033悪の美学
四題
悪の組織、壊滅、ダークマター、変身ヒーロー
智雄のSNSに、DMが舞い込んだのが事の発端だった。
『高額アルバイト数名募集! 事業拡大により人員不足のため、アルバイトを数名募集します。資格不問。年齢不問、日払いOK! 優秀な人材には社員への昇格も検討!』
こんなDMが舞い込んでくる理由はなんとなくわかる。勤めていた会社が二か月前に壊滅したおかげで、彼は職を失っていた。その窮状をSNSでつぶやいていたためだろう。
どんな仕事なのか、そもそも何の会社なのかも分からないが、日払いなのだから気にいらなければ短期で辞めればいい。
智雄があまり深いことも考えず、そのDMに返信すると、
『ではこの応募フォームに必要事項を書き込んでください』
と、URLが書き込まれたレスポンスがくる。そのリンクを辿れば、名前やら住所やらを書き込むページが開かれた。
『面接を行います』
ということになり、智雄は会場に向かった。一駅電車に乗って徒歩三分。それほど遠くないところでよかった。
が……その場所はどう考えても、ただのアパートの一室だ。203号室という指定だが、企業名はおろか個人名を記した表札すらなく、「ここでいいのかな」と不安になる。
まぁしかし、違えば違ったで謝ればいいかと思い、彼はチャイムを鳴らした。返ってきたのはフランクな声であった。
「はいよ」
「吾田です」
「おう」
そこから数秒して、チェーンが外れるカラカラという音と鍵が開く音がした。そして扉が開かれる。智雄はややも驚いた。
「入っていいよ」
その男は上半身裸だったわけだが、その上半身が、完全に入れ墨で覆い隠されていたのだ。
「え、あの……」
「バイトしに来たんだろ? 入れよ」
「え、えっと……」
「いや、もう帰れないよ。ツラぁ完全に覚えたし、お前の個人情報全部おさえてっから」
平然と言い放っているが、ヘタに反抗でもしようものなら人生終わりそうな、いかつさを持っている。
「まぁ入んな。ジタバタしても手遅れだから」
……この時の智雄には恐怖しかない。これが今、世間を騒がせている闇バイトというやつなのか。
ワンルームの畳部屋は、食べ残したつまみの袋とか、飲み終えたチューハイの空き缶などで溢れていた。とてもじゃないが仕事の面接ができるような場所ではない。
「僕は……なにをさせられるんでしょうか……」
「おう、あんまビビんなくていいよ。別に取って食おうってんじゃねぇ。……スルメいるか?」
半分開いたプラスチック(CPP)の袋を拾い上げ、投げてよこしてくる男。「いりません」とも言えず、しかし食べる気にもならず、両手で抱えている智雄。
男はそんな彼を尻目に、足でゴミを脇に寄せ、「まぁ座れや」と指さした。智雄は従わざるを得ない。
「今日から俺たちは仲間だ。……そうだろ? 兄弟」
「は、はい」
「心配すんな。金もちゃんと払うからよ」
男は片膝を立て上目遣いで智雄を値踏みする。あまりに黙ってるのは名前を知らないからだと踏んだ男は、わりときさくにこう言った。
「ああ、そうだ。俺のことは、クマさんとでも呼んでくれや」
「クマさん……」
「背中のモンモンみろや。クマだろうが」
見れば、立派に男立ちしているクマが、男の背中を守っているかのように目を光らせている。クマ、自体は一見かわいらしいネーミングでも、それをみれば恐ろしい方で説得力があった。
しばらく……というかこれから先、クマさんと聞くたびに智雄は恐怖におびえることになるのだろう。
どうしたらいい。智雄はスルメの袋を握りしめたままあれこれ考えている。
闇バイトの怖いところは、闇バイトだと分かった時にはすべての個人情報が相手方に知られてしまっているところだ。ヘタなことをすれば家を襲撃されるらしい。
