040『四畳半のトラック』
四題
四畳半、案外便利、ぼんやり、マイペース
少年には、トラックがあった。
荷台の大きさは約四畳半。少年にはこの大きさが案外便利で、運転なんかできなくても秘密基地になったし、雨も風も吹き込まない遊び場だった。
中でおままごともできる。逆立ちもできる。でんぐり返りもできる。電気はつかないから夜はまっくらになっちゃうけど、夜になればおうちに帰ればいいから平気だった。
少年はそのトラックが大好きだった。
運転はできないけど、運転席の、大きなハンドルに抱えるようにしがみつくと、何かすごいことをしているように思えた。足元のペダルに足は届かないし、無理矢理足を延ばすとガラス窓の向こうが何も見えなくなっちゃうけど、少年は潜るようにして、何度もペダルを押してみたりした。びよんびよんって戻ってくるから楽しかった。
運転席の脇にはHよりももう少し複雑に動く棒もあった。それを右に倒したり左に倒したり。……そのうち、月曜日は斜め上、火曜日は斜め下とか、色々決めたりもした。
ハンドルの真ん中にあるボタンだけはものすごい音が鳴るので怖かったけど、ボタンやらレバーやら、何の反応もなくても、押すだけで楽しい。
少年は、トラックと仲良し。
運動会で一等賞になって先生に褒められた日も、
テストが全然できなくて、ママに怒られた日も、
飼っていたハムスターが死んじゃって悲しかった日も、
転んでケガをして泣いた日も、
いつもいつもトラックのところにきては、運転席に座っていろいろな話をした。
お店のじゃんけん大会でお菓子が当たった日も、
お友達にいじめられた日も、
かわいい女の子に叩かれた日も、
かわいくない女の子にチョコをもらった日も、
……雨の日も、風の日も……
少年は、トラックのところへやってきた。
家出をしたら、ここに来た。
寂しくなったら、ここに来た。
楽しい時にも、ここに来た。
やがていろいろな方向で止まる棒は、うれしい時が左上、悲しい時が左下となっていった。
そうすることで、自分が自分のことを分かる気がした。
自分が自分でいられる気がした。
少年はもう少し大きくなった。
運転ができるようになったんだ。
鍵を回してエンジンをかけると、トラックには命が吹き込まれた。
座席がぶるるるると震えて、届くようになったペダルを踏めば、前へ進みだす。ハンドルを左に回せばトラックは左に曲がった。右に回せば右に曲がった。
うれしい時悲しい時、月曜日火曜日を刻んでいたレバーは、前進や後進のために動くようになって、大きな音で怖かったボタンも、危ない時を知らせるサインとなった。
アスファルトでは左側を走って、信号が青になるまで待つ。坂道を発進するのは少し難しいけど。細い道にある道路標識がトラックと同じ高さにあると少し難しいけど。
少年はトラックを運転して旅を始めた。
寝るところは荷台が四畳半だから大丈夫。電気も付けて、本も読める。
のんびりとトラックの荷台で寝そべれば、開け放ったドアの向こうには白い星が無限に瞬いている。
アクセルペダルを踏みこめば、そこには山の風景、海の風景、街の風景、田園の風景……
エンジン音の向こうに七色の景色が広がって、ずっと空の先まで道は続いていた。
ラジオからは軽快な音楽が流れていて、トコトコトコトコ、マイペースな旅はどこまでも。
やがて自転車のルールも自動車のルールも厳しくなって。おかげで逆に危なくなった道。……実は自動運転が導入されていくにつれて反則金がとりづらくなるから、反則を増やしたんだっていう話。そんな……どこか汚い世界を飛び越えて、トラックは世界の端の端まで旅をする。
お金が無くなったら、四畳半の荷台で荷物を運んだ。
太陽が昇り始めるところから沈むところまで。
常夏の国から白夜が地平線を照らす国まで。
小さなものだって大きなものだって運ぶ。丸いものだって四角いものだって、トラックに載るものならなんでも運ぶ。
いろいろなものを運んで少しばかりのお金をもらって、少年はさらにさらに旅をした。
トラックは何千キロも、何万キロもトコトコトコトコ。ずっと一緒に走ってく。
ある日の雨の夜。トラックのライトは、歩道でうずくまっている人を照らし出した。
少年は心配して、傘をさして見に行くと、ずぶぬれになっていたのは一人の娘で、ひどい熱があった。
