第1節「救いのような、妄執」 ―森 天音
それは、私達が入学してから三ヶ月が経ち、梅雨前線が活発に活動を始めた6月の、ある日のことだった。
――江里乃が、死んだ。
ずっと入院していたし、癌でもう長くはないってことも知ってた。……分かってた、はずだった。
「死」という言葉の重みだって、身を持って分かってるはずだった。
でも、……だからこそ、苦しいんだろう。痛いんだろう。
――江里乃まで、いなくなっちゃうの?
あの時の感覚は、今でも鮮明に思い出せる。……というより、脳が忘れさせてくれない。あの、地面が丸ごと抜けていくような感覚。全身から力が抜けていって、世界が遠のいていくような感覚。
そして、本当にたくさん、泣いた。一生泣き続けても足りないんじゃないか、なんて思えるくらい泣いた。
――我儘三つ目。私が死んだときは、笑って送り出してほしいの。泣いて送り出されるのとか寂しすぎるし。
皆の前で、江里乃が話した言葉。江里乃が他にどんな「我儘」を使ったのか、私達は想像することしか出来ないけれど、きっとそれらは、私達では叶えられないものだったんだろうな、と思うことにしている。
だけど、私はその「我儘」を叶えられなかった。無理矢理にかもしれないけれど、それでも皆には出来たこと。私にだけ出来なかったこと。
大好きな友達の死を笑って悼むなんて、私にはとても、出来なかった。
月曜日。私は学校を休んで、江里乃のお葬式にやってきていた。私だけじゃない。山口くんに今田くん、凛ちゃんも。そして私にとっては、これが江里乃との最初で最後の対面となる。
死後の、江里乃との。
「――森」
唐突に肩を叩かれて、振り向く。声の正体は、黒い礼服に身を包み、神妙な面持ちをした今田くんだった。
――そうか。
その痛みに耐えるような表情を見て、ふと気づく。
江里乃は、皆にとって友達だったんだ。……この悲しみは、私だけのものじゃない。
「なに?」
なるべく平静を装って、明るい声で返事をする。
今田くんはなにか言いたそうにしばらく口を開けたり閉じたりしていたけれど、やがてふっと息をつき、
「いや、何でもない。……行こうか」
そう言って、会場の扉を開いた。
「ほら、入れよ」
そう言って、私を促してくる。静かだけど、優しく、温かい声。ほんの少しだけ、緊張が和らいでいくのを感じる。
――私、ちゃんと立っていられるかな。
控えめに、一歩を踏み出す。そこには確かに、床の感触があった。
......良かった。今はまだ、立っていられる。
* * *
「えー、本日は……」
形式ばった挨拶。だけど、その内容は全くと言っていいほど耳に入ってこなかった。私はただ、その向こうの棺の中で独り、眠る江里乃のことを、ぼんやりと思い返していた。
当然、本来ならこのお葬式の手配をしないといけない江里乃の実親はもう死んでいる。代わりに今、挨拶をしているのは、江里乃の叔父に当たる人だった。山口くんが江里乃に聞いて、信頼できる親族を探したらしい。
叔父さんも叔母さんも、本当に何も知らなかったらしい。江里乃が受けていた虐待の数々や、江里乃の病気のこと、全て。
だから、真実を知って、本当に驚いていたという。
「まさか、江里ちゃんがそんな事になっていたなんて……」
叔母さんの方は、真実を聞くなり泣き崩れたって話だ。
底抜けに明るい子だったけれど、実際は数多くの不幸を背負わされた子だった。そんな江里乃にも、ちゃんと想ってくれる人が、確かに存在していた。それだけで、なんだか救われる気がする。
――私が救われてどうするんだ、とは思うけれど。
江里乃はどうだったんだろう。この一ヶ月、両親から解放された一ヶ月くらいは、幸せになれたのかな?