それを防ぐためにも、目星をつけたアルバイト先の企業情報など、事前に調査しなければならないのだが、なんとなく人生にふてくされていた智雄のガードは甘かった。そしてそのことを今、大きく後悔している。
「オメ、ずっと黙ってんな。なんか聞きてぇことはねぇのか」
聞きたいことも何も、面接側が何かを言ってくれるべき場面だと思うのだが……などとは言えない。ただ、このまま黙っているのも危険な気はする。
とりあえず、なんという会社なのか。何をしている会社なのか……智雄はそういう切り出し方をしようと思った。「闇バイトですか?」と聞くよりは、はるかに危険度が低いと思われた。
「実は、ほとんど何の下調べもせずにきてしまったんです。御社は何という会社なんですか?」
「ああ、会社名な、会社名ってか、組織名なんだがよ」
ガラガラと聞くだけで怖い声を発しながら、男は言った。
「『悪の組織ヤバヤバ』ってんだ」
「あ……悪の組織……」
「おう、悪の組織だよ」
自分で自分の組織の名前に〝悪の〟とつける組織を智雄は初めて見た。つい聞いてしまう。
「悪いんですか……?」
「悪の組織だけにな」
「ぼ、僕がそんな組織の仕事ができるとは思えません……」
「何言ってんだ腹くくれよ。人生壊されたくねぇだろ?」
「で、では……なにをされているんですか……?」
「まぁいろんなことやってんよ」
「例えば……」
「そうだな……速度超過はよくやるかな」
「速度超過?」
「スピード違反だよ」
「車とかの……?」
「そうそう」
「百キロオーバーとかですか?」
「そんなに出したら危ねぇだろ!!」
「え……じゃあ……」
「まぁ三キロオーバーくらいか……」
「さ、三キロ……?」
「悪の組織だからな」
「さ、三キロオーバーして、何か意味あるんですか?」
「動画にして投稿にしたらバズるだろうが!」
バズるだろうか。まぁ何がバズるか分からない時代ではある。逆らうのも怖いのでとりあえず「スミマセン」と謝っておいた。
「もう少しヤベーとこで、一時停止無視とかもやんがよ。こっちの方がその向こうにネズミ捕りがあったりするから気をつけねぇといけねぇんだ」
「や、ヤバいですね」
「そうなんだよ。おとといも若えやつが引っ張られて、火消しが大変でよぉ」
智雄の中で、一気に何かがよく分からなくなってきたが、機嫌を取り戻したクマは「あとはなぁ……」と、話を続けるようだった。
「警官役と息子の会社の上司役と配送役を使って、カモに金を振り込ませることもよくある」
「……」
特殊詐欺じゃないか。
「具体的にはどうするんですか……?」
「そんなん聞いてどうすんだよ」
「あ……いえ……僕は何役なのかなー……なんて」
「なんだお前、あのシノギやりてぇのか?」
「いぇ、滅相もないんですが……」
「まぁいいよ。教えてやる。まず警官役が電話すんだよ。『お宅の息子さん、お勤めの会社の金を横領しました。しばらく帰れないということだけお伝えしておきます』と。そんでしばらくしてからもう一回電話かけて、『息子さんの会社の上司を名乗る方が警察署にきて、息子さんと話したのだが、そのことであなた方に話があるようだ。代わっていいか』ってな感じになって、次は上司役を登場させる。……んで、『横領した会社の金は今週中に大切な契約に使う金であり、それがないと会社に損害が生じてしまう。当然刑事罰とは別に、弊社としては不法行為に基づく損害賠償請求を行わざるを得ない。判決が出れば、ご子息の今後の給与や財産も差し押さえの対象になる。……ただ、契約に間に合う形で全額補填いただけるのであれば、弊社としても内々に処理し、民事の訴えは取り下げても構わないと考えているが』ってのを数撃っていくと、いくつかは当たるんだよ。あとはATMに誘導だな」
「……」
まさに特殊詐欺の手口ではないか。犯罪に加担し、警察の影に怯えなければならなくなる未来が、硬い岩壁のようになって智雄の目の前に現れたかのようだ。しかしその上で疑問が一つ……。