少年は彼女に温かいミルクをあげて看病した。トラックを停めて、何日も何日も看病をした。
その甲斐あってか、娘はほんの少しずつ、元気になっていった。
「ありがとう……」
娘は言って、少年に抱きついた。二人はやがて、恋に落ちた。
それから、結婚をして、子供が生まれて……。
トラックは、停まったままになった。子供が小学生になって、中学生になって……。
高校になって、社会人になった時、少年の妻になった娘は亡くなった。
病弱な娘だった。何度も何度も病気をして、ほんの少しだけ回復をするたびに、子供の幸せをたくさん願って、最後には動かなくなった。
少年は、立派なお墓を立てて、娘があの世でも幸せでいられるように小さく祈った。
子供は家を出て、結婚するのだと言う。
長く長く、会話が絶えなかった家から、音が消えた。
見回しても誰もいない。音もない。
ただ太陽がまぶしく照り付ける世界にただ一人。
そして……少年はやっと……トラックを思い出した。
もう何年ぶりだろう。何十年かぶりに、トラックの運転席に座った。ぼんやりと、かつての大親友を見つめ、小さな息を吐く。
トラックは、朽ちていた。キーを回してもエンジンは動かず、ハンドルを回しても動き出しはしない。
ラジオも賑やかな音で歌わない。クラクションも、ウィンカーも、少年の呼びかけに答えてくれることはない。
当たり前だと思った。なんて都合がいいのかと。
「……キミは、『大きな木』っていう絵本を知っているかい?」
すっかり年老いた少年は、不意にそう呟いた。
『大きな木』はシェル=シルヴァスタインの名作で、無邪気に自分の希望を語る少年と、その少年が喜ぶ姿を見るのが大好きな木のお話である。
大人になりゆく少年の願望を、木は文字通り身を切って叶えてゆく。どんなに身を削っても、木は少年が自分を頼ってくれるのがうれしい。
果実を売られ、枝を切られ、幹を切り倒されて、少年が疲れ果てた老人として帰ってきた時……ただの切り株となった木はもはや少年に切り分けられるものが何もなかった。
だけど……すべてを終えた老人は、ただ座る場所があればよかった。それを聞いた木は自分に少年を座らせた。
木はそれで、うれしかった。
という話だ。
「子供に読んで聞かせた話だったんだが……俺も、あの少年と同じなのかもしれないな……」
必要な時だけ現れて、
必要なだけ使い倒し、
必要がなくなれば忘れ、
また必要になれば思い出す。
「同じかもしれないな……」
少年は、朽ちたトラックのダッシュボードを見つめた。
人生は、一つの交差点を右に曲がったらその交差点を左に曲がり直すことはできない。
妻を守るため、子を育てるため、少年はトラックを忘れて、右へ曲がって自分の足で走り続けた。それはきっと間違った道ではなかった。それでも……
少年は、このトラックに申し訳ない。
ずっとずっと、一緒に生きてきたはずのトラックに、申し訳ない。
彼はきっと、ずっとここで少年を待っていた。
また、命を吹き込まれる日を。また、一緒に旅をできる日を。
ブロロロロってエンジンを鳴らす日を。カチカチってウィンカーを瞬きさせる日を。
だけど、今はもう、朽ちていた。朽ちた少年の知らぬところで、トラックはただその場で、朽ちていた。
「ごめんな……」
モノを言わぬトラックだから、なおさら申し訳なかった。人なら文句も言える。別の人生を歩くことができる。だけど……
トラックは、待つしかない。
それがどうにも、申し訳なかった。
だけど。
ごめんな……なんだけど。
ごめんな……だけではない。
「ありがとう……」
まだここにいてくれて、ありがとう。
待っていてくれて、ありがとう。
また座らせてくれて、ありがとう。
こんな気持ちにさせてくれて、ありがとう。
このトラックは、少年そのものだった。
少年はこのトラックに生き、このトラックに生かされた。
少年は、限りなく静かな時間をまた……トラックと共に過ごした。
朽ちたトラック。もう動くことのないトラック。
少年は昔みたいにハンドルにしがみついて、ミッションレバーを五速に入れて……
……そのまま息を引き取った。
トラックが、『大きな木』みたいにうれしかったかは分からない。
だけど……少年はそれで、うれしかった。




