050ニンジンには勝てない
四題
ヤバい集団、インフレ、往復、飯テロ
幻の部族として、人の支配の及ばない秘境で、長く独自の文明を築いた者たちがいた。彼らは外界との交流を拒み、独自の文明を信奉して生きている。
それは数百年と続いた。外界は軍隊を用いてその文明を制圧することも考えたが、秘境までの道のりがあまりに険しいのと、地政学的にも利用価値のない地域だったこともあり、わざわざ巨額をつぎ込んで制圧に向かう国はなかった。
ある時、この秘境に疫病が蔓延した。競争にさらされている外界とは違い、医療分野の進化に乏しかったため被害は拡大し、その時初めて、秘境は外界に解決方法を求めることになる。
外界は友好的にそれを受け入れ、医師団を送ることにした……のだが、医療チームが踏破するにはあまりに僻地であり、組織的な渡航は諦めざるを得なかった。
しかし、山岳とジャングルに阻まれたその場所を徒歩で抜け、辿り着いたたった一人の医師がいた。
名を、ルーフェイという。
背中に大きなバッグを背負った男の見たその場所は、地上の楽園だった。
森と同化した村は幻想的で、外界と比べても何ら劣っていない文化があり、みすぼらしさや汚ならしさはない。澄んだ空気が外界とは比べ物にならないほどに甘く、吹き抜けてゆく風が色味を感じるほどに美しい。
妖精の住処といっても過言ではないこの場所で、とにかく彼は疫病を診断し始めた。
原因は、インフルエンザであった。
猛威を振るえば確かに死病である。実際にルーフェイが到着した頃には、すでに死亡していた者も多かった。
ただ、住人の総数が少ないため、薬が間に合った。男の献身的なケアで村は平穏を取り戻し、彼も周辺を歩く自由を得た……わけだが……。
なにせ顔の質も服装も雰囲気も、何もがここに住む者たちと違っている。
村を歩く健康な者たちからは奇異な目で見られ、子供たちの中には逃げ出す者もいる。男たちは訝しげで、時に攻撃的な視線を向けられることもあった。
彼は苦笑いを浮かべるしかない。よそ者は用が済めば黙って退散するしかないのか。
が、離れるのが惜しい。ここの環境は素晴らしすぎる。……できることなら……もう少し滞在したい。受け入れられたい……。
そういう気持ちも手伝って、彼は家の前で植物に水をやっている娘に声をかけてみた。
「あのー、こんにちは」
鼻歌を歌いながら、しゃがみ込んでジョウロを扱っていた彼女が振り返る。若草色の髪が長く伸びる美しい娘だったが、その顔はみるみる歪んでいき、しまいには悲鳴を上げた。
「ばっ! 化け物ぉぉ!!」
彼女は立ち上がろうとして失敗し、その場に尻もちをつく。エプロンドレスが地面に広がった。
彼は一考し、自分も尻もちをついてみる。
「ひぃぃぃ! ばけものーー!」
「え? え? え……?」
「たべないでーーー!」
彼女は目をぱちくりさせて混乱する。
「え、ちょ……ちょっと……。それ……私のセリフですけど!」
二人で尻もちをついたまま、互いに顔を見合わせた。
「え? キミのセリフ? 俺が、キミを食べるのかい?」
「だって化け物でしょ!?」
「化け物が人間に食われるなんて話は聞いたことがない!」
「私は化け物じゃないっ!!」
そんな彼女を心配したのか。二人の間へと割って入った白い影があった。ハクビシンのようなシルエットだったが、どうもキツネリスのようだ。
彼女は慌てて、〝彼〟の方に手を伸ばす。
「こらアービー! 出てきちゃダメ! 化け物に食べられちゃうわよ!!」
「キミはキツネリスまで食べるのか!?」
「私は化け物じゃないってばーー!!」
「キツネリスか……」
男はバッグを下ろし、ニンジンを取り出してちらつかせる。アービーが反応した。
「あっ! もらっちゃダメ!」
アービーに向かって必死に手を伸ばす彼女。しかしアービーはすでに男に駆け寄っており、彼女の手は空を切る。