「配送役は?」
登場していない配送役。単純に振り込まれた金をこの男に持ってくる〝出し子〟のことかもしれないが、わざわざ〝役〟と言っているだけに、彼はつい口にしてしまう。
「ああ、配送役な。そんなわけでATMに500万とか振り込まれるわけだろ? それを引き出す役だよ」
ただの出し子だった。……と思ったらそうではなかった。
「んで、それを引き出したら、とりあえずそれを包んで、その振り込んだ奴の家に配送する、と……」
「え……?」
心、立ち止まる智雄。
「振り込んだ人の家に……ですか?」
「おう。他にどうすんだよ」
「え、え、え、だって、それじゃお金……だまし取れないですよ……?」
「だまし取ったら犯罪だろうが!!」
「ええ!?」
「お前、そんなツラしてかなりの悪だな。人様の金で得しようと思ってんじゃねぇよ、殺すぞ」
「えーーーーー!?」
リアクションに困りすぎて間抜けな顔から間抜けな声しか抜けていかない。
「じゃ、じゃあ、なんでそんなことするんですか……?」
「そらまぁ、うちゃ別に形だけの組織じゃねぇんだよ。やることやらねぇとな」
「……」
まぁ確かに、やることはやってると言える。
「こういうこともあるから気ぃつけろよババァ。って金突っ返したら、なぜか感謝されたこともあるけどな。……変なババァだったわ」
い、いや、なんとなく……確かに悪いことをしてるのだが、ある意味いいことをしてるようにも思えてしまう不思議。
「まぁそんな感じだよ。あとは売春の斡旋とかも金にはなる」
「売春……ですか……」
「桜の葉っぱとか、わりと和菓子の店で売れんだよ。そういうルートを紹介したりな」
「え……それ売春ですか……?」
「春の物売ってるんだから売春だろうが!!」
「あ、はい! スミマセン」
「あとは……そうだな。転売で儲けることもある」
「転売って……需要の高い品物を買い占めて、高値で売る奴ですよね」
「お前……ほんとに悪に精通してんな。そうだよ。もう動きそうもねぇチャリンコとか1000円くらいで無理矢理売らせてよ。きれいに整備し直して、ま、5000円くらいの値段で出すとかな」
「……」
それ、むしろ喜ばれてる気がする……。
男はチューハイの缶を冷蔵庫から取り出し、「飲むか?」と放る。自分にも一本。プルタブを開けて、豪快にかっ食らった。
「……分かったか? お前はもう逃げられねぇんだよ」
「あの……僕は何をすればいいんでしょう」
「決まってんだろ。仕事だよ」
「あ、はい……」
なんとなく、人生終わった感は後退したが、だからとて目の前のクマの入れ墨は偽物ではない。これからどのようなことを吹っ掛けられるのか……そう思えば、彼はリラックスしてチューハイを飲んでる場合ではなかった。
クマはガラガラとした声で言う。
「このたび、事業を拡大させることにしてよ。新たなスタッフが必要だったわけよ。何をするのか当ててみるか?」
「え……」
まさかの問いかけである。智雄はやや首を傾け考え、『悪の組織』に当てはまりそうなことを言ってみることにした。
「人身売買……とかですか……?」
「なんだと!?」
途端に男の目がつり上がる。危うさを感じた智雄は慌てて続けた。
「あ、あ、違います。ぞ、臓器売買? いえ、偽造テレカ販売ですか……?」
「お前……どんな悪だよ。まさかスジ者か……?」
「あ、あ、あ、いえ……違いそうですね。ちょっと待ってください。確かに僕に臓器売買なんてできるはずないですし……」
何とかとりなし、とりあえずこの『悪の組織ヤバヤバ』がどのような規模で活動しているのかを考え、そのスケールに合わせてモノを言うことにした。
「街を歩いて……道端に落ちてる金とかをネコババする……とか……」
「……」
目を丸くする男。
