Epilogue ―御島 桜、御島 亮
音楽を作るという行為には、極度の集中が要求される。
なんとしても作り始めた内に作り上げたいし。しばらく置いといたら、作りたいものが変わってることもあるからね。
今もそうやって集中しまくってたからこそ、急に肩に手を置かれて、飛び上がるくらいびっくりした。
「び、っくりした」
振り返ると、潤が微笑を浮かべて立っていた。
「ノックくらいしてよ、もう」
「したって。第一、ヘッドフォンしてて聞こえないからノックはいらないって、いつも言っていただろう?」
「あれ、そうだっけ?」
首を傾げる。本当に覚えてないんだけど。
「そうなんだって」
呆れたように潤が首を振る。
「そっかぁ。……ところで、どうしたの?」
切り替えて尋ねる。潤は用もなく部屋に入ってきたりしないから、何か用があるのだろう。
「……ああ、ちょっと話があってね」
少し間をおいて、潤が答える。
「え、なに、離婚話?」
「いや違くて」
戯けてみせると、普通にツッコミが入った。
「ごめんごめん、それで、話って?」
話を修正する。
「うん、えっとね桜、……前に君が刺された事件のことはもちろん覚えてるよね?」
「え?」
話が予想の斜め上すぎてびっくりした。何故今更。
「うん、ってか忘れられないでしょ、実は夫になりすましてた快楽殺人鬼に殺されかけました、なんてさ」
「うん、で、それなんだけど」
潤が無表情で言う。
「……それが?」
少し間を空けて、尋ねる。
「……結局、本当に刺したのは私なんだって言ったら、どう思う?」
* * *
『だって、おかしいだろう?そもそも設定に無理があるとは思わなかったのかい?市が私に成り代わって、桜を刺した、なんてさ。いくら市でも、そんなに何人にも変装できる訳じゃない、というか、そんな訳がない』
全身がガタガタと震える。俺はただ呆然と、画面を見つめる。
『イチを名乗って神崎くんに接触したのも、私が唆した別人、森くんや今田くんに接触していたのも同様、全員が全くの別人さ。――カネに目がくらんだ者、脅しに屈した者、弱みを握られた者……。くく、実に様々な人間が協力してくれて、なんとも愉快だったよ。無論、もう既に全員、この世にはいないがね。……私は彼らと結託して、市をすべての犯人に陥れるための策を講じていたのさ。……ああ、でも快楽殺人鬼Xは間違いなく彼だ。そこに私達は何ら関与していないし、山口くんや君達に接触したのも間違いなく彼本人だ』
次々に事実が明らかになる。知りたくもなかった真実が。
* * *
「……じゃ、じゃあ、私は……?」
一歩後ずさろうとする。潤は一歩近づいてくる。後ろは壁で、これ以上下がることができない。
「うん?君がどうしたのかな?」
どこか狂気的な色を孕んだ笑顔で、彼はそう問うてくる。
「私を、……殺すの?」
絞り出すように問いかける。潤は、しばらく悩むような素振りを見せた。
悩むようなフリを見せた。
「……うん、殺すよ?」
* * *
『そして、君はきっと、これが一番気になっているはずだ。……ズバリ、動機は何なのか?山口くんに森くん、今田くんに西宮くんまで殺したのに加え、桜まで殺す動機は一体何なのか?』
弾かれたように、顔を上げる。
山口たちも、……こいつが、殺した?
『きっと、君は絶望しただろう。ようやく手に入れた幸せが、次から次に自分のもとを離れていったから。――ああそうだ、全員分、しっかり写真を撮っておいたんだ。君のためにね。見せてあげようか、ほらこれだ』
そこで言葉が切れ、動画の中の父さんは画面の前に五枚の写真を映し出した。
1つは、炎に包まれ、苦しそうに絶叫しながらのたうち回る山口の写真。
1つは、頭から大量のどす黒い血を流し、暗闇の中で恐怖に顔を歪め、這いずる森の写真。
1つは、ビルの下で脳漿を撒き散らし、四肢があらぬ方向に曲がった今田の写真。
1つは、四肢に杭を打ち込まれて壁に磔にされ、服も身体もあちこちがボロボロで、虚ろな目に少しの涙を浮かべる西宮の写真。
そして最後の一枚は、俺達家族の写真。
……ただし、俺と凛の顔だけが、黒くぐちゃぐちゃに塗りつぶされた。
気づけば大雨が降り注いでいて、容赦なく体温を奪っていく。
『今まさに、君は絶望のどん底にいるだろう。ここで、私のこの動機を話そう。それはね、亮。……』
* * *
「私はね、桜。……君のことを、愛しているんだよ。これ以上無いくらい。狂おしいほど、君を愛している」
ねっとりとした言い草に、背筋がぞくりと寒くなる。
「じゃあ、なんで……?」
「だからこそだ、桜。私には、亮が邪魔だったんだよ。いや、それ以上に、すべてが邪魔だった」
顔を歪めて、潤は語る。
「特に亮は、桜、君のことを母としてこれ以上無いくらいに愛していた。だから私は、この世の何よりも、亮のことが大嫌いだったんだよ。……それこそ、顔を見るだけで、殺したくなるくらいにね」
憎しみを超えたなにかを、狂気としか表しきれない何かを湛えた表情を浮かべ、叫ぶように潤は語る。
* * *
『だから、私は桜と死ぬことにしたんだ。ただ、その前に、亮、お前に限りない絶望を与えてからね』
がくり、と膝が折れる。どうにか立ち上がり、震える脚で家を目指す。
『これを貴様が見る頃には、私は凛も殺し、桜とふたりきりで会話をしているだろう。もう何もかも手遅れなんだよ、亮。――お前のせいで、皆は死んだ。お前の、せいだ。すべてお前のせいだ!お前のせいで皆が死んだんだ!そして私も、いまから桜と共に逝く!!……あぁ、あぁ、あぁ!』
恍惚とした表情で、叫ぶように父さんが言う。
* * *
喉が焼けるように痛い。
貫かれたんだ、と理解した瞬間、口から大量の血が噴き出る。
そのまま、ナイフで斬りつけられた。
何度も、何度も、何度も。
血飛沫と朦朧とする意識でぼやける視界に最後に映ったのは、自らの喉に、血に濡れたナイフを突き立てる潤の姿だった。
ナイフが刺さる寸前、潤が何かを呟いた。
その内容が聞こえるより前に、私の意識は暗転した。
そして、二度と覚めることはなかった。
* * *
『……じゃあまた、地獄で逢おうね、亮?』
哄笑とともに、動画が終わる。
震える手で、ドアを開ける。
玄関には、全身を血で紅く染め、目から光を失った凛の姿があった。
「り……ん」
その肌にそっと指を這わせる。ひんやりとした感触と、まるでゴムのような質感。目覚めることはもう無い。
靴を脱ぐのも忘れ、二階にゆっくりと上がる。
母さんの部屋のドアを開く。
――大量の血溜まり。倒れる二人の男女。
それは確実に、あの日の光景に重なっていた。
「かあさん」
掠れた声で、母さんのところに這い寄る。
その肌に、同じように指を這わせる。
――まだ少し温かい。しかし、確実に覚めることはないのだと本能でわかる。
瞬間、あの日の父さんの言葉が、脳裏に蘇る。
『……次こそは、共に逝こう』
遠くで雷鳴が鳴り響く。
俺の大切な人たちが、目覚めることは、もう、ない。