そうであってほしいな、と思う。
きっとそうだ、って、信じてる。
挨拶が終わり、一人ひとりによる焼香が始まった。
式に参列していた多くの人たちが並んで、続々と焼香を済ませていく。私も並んで、順番を待った。
……江里乃は、私の思っていた以上に沢山の人に慕われていたらしい。中学
校の時の同級生、先生、果ては一日しか行っていない高校のクラスの皆まで、沢山の人が参列し、江里乃の死を悼んでいた。
江里乃は、家族の愛を知らずに育った。けれど、家族以外の人間からは、確かに愛されていたんだろう。
江里乃は、自分に向けられてる沢山の愛に、気づいていたのかな?
……そこで、ようやく私の番が来た。
大丈夫。もう十分泣いたんだし。もう泣かないって、決めたんだから。
自らに必死に言い聞かせながら、焼香台に進み、叔父さんと叔母さんに一礼する。数珠を左手にかけながら、焼香台の前に立つ。
――生前の、笑顔の江里乃と、目が合った。
「……っ!」
あれ、この後、どうするんだっけ。
いや、違う。今のはただの遺影なんだから、目が合うわけがない。そんなの、分かってる。
分かってる、のに。
涙が、止まらない。
また、床が抜ける。地中深くに投げ出される。遠く遠く、ぽっかりと空いた穴の奥に。
がくん、と膝が折れる。膝に鈍い痛みが走る。
……ああ。落ちたのか、私。
そう考える間ですら、涙は止まってくれない。
――お願い、止まって。
これ以上落ちたら、きっともう、戻れない。
その時、だった。
誰かの手が、私の肩を強く掴んだ。
「っ!?」
有無を言わせない強い力で引き上げられ、式場の外まで引っ張られる。
なにも、言えなかった。
ただ、その手はほんの少しだけ、――湿っていた。
私を引っ張っていったのは、今田くんだった。
「……あ、ご、ごめ」
ハッとした私は慌てて謝ろうとする。式の雰囲気を壊した上に、今田くんの手を煩わせてしまったことに気づいたから。
さっき、ちゃんと理解したはずだ。悲しいのは、私だけじゃない。ほんとは今田くんだって、ちゃんと弔いたかったはずなんだ。
なのに、私は……。
「落ち着け」
今田くんは、静かにただ一言、そう言った。
「……え?」
呆けたような声が、口から漏れてしまう。
「俺は別にいい。神崎になんか言われるかも知れないけど、山口がいるから大丈夫だろ」
どこか軽い口調で、今田くんはそう言った。
「……で、でも……」
なおも口を開こうとする私に、今田くんは重ねて言った。
「いいんだって。そんなことより今は、お前のほうが大切だ」
「……っ!」
心の奥で、何かが震えた。
「式には戻れるときでいい。……それと、今日はあれ、やめとくか?」
心配そうに、今田くんは言う。だけど、あれなしに、私は生きていけない。無理矢理にでも顔を、上げないと。
「……ううん、大丈夫」
やる、と言って、私は重い足をどうにか起こした。
「式も、ちゃんと出るよ。迷惑かけちゃったし、ちゃんと謝らないと。皆と、それと……」
一瞬、喉の奥に言葉がつかえた。絞り出すように、どうにか口にする。
「……江里乃にも」
「……!」
今田くんはちょっと驚いたみたいに目を見開いた。でもすぐにもとの表情に戻って、言った。
「そうか。でも無理はするなよ?」
「うん」
無理してないことをアピールしたくて、私は即座に返事をする。逆効果だったみたいで、今田くんからは更に心配そうな目を向けられてしまったけど。
合掌し、叔父さんと叔母さんに一礼して、席に戻る。戻るなり、私はそっと息をついた。帰ってからまた最後尾に並び直しだったけれど、どうにか焼香を済ませることができた。
正直、やっぱり動揺してしまった。でもやっぱり、2回目だからっていうのもあって、なんとか涙を飲み込むことが出来たらしい。
もしかしたら、今田くんに「やめとくか」って聞かれたのも、ある程度作用してるのかもしれない。いうなれば、あれは私の心を支える一本の軸であり、支え、だから。
……それと、私には、どうしても気になっていることがあった。それも2つ。どっちも同じことだけど、意味することは私にとって、全然違う。
1つ目は、亮が来ていなかったこと。
これは正直、なんとなく予想はしていた。亮に何があったのかは当然知っているし(知ったのは割と最近のことだったけれど)、それで亮が他人を信じられなくなった、っていうのもまぁ、わかる。
わかる、けど。それでもやっぱり、来てほしかった。だって、友達だから。一緒に弔いたかった。凛ちゃんだって来てくれたのに。
そして、もう1つ。私にとっては、こっちのほうがずっと大きな問題で。全く予想もできなかったもので。
――美桜ちゃんが、来てないこと。
どうして、来てないんだろう。江里乃のこと、嫌いなのかな?