「当たり……ですか……?」
「いやぁ……すげぇこと考えるなと思ってよ。お前天才か?」
「じゃ、じゃあ違うんですね……?」
「おぅ。だがお前がその気なら、俺のブレインに据えてやってもいい気がしてきたわ。幹部待遇で俺に仕えてみるか」
「ええーーー無理ですよ」
「お前よ。もう俺からは逃げられねぇってこと分かって断ってんのか?」
すごまれるととんでもない威圧感がある。仕事は危険じゃない気もしてきたが、この男は引き続き危険であった。
「な、何をすれば……」
「幹部ならよ。ちぃとやらにゃいけねぇことがある」
「は、はい」
「身体を鍛えろ」
「え?」
「今から格闘術を教えてやんからよ。コロッとやられねぇようにしろや」
どういうことだろう。ヤクザの抗争などに巻き込まれるパターンなんだろうか。この男の容姿を見ても本職の方である可能性は十分にある。準構成員のような立場に取り立てられるのであれば、そんな面倒に巻き込まれることもあるかもしれない。
「勘弁してくださいよ……」
それほど気が強いわけでもないのだ。誰かと戦うことなど、生まれてこの方考えたこともない。
「ビビんのも分かるがよ。お前が俺の舎弟になんなら、何かありゃ俺がぜってぇ守ってやんからよ」
「そんなことを言われても……」
「ちゃんと教えてやっから、まずやるだけやってみろや」
智雄はうなずくしかない。問題の先延ばしかもしれないが、強盗や特殊詐欺をやらされるよりは幾分〝生きながらえる〟状態であるとはいえる。格闘技を教わるだけなら警察のお世話になることもない。
そこから彼は、打撃、投げ、締め、……格闘術のあらゆる要素をクマから学ぶことになる。
近くの空き地だったり河原だったりでさまざまだが、打撃の時はジャリの場所を使っても、寝技などの時は草の原でやったりと、無茶なことはさせない。
始めこそ気の進まなそうな様子を見せていた智雄も、やってくにつれて楽しさを感じるようになり、スパーリングで殴られてもへこたれないようになっていった。いや……打ち返すようにすらなった。
路上なのでたまに警察に職務質問をされることもあったりしたが、むしろ智雄の方がクマをかばい、真剣に格闘技を教わっている旨を伝えれば、警察もそれ以上は踏み込めない。
彼は半ば脅されて今の立場にいることもひとまず置いて、技術向上に努め始めていた。
「おぅ、いい蹴りを蹴るようになったな」
「ありがとうございます!」
さわやかなやりとりが、夜の公園でかわされる。ミットを持つクマは入れ墨が隠れるようなピタリとした長袖シャツを着て、彼のコンビネーションを受けていた。
「おぅ、飲めや」
トレーニングが終わり、公園のベンチで上気した頬を冷やしていると、少し向こうの自動販売機で買ってきたコーヒーを智雄の脇に置く。
「ありがとうございます」
「お前、なかなかスジいいぞ。十人くらい面倒見てっけど、なかなかこうはいかねぇ」
「え、そんなっすか」
実際、二十四時間べったりというわけではないので、智雄がいない時間に他の人たちを見てるのだろうが、それにしてもプライベートレッスンみたいな形で十人も見ていたらそれだけで一日終わりそうだ。
「クマさん。僕、なんかフシギっす」
「何がだよ」
「充実してるんすよ。闇バイトかと思ったけど……いや、実際闇バイトなのかもしれないけど……なんか……応募できてよかったなって……」
「馬鹿だな。お前、単なる闇バイトは、パクられるくらいで死ぬことはねぇんだぞ」
「ってことは、僕は死ぬかもしれないと」
その言葉を、幾分軽く言えたのはなぜだろう。自分に自信がついたからだろうか。この男に命を預けてもいいと思えたからだろうか。
分からないが、会社がなくなってやさぐれてた自分にとって、今の状態は天啓のように思えた。
クマが言ったように、自分は格闘に向いている。それが実感できる。