「毒かもしれないから!」
声だけがそれを追いかけた。男が怖くてこれ以上は近づけない。
アービーはしかし、容赦なくニンジンを食べてしまっている。娘は彼を睨みつけた。
「何てことするのよっ!!」
「いや、ただのニンジンだって」
「お腹壊したらどうすんの!?」
「このキツネリスは、普段ニンジンは食べないのかい?」
「……食べるけど……」
「ほら……」
「ほらじゃない!! 化け物からもらったものなんて食べたら危ないの!」
「つまり、キミもニンジンがほしいと……?」
「そんなこと一言も言ってない!! ……アービー! いいから戻ってきて!」
彼女は中腰のまま、パンパンと手を叩くが、アービーはニンジンに夢中だ。
「まだあるよ、ニンジン」
「やめて!! アービー! 私とニンジンとどっちが大切なの!?」
その問いが、幸せそうにニンジンにかじりついているアービーには聞こえない。彼女はがっくりと手を地面に突いた。
「う……裏切者……」
「まぁ、強く生きろ」
「誰のせいなのっ!?」
彼女は再び男を睨みつけ、
「いいからアービーを返して!! アンタなんて大っ嫌い!」
ルーフェイはしかし、ムキになっているこの女がかわいく思えてきた。
「またまた……そんなこといいながら、実は俺に一目惚れをしているようだなっ! ほら、図星だろう?」
「ハァ!? そんなわけないでしょ!? なんでそんな話になるのよ! 今、どこに好きになる要素があった!? 断じて嫌いなのっ!」
彼はそれを聞いて、うなだれてみせた。彼女はしてやったりと口角を上げたが、一転小さくなっている彼を見て罪悪感が芽生える。
「しょ……しょんぼりしても無駄だから……!」
「……アービー。俺たちだけで強く生きていこうな……」
「何でアービーがそっち側になってるのーーー!! なんでそんなになついちゃってんのよぉぉ!!」
いつのまにかアービーは男の膝に乗っていて、首を彼の手に擦り付けていた。女は焦る。
「ちょっと待って! アービーは私のなの!! 返してよーー!!」
「ん? アービー、俺と一緒に暮らしたいのか? 俺が一緒に暮らすってことは、このお姉さんも一緒に暮らすってことになるけど、それでいいか?」
「な……!!」
唖然……。
「な、なんでそんな話になるの!?」
「だって、アービーが一緒に暮らしたいって言うから……」
「言うわけないでしょっっ!!」
「いやまぁ、確かに言ってないけど、態度を見れば一目瞭然じゃないか」
女の前で、無残な光景が広がっている。アービーは、完全に男の支配下に落ちていた。
「こ……これは陰謀だっ! アービー! もう嫌い!! もうどこでも行っちゃえ!!」
「仕方ない……」男は立ち上がる。アービーを抱いて。
「行くか……アービー」
「つれていくなぁぁぁぁぁ!!!!」
女は、地面をバンバン叩いて抗議していた。
そして思い出したかのように顔を上げる。
「私を無力な女だと思わないことねっ!」
指を口に挟み込み、ピィと音を鳴らせば、全身に光を帯びたトナカイのような獣が二頭、森を駆け、女を隠すように男の前に立ちはだかった。
「森の守護聖獣『ラルフタルボッチ』よ! もうあなたの好き勝手にはさせないんだから!」
男もさすがに後ずさった。このような光を放つトナカイなど、外界には存在しない。あるところ本当に神なのかもしれない。女が調子づく。
「さぁ! 痛い目見ないうちにアービーを返して! 今なら許してあげるわ!」
「よしラルフタルボッチとやら!」
ルーフェイはバッグからニンジンを取り出す。女が鼻で笑った。
「何でもかんでもニンジンが効くなんて思わないことねっ! アービーとは違うのよ! アービーとは!!」
だが、彼が取り出したのは色艶の良い上モノである。歯ごたえ、みずみずしさは格別であった。