美桜ちゃんもなにか隠してそうだし、事情があるのだろう、とは思う。……美桜ちゃんは、なんだか掴みどころのない子だ。自分のことなんて全然話さないし、仲良く話すときは、普通のように見えてなんだか一歩遠くから私達を眺めてるような感じがする。
美桜ちゃんだけじゃない。私達みんなの関係は、どこか歪だ。近づきたいのに、近づくことを恐れている、みたいな。
少なくとも、私ともう一人、隠し事をしている子がいるのは知っている。
私だって、そう。だからきっと、私だけじゃないんだろう。皆きっと、心の奥に「なにか」を飼ってる。
江里乃だってそう。虐待に、病気――。あの子はそんな重たいものを、2つも抱えていた。
――美桜ちゃんがどんな事情を抱えてるのかなんて知らないし、敢えて知ろ
うとも思わない、けど。
それでもやっぱり、来てほしかったな。
でもきっと、その考えはどうしようもなく、――身勝手なもの、なんだろう。
* * *
帰り道。いつものように私は、今田くんと二人、無言で歩く。
この無言の時間が、私は好きだ。考えをまとめるのにもちょうどいいし、なによりお互いに気を遣ってない感じが好き。そしてそれは多分今田くんも同じで、だからこの時間に会話が発生したことなんて、数えるほどしかない。
とにかくそうやって、私達は今日も、街角の小さな空き地にやってきて、いつものベンチに腰掛ける。
この空き地は、めったに人の来ない、私達だけの秘密基地。そう呼ぶと少し子供っぽいけど、ここでしていることを思えば、この呼び方が一番ふさわしいような気がする。ご丁寧にベンチまで置いてあるくらいだから、極稀にお散歩おじいちゃんとか、小学生くらいの子どもたちが来ることがあるんだけど。
「昨日どこまで行ったっけ?」
今田くんが急に口を開く。いつものように、何の前触れもない始まり方。
「えっと、昨日は……」
記録用ノートと化しているB6の手帳をパラパラとめくる。
「あったあった。ここだ」
言いながら、私はタイマーを6時にセットした。
私達がここでしているのは、いわば「話し合い」だ。私達の大切な人を奪った「だれか」を探し出すための「話し合い」。
――私の両親は、二年前、何者かによって殺された。
中学2年生、春。あっという間だった。……あっという間に、私は独りになった。
壊れそうなくらい、泣いた。これからどうやって生きていけばいいのか、それすらわからずに、ただ泣いた。
今田くんと頻繁に話すようになったのは、それから少し経った頃だった。
――俺の親も、殺されたんだ。
二年前のあの日、彼はたしかにそう言った。
本当に驚いた。けれどそれと同時に、どこか救われるような心地もした。
私だけじゃ、ないんだなって。
人の身に降りかかった不幸を喜ぶなんて、最低だと思う。だけどきっと、今田くんも同じ気持ちだっただろうから。
――「話し合い」が始まったのは、今田くんの提案によるものだ。
二人共両親を殺されているということが分かってから半年が経った頃。連続殺人鬼「X」の存在が報道された。
Xには「謎」みたいな意味があって、このシリアルキラーの正体が一切掴めないことから名付けられたらしい。多分、目印なんかもあるんだろう。公表されてないから知らないけど。
今田くんが「話し合い」を提案してきたのは、ちょうどこの頃だった。
彼はその時、私と彼の両親を奪ったのは同じ人物なんじゃないか、って言った。