当然実戦でも試してみたいと思えたし、殴られ慣れた今の自分からすると……なんとなく、死は遠いもののように思えた。
智雄はあらためて、隣にどっかと座ったクマに聞く。
「そろそろ、僕の仕事は何かを教えてもらえませんか」
「ああ、まだ言ってなかったっけか」
缶コーヒーで手を温めながら、首だけを宇宙に向けて、どこか遠くを睨みつけた。
「後三か月弱……だ」
「え?」
「後三カ月弱で、『悪の組織ヤバヤバ』をぶっ潰そうと、正義のヒーローが降りてくる」
「ええ!? せ、正義!?」
「なんせ俺らぁ、悪の組織だからな。そりゃ正義の味方に目ぇつけられんこともあるわけよ」
「僕ら、何かしましたっけ」
「そりゃ、速度超過に一時停止無視、詐欺もやれば売春の斡旋、転売にも手を染めてんし、イホウヤクブツにも手ぇ出してるし……な」
セリフにすると違法薬物と言っているが、実際は異邦薬物……つまり外国の薬を売っていることを指している、と智雄は知っている。そんな智雄を見ながら、クマは苦笑いした。
「……こうやって、お前ら騙して闇バイト集めてんしな……」
「……」
まぁ一応それは間違いない。
「俺らぁあくまで悪の組織。正義に駆逐されて、『ざまぁ』って後ろ指刺されるだけの存在でしかねぇ。俺やお前なんか、ハタから見ればショッカー戦闘員の一人……くらいにしか思われねぇしな」
「そ、そうなんすか……?」
「そうなんすかー? じゃねぇよ。お前の存在が誰かの心に深く刻まれるとでも思ってんのか? 単なる小悪党ってだけで名前も知られずに消え去るだけの存在でしかねぇだろ。……俺もな」
「……そうでしょうか」
釈然としない智雄の表情に、たとえば……と彼は言った。
「これが一万字前後の短編小説とかになったとしてもだ。俺らなんざ数週間後には、誰の記憶にも残らねぇってことよ。お前、どっかの特撮ヒーローと戦った悪党の顔とか覚えてっか?」
「……いえ」
「そういうこった。……だけど、そんなことはいいんだ。俺らは俺らの、悪の組織としてのスジを通す」
「スジ……とは」
「悪として、立派に、正義に立ち向かうことだよ」
「……」
「できるか? 闇バイト」
貧乏くじだ。智雄は唇をかみしめて思った。ここでいう悪とは、正義を引き立たせるための貧乏くじでしかない。
「なんで……クマさんは悪の組織なんてやってるんすか」
正義の側に立てばそんな貧乏くじを引かずに済むのに。気が付けばそんな目をして智雄は呟いていた。
「お前よ。正しいことの方が正しいのに、世の中正しいことしてる奴ばっかだと思ってんのか?」
「……」
「性に合わねぇんだよ。悪党は悪党しかできねぇ。……なら悪党らしく生きるしかねぇだろうが」
「正義の味方の引き立て役でしかなくてもっすか」
「引き立て役とか思うから損なんだろボケ。俺らぁ俺らの生き方をまっとうする。たまたまその道をヒーローきどりの野郎が阻んでるってだけの話だ」
「……」
「なんだそのツラ」
「いや、割に合わないなって……」
「馬鹿だなお前。俺ら底辺に割に合う人生なんか、もともとねぇだろうが」
智雄は、これまでの境遇を辿った。必死に勉強してやっと入った大学から就職した会社では散々苦労したが、それが報われぬまま倒産し、その後再就職も順調ではなくて腐っていた。不幸自慢を始めたら別に優勝できるわけではないだろうし、これからもそうとは限らないが、今今の結論としては、この男の言う通りな気がした。
「割に合うか……じゃねぇんだよ。最後まで自分のもらった役割を演じきれるか、だろ」
だから俺は悪の組織を演じ切る。別に悪人じゃなかろうが……最終的に正義に討伐されようが。
「底辺だって塞ぎ込んで、被害者ぶってすべてを遠ざけて、いったい何が残んだよ。ダセーだけだろが。どうせやられんなら最高のやられ方をした方が俺ってもんが輝くってもんだ。……お前もな」
