扉を破壊したのは、何名ですか?」
「騎士三名だ」
「どのように?」
「体当たりで破壊した」
「……なるほど」
宗平は扉の破損部分を見つめた。
「内側から施錠されていた、と」
「そう報告されている」
「窓も?」
「同様だ」
「ほかに出入り口は?」
「確認されていない」
宗平は小さく頷いた。
「……実に興味深い」
そして、部屋の中へ足を踏み入れた。
彼は部屋の中をゆっくりと歩き回り、床や壁を観察している。
まるで、美術館で絵画を鑑賞しているかのように。
「……おや?」
宗平が足を止めた。
窓の前。
彼は窓枠に手を伸ばした。
「……これは……」
その口元がわずかに緩んだ。
「……さて、ガイル団長」
宗平はガイルへ向き直った。
「一つ、確認したいことがあります」
「……何だ?」
「事件当時はこの部屋を密室だったとおっしゃっていますね?」
「ああ」
「扉は内側から施錠され、窓も閉ざされていた」
「そのとおりだ」
宗平は小さく頷いた。
「……では」
窓辺から離れ、部屋の中央へ歩いていった。
「どうして、密室だったと断言できるんです?」
ガイルが眉をひそめた。
「……どういう意味だ?」
「言葉どおりの意味ですよ」
宗平は微笑んだ。
「皆さんが確認したのは、発見された時点で扉と窓が施錠されていたという事実だけでしょう?」
「……それは」
「殺害された瞬間も密室だったとは、誰も証明していない」
宗平はそう言って事件現場を歩きまわる。
「例えば、密室というのは事件が起きる前から鍵が施錠されてることを意味する。だが、扉が開かないということを密室と考えているなら、それは間違いだ。おそらくだが、その神官長が殺されたときにはまだここは密室ではなかった」
ガイルは腕を組んだ。
そして、机の上に残された羊皮紙へ視線を向けた。
「……ところで」
彼は静かに指をさして尋ねた。
「神官長が調べていた召喚術式の記録は、これですか?」
「はい」
レオンが頷いた。
「勇者召喚に関するものです」
宗平は羊皮紙を手に取った。
しばらく眺める。
そして。
その表情が、わずかに変わった。
「……ほう」
小さな声だった。
「……これは」
宗平は羊皮紙を机に置いた。
そして、静かに笑った。
私はその笑みに、言いようのない不安を覚えた。
「……何か分かったんですか?」
私が尋ねると、宗平は首を横に振った。
「いいえ。まだ何も」
けれど。
その目は、明らかに楽しそうだった。
「ただ……」
宗平はゆっくりと顔を上げた。
「どうやら、この事件には——」
そして、薄く笑った。
「……随分と面白い嘘が隠されているようですね」