考えすぎだよって、最初は思った。そんな偶然があるわけないって。
そうやって笑う私に、彼はあの時、こう言った。
「考えてしまうんだよ、どうしても。……こんなに身近に両親とも奪われた高校生が二人、その地域には連続殺人鬼、そして、――その連続殺人鬼は、子連れの親しか殺していない。」
そんなことを言われては、私も考えないわけにはいかなかった。
本当に、私達の両親は、同じ人に奪われたんじゃないか、って。
あの時、今田くんは言った。確かめてみようと。自分たちの持つ全てをさらけ出し、話し合うことで、真実を白日のもとにさらす。それを二人の手でやっていこうと。――断る理由なんて、どこにもなかった。
……ところで、今田くんが何一つ口にしなかったことがある。私としては、いちばん大事なことを、今田くんは一言も口にしなかった。
突き止めた後、どうするのか。
話し合いで犯人突き止めましたっていっても、直接的な証拠がなければ警察は動かない。証拠なんて私達が持っているはずもないから、法の下で犯人を裁くのはほぼ不可能と言って良い。
何より警察は現在、まともに犯人探しをしていない状況にある。それに、私達の両親が殺されたのは2年前だから、証拠なんて今から探しても絶対に挙がらない。
となると、Xを裁くには、直接的な方法しか残らない。
――つまり、復讐。
今田くんは、それを一言も口にしなかった。
今田くん、どうするつもりなんだろう。
――私は。
私は、きっと……。
「……えっと、そろそろいいか?」
「え?」
不意に今田くんが遠慮がちに声をかけてきて、私はちょっとびっくりする。
はっと気づいて、手首の腕時計を見る。気づけばもう5分が経過していた。
「5分間も待っててくれてたの!?」
「……森、なんか考え込んでたから」
どうも、私が脳内の世界から帰ってくるのを、ずっと待っていてくれたらしい。流石に5分も経てば待てなくなったみたいだけど。あまりの優しさに嬉しさを通り越して若干引いてしまう。
「えっと、ごめん。……始めよっか」
「そうだな。まず……」
今田くんが普通に話を始めてくれたので安心する。私も頭のスイッチを切り替え、脳内を話し合いのモードに転換する。
「この前の、森の考え。たしかに面白いけどさ、なんかそう思う根拠とかないのか?」
早速質問。因みに私の考えっていうのは、最近あった、「ある事件」の犯人=Xなんじゃないか、っていうものだ。
その「ある事件」っていうのは、亮のお母さんが刺された事件のこと。この事件も、父親が行方不明という一点を除けば、他のXによる事件に通じるところがあるから、気になって調べてみたんだけど、結構ニュースになっていたらしくて(私達はニュースはあんまり見ない)調べだしたらすぐに、驚くべきことが出てきた。
なんでも、亮のお母さんは、亮のお父さんに刺されたらしい。警察はそう断言していて、行方不明になった父親を追っているらしい。亮が変になったのは、きっとこれのせいなんだろう。信頼すべき家族に裏切られたことで人間不信になる。考えられるパターンだ。
たしかに、辛かったろうな、と思う。
だからこそ力になりたいのに、全然近寄らせてくれない。流石に少し、寂しさがある。
――おっと、思考が変な方に行っちゃってた。集中集中。
それで、もし「亮のお父さん=X」だったとすると、辻褄が合うことがある。