その時、智雄の心は何かが洗い流されるかのようだった。この男、自分が悪人でないことに元から気づいている。その上で、全身にクマの入れ墨を入れたのだろう。その上で……悪の組織の頭領なんかをやっているのだろう。
「割に合わないけど……かっこいいっすね」
「バーカ。損な役回りには変わりねぇ」
「わかりました」
智雄は、やけに晴れやかな表情を浮かべた。
「まぁ……確かに僕、騙されましたけど、今はヤバヤバにいることを後悔してないっす。むしろこの社会不安の中で、生きてる実感を味合わせてくれてるっていうか……」
「おい、ちっと強くなったくらいでチョーシくれてんじゃねぇぞ」
「スミマセン……。でもとにかく僕らがいなきゃ正義の味方だって存在できないっすよね。上等じゃないっすか。やってやりましょうよ」
「フン……」
じゃーな、とベンチを立つクマ。トレーニングが終われば別々の家に帰る。
そして、決戦の日がやってきた。
悪の組織ヤバヤバは岩場が盆地のようになっている広場に集結していた。鉱山跡地のふもとだそうで、「ここならだれの邪魔も入らねぇ」ということらしい。
なぜこんなところに正義の味方が来るかといえば、……ま、それはなんとなく示し合わせで決まってるそうだ。確かに、特に昭和のヒーローは、街中で事件が起きても最終的に戦ってるのは岩場だったりしていた。
集結したのは人数にして二十名ほど。顔を合わせたこともある男もいるし、転売ヤーとか他のシノギをしていたのであろう男たちもいる。いずれも、クマの覚悟に心服した者たちであった。
その渦中へ、一人の男がはるばる向こうの方から歩いてきた。夕陽を背負い、音もたてずに静かに現れた黒い革ジャンの男に、すべての男が身構える。
〝正義の味方〟はその視線をいっぱいに浴びて、仁王立ちに立ち止まった。
「宇宙刑事部巡査長代理補佐、ピィポクンだ」
やけに落ち着いた風の男は筋骨隆々で、只者でないオーラを纏っている。
「悪の組織よ。貴様らに正義の力を見せつける時が来たようだ」
クマがその言葉を迎え撃つ。
「悪こそ栄えるんだよ。三十キロ道路を三十キロで走り続けて、世界は進化していけると思ってんのか」
「悪党め。貴様らには死すら生ぬるい」
そしてピィポクンは右手を振り払うような動作をした。それだけで一条の光が彼に差す。実に0,05秒後には、彼はオレンジ色のコンバットスーツを身につけていた。
大きな耳に大きな目、頭頂部にアンテナのような受信機をつけている、全身着ぐるみのような装甲板に身を包んだ妙なイキモノとなった。どうやら変身ヒーローらしい。
「なんか、変身前より弱そうなのは気のせいっすか」
「フリーザもそうだったろうが。油断すんな」
たしなめつつも、クマは落ち着いたものだ。
「ここを戦場に選んだ理由が分かってねぇな」
クマの右手が握られる。その拳に赤い光が生まれると、彼はそれを地面にたたきつけるような動作を行った。
瞬間、ヤバヤバのメンバーを取り巻く赤い膜が形成され、一瞬で燃え尽きる。それに包まれた男たちはいずれもその意味を解せなかったが、そういう疑問を抱いた瞬間、智雄を含めたすべての男に、湧き上がるような力と高揚感が生まれ出た。
「な、なんすかこれ!!」
智雄は自分が羽になったかのような感覚を得て、興奮気味にそう叫ぶ。ピィポクンはその様を見て、すぐになにがしかを理解したようだ。
「ダークマターの力か、こざかしい。その程度で正義のヒーローに勝てるなど、思い上がりも甚だしい」
「うぉぉぉぉぉ!!」
有り余る力を手に入れた同志の中の二人が、クマの合図を受けるでもなくピィポクンにくらいついた。
パンチをフェイントにしたタックル。しかしコンバットスーツを着た男は、まるで一瞬消えたかのようなサイドステップでそれをすり抜けると、次の男が飛び掛かる勢いを逆手にとって強力な横蹴りを入れる。