トナカイたちが息をのんでニンジンを見ている。左手にそれを持つ男がそれを持ったまま手を左に伸ばせば視線はそちらへ。手を伸ばしたままぐるーっと時計回りにしてみると、トナカイもぐるーっと首を回した。
……明らかに、興味津々である。女はまた焦った。
「ちょ、ちょっと待ってラルフタルボッチ! まさかアンタたちまで!!」
二頭のトナカイはおそるおそるながら、男に寄っていった。そして首を伸ばし、ニンジンを受け取って……。
女は、絶句した。目をぱちぱちとしば立たせ、何が起きてるのか分からない様子だ。
ラルフタルボッチと言われた二頭は男の前で、すっかり毒気を抜かれていた。何なら二本目のニンジンを受け取ってご満悦の様子だ。
「ちょ……ちょっと!! アンタたち! 守護聖獣としての誇りはないのっ!? そんなにお腹すいてたのっっ!?」
「あ、ニンジンまだあるよ?」
すっかり安堵した男のバッグから続々出てくるニンジンに、女は叫んだ。
「アンタはニンジン畑でも作りに来たのかぁぁ!!」
ラルフタルボッチを取り戻しに行きたいが、男に近寄らなければならない。それは怖い。代わりに叫ぶ。
「な、何してくれちゃってんのよっ!! 守護聖獣をニンジンで買収するなんて聞いたことないわ!!」
しかしその言葉も、森の風に流されてひたすらに空しい。女は歯ぎしりをするしかない。ルーフェイは笑った。
「ほら、こいつらみんな友好的じゃないか。意地を張ってるのはキミだけだ」
「くっ……!」
所詮は畜生だと反論したいが、相手はいつもかわいがっているペットと聖獣である。滅多なことは言えないジレンマが彼女の長い髪の毛を揺らす。
いや、あえて言おう。所詮は畜生なのだ。イキモノに頼るのがよくなかった。彼女はこめかみに険を作り、顎を引いて目をつむり、早口で精霊語を口走る。
「森の妖精メルティアーノ! 私の声を聞いて!」
瞬間、周囲の空気が爆ぜた。直径ニ十センチほどの、人にハチドリの翼をつけたようなナニカが四匹立て続けに現れる。飛び方もハチドリそのままで、目にもとまらぬ勢いで翼がはためいていた。女が勢いづく。
「アービーとラルフタルボッチが敵の飯テロに屈したわ! あなたたちだけが頼りなの!!」
「飯テロって……」
「テロじゃん! 社会的な主義主張を達成する目的で、私の周辺の関係を破壊してるじゃん! それがエサによって行われたなら〝飯テロ〟じゃん!!」
「いや、飯テロの意味違……」
「さぁ! アイツやっつけて!!」
意気込んで男を指さす女。しかし男の手の先には、すでに突き付けられたニンジンが握られていた。
「馬鹿じゃないの!? メルティアーノは妖精なのよ!? ニンジンなんて食べるわけ……って、ええええーーー……!!」
突撃をしたはずのメルティアーノたちは、一直線にニンジンに群がっていた。
結局……
彼女は、ルーフェイを家の中に招き入れるしかなかった。アービーが男の手の内にいる間は、女も男を無下にできない。
男がルーフェイと名乗ると、女も渋々、アリスと名乗った。
木で作られた家自体は小さく、居住スペースとしては一部屋しかない。アリスはアービーから一切目を離さず茶を淹れると、ルーフェイを椅子に座らせて、自分もテーブルをはさんで向かいに座った。アービーは相変わらずルーフェイの膝の上にいる。意味が分からないのは、そこに至るまでにアリスが台所からニンジンをちらつかせても、まったくそこから動かなかったことだ。
「どういうこと!?」
「何を怒ってるんだよ……」
「なんでもないっ! ……で、あなたは何者なの!?」
「ん? 俺はルーフェイ」
「さっき名前は聞いたわよっ!」
「あー、一応医者だよ」
「え……医者……?」
「この村の疫病を治しに来た」
「あ……」
さすがの彼女も、その事情は知っている。彼女自身は罹らなかったが、おかげで村は死霊が棲みついていたかのような状態だった。外界から医者がきて沈静化したことも知っている。