まずは、殺人が「この周辺の地域」に限定されていること。別にこれはこの周辺に住んでいる人だったら誰でもいいわけだから、亮のお父さんじゃなくても別に構わない。ただ亮のお父さんも該当者の一人だよねっていう話。
まあこれに関しては、全くの外部に住んでいる人がこの周辺に住んでいる人の犯行と偽装するためにこの周辺に限定している可能性も考えられるけど、そのためだけにここに頻繁に来るっていうのもなんか考えにくいから一旦除外。
私達が狙われた理由もわかるかもしれない。今のところXは無差別殺人者と言われているけれど、もしかしたら快楽殺人者なりに何か動機があるのかもしれない。その点、亮と関わりのあった私達の家族なら狙われても不思議はない、かな。
とりあえずこれだけの内容を伝えると、今田くんは難しい顔をして、
「でも、それは”亮の父さん=X”と仮定したら、の話だろ?第一、どっちも根拠としては薄い。考えにくいな」
そう言った。
「分かってるよ。だからこの話は、まだ想像の域を出ない。結局のところ、ただの私の勘ってだけだし」
そう言うと、今田くんは複雑そうな顔のまま黙り込んだ。私は続けて、言う。
「ただ、もしそうだと仮定すると、……ん?」
何か、引っかかるものがある。なんだろう、と私はその正体を掴もうとする。でもそれは、まるで靄がかかったみたいに輪郭がぼやけていて、掴むことができない。
同一人物……?いや、やっぱり変だ。だったら、協力者?……それも変な話だし、そうだったらだいぶお手上げだな。一旦除外。――スケープゴート?だとして、誰が?
場に沈黙が降りる。ふたりとも考え込んでしまって、話し合いが再開する気配はない。
その時、唐突に、私の手元から大きな音が鳴った。
「うわ!」
いつもならこんなに驚かないんだけど、今日は考え込んでいたからちょっと驚いてしまった。
音の正体はアラームで、それは約束の6時が来たことを示していた。
「今日の所は、これでお開きかな」
「……だな」
さっきからずっと考え込むような態度を取っていて、今田くんの会話の歯切れが悪い。まだあの事を考えているのかな。
「……えっと、帰ろっか」
そう言って、立ち上がった。今田くんも今気づいたみたいに私を見て、慌てて立ち上がる。
「家まで送るよ」
「うん、ありがと」
今田くんは、暗くなって申し訳ないからと、毎日のように家に送ってくれる。
まあこの時期だし全然暗くないんだけど、それでも心配だから、って言ってくれてて、だから私も、それに甘えることにしている。
「あ、ねぇねぇ」
「ん?」
沈黙を破るため、そして今田くんの気持ちを少しでも紛らわせるために、口を開く。
「もうすぐ新しいカフェできるの知ってた?」
「まじ?知らなかった、どの辺に出来んの?」
よし、食いついた。今田くんもちょっと興味あるみたい。
少しだけもったいぶって、また口を開く。
「ん〜とね、3丁目の武蔵野通りのとこ!」
「あそこ?どこに新しいカフェなんて建てるスペースがあるんだよ?」
笑いながら、今田くんが言う。
今田くんが笑ってくれると、なんだか嬉しい気持ちになる。――いや別に、好きとかじゃないよ?ただ、いち友達としてね?それから秘密を共有し合っている仲間としてね?
――まぁ実際ものすごいモテ男だし、私だって女子だし。もし言い寄られたら、コロッと行っちゃう……かもしれないけど。でもそれとこれとは別というか。ね?