タックルをかわされた先ほどの男は慌てて身を起こし振り返ったが、その時には申し合わせたかのような裏拳が彼の顎を砕いていた。残る十七名の闇バイトとそれを取り仕切るクマが、一度仕切り直すかのように表情を締めて、構え直す。
「強いっすね」
「帰りてぇか?」
「いいえ、今はもう」
「へっ、闇バイトのくせに。まぁいいや、いくぞ!」
号令一下、一斉に突撃を開始した悪の組織の闇バイト。ダークマターの力を借りたファイターたちは、まるで早送りのような身のこなしで四方八方から襲い掛かる。
……が、ピィポクンの動きは、それに輪をかけたように洗練されていた。
まるで柳を相手にしているかのように拳や蹴りとは逆に動き、攻撃を加えた者が立て直すころには一撃を加えられている。猛攻の中心で舞を舞うかのように回転を繰り返しながら、繰り出される腕や足が的確に闇バイトたちを捉え、卒倒させ、破壊していく。
一度背中から抱き着いて動きを止めようとした者もいたが、ピィポクンは投げにも精通していた。
相手をわざと背中側に押せば踏ん張ろうとする。その力を利用して前方向に投げると、その男は地面で一度バウンドする程の勢いとなって転がった。
一度、弾かれたように間を取るピィポクン。悪の組織の面々は、すでに六人に減っている。残った男たちも、いずれも傷ついていた。
これが悪役かと、智雄は思った。努力をしても勝てない。いかに強化されてもその差は歴然であり、いや……強化されているからこそ、なおさら〝正義のヒーローは強い〟ということを引き立てていることに気づく。
正義のためにやられる悪。勝てないと分かっていながら戦う死闘……。
「なんてツラしてやがる」
クマが智雄を一瞥し、嘲笑じみたガラガラ声を上げる。以後はピィポクンを睨みつけたまま、ほとんど聞こえないような声で呟いた。
「おう、お前ら、三下はビビって逃げていいタイミングだぞ。追わねぇからとっとと行け」
「何言ってるんすか」
「悪いなぁ。今日のバイト代は払えねぇが……まぁ意図的だよ。バイト代ちょろまかすとかひでぇ悪だろが」
一人が、戦場に背を向けて逃げ出した。そしてまた一人、二人……。
気が付けばクマと智雄だけになった戦場。クマは残った智雄と目を合わせない。
「ここにても死ぬだけだぞ。早く行け」
「クマさんは……」
「三下と一緒にすんじゃねぇ。ボスまで逃げる悪の組織があるかよ」
言ってクマは左手を握る。そちらにも赤い光が灯り、彼の身体を赤いオーラが包み込んだ。
「ダークマター出力100%だコラァァ! 死ねぇぇ!!!」
そして男は単身大地を蹴る。その速度が今までの比ではない。一瞬でピィポクンにとりつき、中段中段上段の三段蹴りを浴びせかけた。これにはさしものヒーローもさばききれず、横倒しに吹き飛ばされる。
赤く燃えるクマがさらに追う。飛び跳ねるような受け身を取ったピィポクンが迎え撃つが間に合わない。ダークマターの出力全開の動きがヒーローの装甲を破壊し、過剰燃焼を起こして場を圧倒していく。
が……智雄には分かっていた。
クマは、勝ちに行ったのではない。負けることを承知で、全力で向かっていっただけだ。
その確信が現実となるにつれ、ヒーローは劣勢を挽回していった。動きを見切り、殴りかかった右腕を取って、腰を跳ね上げて投げ飛ばす。
「クマさん!」
智雄が飛び出したのと、クマが中空を舞ってはるか向こうに落下したのは同時だった。
とどめを刺すべく跳ぶピィポクン。しかし、その目にはクマしか映っておらず、脇からの智雄の襲来には完全に虚を突かれた形となった。
それはまるで出会い頭の事故のようであった。……駆けこんでそのまま飛び込んだ溜めたっぷりの横蹴りが、正義を横になぎ倒したのだ。