「あ……あの、アレ……だよね? ヤバい集団インフレエンザの……?」
「インフルエンザな?」
「そんな人が……」
「信用した?」
「そんな人が、アービー取るなんて!!」
「いや、取ってないって」
「アービー! なんで私がニンジン見せても飛びついてこないのっ!?」
もう訳が分からない。みんなニンジンに釣られたじゃないのか。
「いやもうさ、これはもう、一緒に暮らしなさいってことなんだと思う。アービーの気持ちを考えてやれよ」
アービーがルーフェイの膝から離れず、彼の胸に顔を埋めて甘えている。アリスは頭を抱えた。
「何でこんなことになっちゃってるの!? もう知らない! 勝手に二人で暮らして!!」
「じゃあ二人で暮らすか、アービー」
「アービーは置いてけーーー!!!」
「おいおい、矛盾してるだろ。……あ、そっか。アービーは一匹だから、勝手に二人で暮らしてっていうのは、俺とアリスが暮らすっていうことか」
「私がアンタと暮らすわけないよねっ!? 分かってる!? 年頃の娘が一人暮らしなのよ!? 分かってる!?」
「彼氏とかは?」
「いないわよっ!!」
「じゃあ、ちょうどいいじゃん」
「よくないっっ! ……だいたい、インフレエンザはなくなったんだよねっ!? アンタもうこの村にいる必要ないじゃん!」
「いや、気に入ったんだよ。この森」
楽園だと思う。外界に帰ってもどうせ鉛のような生活が待っているだけだ。
「アービーも気に入ってくれてるしさ。……な? アービー?」
アービーはルーフェイの首元に上がり、彼の耳を甘噛みした。
「ああ!! 耳噛んだ!! 私にはしてくれたこともないのに!! アービー、いいから早く戻ってきて!!」
「アービーは俺と一緒にこの家で暮らしたいよな?」
「いいからアンタはアービー置いて出ていって!!」
「どうしたら仲良くしてくれるんだよ……」
「仲良くなんてできないっ!!」
ムキになって叫んでる少女だが、実際に美しい。絹織物のように艶めいている若草色の髪が腰まで伸びている様も、長いまつげも、小動物のような……コロコロとよく動く、いつも余裕のなさそうな目元もかわいらしい。
さてどうするかと言ったところでルーフェイは辺りを見回し、とあるものに目を止める。立ち上がって、それに触れた。
「元気ないな」
観葉植物の話だ。アリスはまた焦る。
「ちょ、ちょっと! 勝手に触んないで!」
ルーフェイには分かる。土がよくない。
彼は黙って調理場へ移動すると、ニンジンを取り出して、おろし金ですり下ろし始めた。アリスは突然の行動に、彼から目が離せない。
「米ぬかとかある?」
「米ぬか……?」
「精米してない米ってある?」
「ある……けど……」
一転、真面目な顔になっているルーフェイに、アリスが米櫃を指し示した。すると彼はそれを椀一杯分取り出し、そこにあった石の鉢に入れると、擂粉木を手に取ってトントンと叩き始める。
「あの……何やってるの……?」
「キミも手伝って」
アリスも訳が分からないまま、米櫃とテーブルを何度か往復して同じような作業をする。やがて削ぎ落された黄土色の粉を、すりおろしてから絞ったニンジンと同じ容器に入れて混ぜた。そして彼女に手渡す。
「はい。これを何週間か放置すると甘酸っぱい匂いがしてくるから、そうしたらあの草に撒いてあげてくれる?」
撒くといっても、そのあと土をかぶせてね……とか、いろいろ指示される。アリスは「はい」「はい」と呆気にとられたまま、受け取った容器を胸に抱きしめていた。
「ちょ、ちょっと……」
アリスは混乱しながら、ルーフェイを見ている。彼はそのまま炊事を始めたのだ。
「なにやってるのよ」
「いや、せっかくだから、残った米とニンジンを料理しようと思って」