確かな手ごたえだった。装甲を失ったコンバットスーツではダメージを吸収しきれない。一撃は致命的な物であったはずであった。
しかし、その認識が甘いことを、クマの目が捉えている。ヒーローへのとどめではなく、彼の下へと駆け寄ってきた智雄の背中の向こうにキラリと光るものを感じて、がなり声を上げた。
「馬鹿野郎! 敵から目を離してんじゃねぇ!!」
地面にたたきつけられたことで全身を打撲し、いくつもの骨を折った男が、歯を食いしばって立ち上がる。そして駆け寄ってくる智雄に向け、右の回し蹴りを放った。
「えっ!?」
クマの渾身の蹴り。反射的に上げたガードが間に合っても、なお何かが爆ぜたかのような衝撃を受けて横方向によろめく智雄。が、悲鳴を上げたのは彼ではない。
「ぐぁぁぁ!!!」
クマの身体を、いくつかの光線が貫いた。
「なっ!?」
智雄が慌ててその発射元をみれば、ダメージが隠せずに片膝をついたままのピィポクンが、拳銃のような何かを構えている姿。
クマは……ゆっくりと膝を崩し、うつ伏せに倒れた。
「ク、クマさん!!」
かばわれた。あの蹴りは、智雄を射線から外すためのものだった。それを理解する前に、智雄はクマを抱き上げる。クマは血を吐きながら、力なく笑った。
「光線銃かよ……。正義の味方様は何でもありだなぁ」
「なんで僕をかばったんすか!」
クマは苦しげに呼吸をしながら、
「言ったろ。『お前が俺の舎弟になんなら、何かありゃ俺がぜってぇ守ってやんから』ってな」
そんな約束……。己の軽率を呪った智雄は、必死になって男を励ます。
「しっかりしてください! 大丈夫です! 僕が治します!!」
「いやいやいや、どうせ負けんだ。こんなモンでいいだろ」
「いやダメっすよ! 死なないでください!」
「何言ってんだよ。死ぬ役が死ななくてどうすんだ」
「だけど……」
クマの手が、智雄のそれを求める。智雄がその手を握ると、
「お前……なかなか悪くなかったぞ。まぁ何とか生き延びろや」
そして……その目が閉じられた。
「……」
心が、燃えた。心拍数が際限なく上昇し、与えられた役割の理不尽が智雄の魂の中で駆け巡る。
その燃える瞳で、彼はヒーローを目に映した。荒い呼吸で一点、こちらを凝視している姿に余裕はなく、膝をついたまま、唯一の力にすがるかのように光線銃を握りしめているヒーローの姿。
その様を見て……智雄の心は、逆に静かになった。
きっと、光線銃はルール違反なのだ。クマは格闘術は教えてくれたが、その内容は徒手空拳に限られていた。ナイフでもバットでも、武器を持つことは可能であったのに、彼の教えはそれを一切拒否するかのように、肉体のみを武器とした。
それを超えて、ヒーローは銃を抜いたのだ。卑怯をしても、勝たなければならなかった。そして卑怯と知りつつ、〝勝つために〟その銃口をこちらに突き付けたままでいる。……それは、それ以上の余裕が皆無な証拠ともいえた。
こちらが負けること同様、相手は、勝ちに縛られている。
「……」
負けると分かって、なお戦って、負ける。支配するは虚無感のみ。
その理不尽は尽きることがない。
だけど……
だけど……あるいは、正義の側に回っても、葛藤は同じことなのかもしれない。
……智雄は拳を握った。クマを下ろし、立ち上がる。彼を下ろして軽くなった身体は、本当に静かだった。
本当に静かな……使命感を、蓄えていたのだ。
ヒーローに目を向ける。
「おい、正義の味方とやら。今日はこんなとこで許してやる。だが、次戦う時は、その光線銃ごとすべてを破壊してやるからな」
負けると分かっていても……クマの気持ちが、少し分かった気がする。
「今から俺が、悪の組織ヤバヤバだ」
言いながら、目の前で躯となった男も同じような襲名をしたのかもしれない、と思った。
そして同時に、入れ墨は何にしたらいいだろう、と、思う智雄がいた。