米を研ぎ、浸水させる。バッグからコンソメの粉末を取り出して、容器で塩を混ぜた。アリスは黙ってその様子を見ている。
ルーフェイはそこで、この小屋に火をつける場所がないことに気づいた。
「これって、火はどうやってつけるの?」
「家の中で火が使えるわけないじゃん」
彼女は意外に素直に彼を外に誘った。村の一角に開けた場所があり、そこにレンガを積み上げた巨大な炉がある。どうやら公共の炊事場らしく、ずっと炭が灼けていて種火が残っている炉を、共同で使用する仕組みのようだ。
鍋をはめ込める場所もある。納得したルーフェイは小屋に戻り、水を吸った米に塩を混ぜたコンソメとニンジンのすりおろしを混ぜ、鍋をもって戻ってきた。アリスも黙ってついてくるし、アービーまでついてくる。
「まぁ、簡単なニンジンご飯だけどな」
火の管理が難しいが、炭火で炊く米と言えば、食欲をそそる。
やがて鍋の中でぷくぷくと音がし始め、蓋の隙間から白い泡がこぼれ出した。米とコンソメのいい匂いが漂って、アリスはルーフェイの隣で鍋から目が離せない。
公共の炉なので、外界の医者が飯を作っているということが噂を呼び、人が集まってくる。アリスはそれに戸惑いながら、今さら家に戻ることができないでいた。
他人のフリをしようにも、アービーがルーフェイの肩に乗ってしまっているのだ。野次馬たちから〝医者はどうもアリスのために飯を作っている〟という言葉が浮かび始めると、困った顔すらできない。
「火加減はどう調節するんだ?」
野次馬の見守る中、彼女はおずおずと三脚を指さした。
「なるほど」
見れば、高さの違う鉄製の三脚がいくつも積まれている。高い三脚の上に鍋を置けば、それだけ火から遠ざかるという仕組みらしい。
ルーフェイは鍋を徐々に火から遠ざけつつ、蓋は取らずに慎重に中の状態を推測した。耳に入ってくる情報と、鍋から沸き立つ匂い……そして炉から下ろし、蓋を開ける。
ふわっと米の匂いのする白い蒸気が上がった。中はすりおろしのニンジンがオレンジ色に輝いている。
「まぁ、いいだろう」
コンソメの香りが漂うそれを、アリスの小屋にあった木製のスプーンで混ぜ合わせていく。ほんのり赤みを帯びたご飯がふっくらと炊けている様をアリスに見せ、にこりと微笑んだ。
それをそのまま、家まで運ぶ。アリスは息をのんでついてくる。ついでに、野次馬たちもぞろぞろとついてきた。
アリスは小さな声で、
「別に……私、食べたくないから……」
「いや、せっかく作ったんだから食ってくれよ。まぁ大したもんじゃないけどな」
この野次馬たちはどうするのかと思ったが、さすがに小屋の中までは入ってはこないらしい。それでも帰らず、何かが起こるのを期待して待っている。アリスもそれに気を使ったか、ドアを開け放って中の様子を隠さない。
のどかな民族性だ……と、ルーフェイは思った。世知辛い世の中をにじり歩いている彼には、その朴訥さに温かみを感じる。
「キミが気に入ったら、今度はみんなにも作ってあげよう」
味わいのある木の皿にニンジンご飯をよそい、テーブルに載せた。香草がまぶしてあり、その緑が山吹色に艶めくコメのアクセントになっている。
アリスはテーブルの前で立ち尽くし、ニンジンご飯をしばらく見つめていた。湯気が立ち込め、それが嗅覚を刺激すれば、胃が震える。
「いらない! ……こんなの、いらないっ!!」
言いながら、重力に引かれるようにして、椅子に座ってしまう。ふかふかのご飯を盛った皿が間近になれば、自分の意思とは無関係に、全身が警鐘を鳴らし始めた。
『食べないと、二度とお前のために働かないよ?』
と、言わんばかりだ。しかしそれでも、これを食べることは今までの彼女の行動の一貫性を疑われることになる。
しかしそんなプライドを引き裂いていく食材の香りが胃袋を鳴らし、唾液を分泌させ、喉を鳴らす。
そしてついに、右手が反乱を始めた。アリスの意思とは別に、細く長い指が木製のスプーンを取ってしまう。
「あっ! あっ! あっ!」
スプーンがご飯をすくっている。舌が鼓を打ってそれを待ち構え、
「だめ! だめぇ!」
口がスプーンを迎え入れると、ほんのりと甘じょっぱい味が口内に広がった。咀嚼すれば、もっちりと弾力性のあるコメの香りが鼻に抜けていくようだ。
『おいしい!』心が叫ぶ。
「飯テロだ! こんなの、何かの陰謀だっ!!」建前が泣く。
言葉と裏腹に、彼女のスプーンが止まらない。実際ほっぺたが落ちる絶品料理……という類ではない。しかし、そこまでの自己主張をしてこないからこそ、毎日でも食べられそうな、飽きの来ないさわやかさがあった。
胃が反乱を起こしまくって、もっともっとを要求している。ニンジンの香りのする炭水化物が腹にたまっていく心地よさが、彼女の身体を完全に支配してく。
そして皿から一片の米粒すらなくなった時、すっかり身体を支配されていたアリスは「ふぅ……」と我に返った。
「おいしかった?」と聞くルーフェイを、彼女はにらみつける。
「あ、アンタ、魔法使ったでしょ! 無理やり食べさせて私を幸せな気持ちにさせたでしょ!!」
「魔法なんか使えないって……幸せな気持ちならいいじゃないか……」
「こんなの絶対に認めない!! これを認めたらっ……!!」
アービーと同レベルになってしまうではないか……。
情けなくもあり、複雑でもある。この男が、悪者に見えなくなってきてしまうなんて……。
「だ、だけど! に、ニンジン一つで釣られるほど私は安い女じゃないのよ!?」
「そんなこと思ってないよ」
と言いながら、ルーフェイはバッグからニンジンを取り出してみる。アリスの目が一瞬輝き、すぐに硬く目をつむってぶるぶると頭を横に振る。
「に、ニンジンなんて! 別に何ともないんだからっ!!」
「いや、分かってるって」笑いながらしまう。と、アリスの目がそれを追いかけた。
「え、え、え……? しまっちゃうの……?」
「めっちゃハマってるじゃないか!」
「ハマってないっ!!」
「俺と暮らすと毎日ニンジン料理できるけど」
「え……?」
アリスの表情がパッと明るくなる。が、すぐにその顔を歪ませ、
「ちょ……! やめてよ! そんなこと言われたら身体が勝手にニンジン求めちゃうんだからやめてっ!」
「まるでニンジンに魔力があるような言い方をするなよ」
「ホントよ! 何なのあのニンジン!!」
アービーがたちまちなついた。ラルフタルボッチが寝返った。メルティアーノが一瞬で落ちた。そして、アリス自身の身体が、反乱を起こした。
「いや、普通のニンジンだって」
そう言って、調理場にもともとあるニンジンをルーフェイは手に取って見せてみた。途端にアリスが尻尾を振り始めたかのように目を輝かせた。
「ど、どういうこと!?」
「よく分からないけど、外界の人間のホルモン的なにかがこの森に作用してるのかもしれないな」
「やっぱり化け物だ!!」
「あはは、化け物でも幸せを運んでくるならいい化け物じゃないか。……どうだ? もう、俺と結婚しちゃうか?」
「なっ……!!」
アリスはごくりとつばを飲み込んだ。
「む、無理に決まってるじゃん!! へ、変なこと言わないでっ!!」
……しかしその時、アリスの身体が、また反乱を起こし始めた。すっくと立ちあがり、床を蹴ってルーフェイの胸に飛び込む。アリスは悲鳴を上げるしかない。
「ばかぁぁ!! なにやってんのわたしぃぃ!!」
ドアの向こうで見ている野次馬たちが歓声を上げる中、ルーフェイが笑った。
「はっはっは。身体は正直じゃないか! もっと本格的なニンジン料理作ってやろうか?」
「わぁぁ!! やったーーー!! ……じゃないーーーー!!!」
ニンジンおそるべし。
アリスの、葛藤の日々が始まった……。