内心のぐちゃぐちゃを紛らわせるように、早口で言う。
「なんか、どっか元からある建物に移店してくるんだってさ」
「あぁ、そういうこと」
納得したように今田くんが言う。
「今度行ってみるか?」
「行ってみたい!」
「そうだな、じゃあまた今度な」
またちょっと笑って、そんな事を言う今田くん。
「う、うん。また今度ね?」
何故かしどろもどろになってしまう。今田くんも気づいたようで、
「……なんだ、俺じゃ不満か?」
なんてことを言ってくる。
「べっ、別に不満とかそういうのじゃなくて!」
声が大きくなってしまう。なぜか少し顔が火照ってるのがわかる。
そのとき、急に今田くんが、ふっと笑った。
「え、ちょ、なんで笑うの!?」
ちょっと声を大きくして言うと、今田くんは軽く笑って、
「悪い悪い、ちょっと面白くてさ」
「何が!?」
ついむきになって声をどんどん大きくしてしまう。
「なんつーかその、安心した、っていうかさ。森もただの高校生なんだな、って」
「……そりゃ、そうでしょ」
そう、だよね。
今田くんだって、ほんとはさ。
「そういう今田くんだって、そういう事するんだね」
「そういう……?」
今田くんが困惑したように眉を顰める。
そして、そんなことをしている内に、家に着いてしまった。
「あっ、今日もありがとね。また明日!」
ぴょんと方向を変えて、軽く手を振ってみせる。
「……あぁ、また明日」
いつになく穏やかな声。
――そういうとこだよ、今田くん。
内心の気持ちを隠すように、口を開く。
「約束だからね!」
「……約束?」
首を傾げる今田くんに、笑顔で言ってみせる。
「カフェ!今度絶対連れてってね!」
今田くんが言葉に詰まったのを確認してから、私はドアを閉めた。
ちょっとだけ、なにかに勝ったような気分だった。
* * *
翌日。
いつものように登校してきて、荷物をおろして、一息つく。
「昨日の”マジコイ”みた〜?」
「見た見た!ナツとヒロやばかったよね!!」
「あの二人まじ熱いわ〜」
教室はなんか昨日更新されたらしい恋リアの話題で持ちきりだった。この朝の、何気ない会話風景は、嫌いじゃない。
――ってか”マジコイ”って。ネーミングセンスはどうにかならなかったのか。
「天音マジコイ見た?」
「あ、えっと、ごめん見てないんだ」
急に話しかけられて、慌てて返事をする。
「え〜絶対見たほうが良いって!昨日マジヤバかったんだから!」
「そうなんだ?うん、帰ったら見とくね」
まあ多分見ないけど。恋リア全然好きじゃないし。他人のプライベートを覗いてるみたいで。
そんなことを考えながらさっさと席について荷物の整理をしていると、なにやら急に教室が騒がしくなって(主に女子)、何気なく顔をあげる。
教室にちょうど入ってきた、今田くんと目が合った。
「……あ」
いつも通りに、おはよう、と言おうとして、脳内に昨日のことがフラッシュバックする。
――約束だからね!
自分の脳内で、昨日の自分のセリフを反復してみる。
すぐに顔が熱くなった。
「……?おはよう、森」
なぜか戸惑ったように挨拶してくる今田くん。
ガタン、と音を立てて、私は勢い良く立ち上がった。
「森……?」
「おはようっ!!」
私は半ば自棄になって叫ぶようにそう返すと、真っ赤な顔を悟られないようにしながら、教室を飛び出した。
「……俺、なんかしたっけ……?」
「さあ……?」
教室を出るときにそんな声が聞こえた気がしたけど、気にしないことにした。
だって、だって。
「ああああっ、もうっ!」
思わず声に出してしまい、はっとして周りを見回す。反射的に口元も塞いだ。
……よかった、誰もいないみたい。安心して息を吐く。
というか、結構走ってきてしまった。階段を登った覚えはないんだけど、気づいたら4階の図書室にやってきていた。
せっかくだし、本でも見てみようかな。
そう考えて、図書室の扉を開く。別に本に特別興味があるわけじゃないけれ
ど、何かしてないと羞恥で頭がおかしくなりそうだった。
「失礼しまーす……」
なるべく小さな声で言って、入室する。
とりあえず、小説でも探してみようかな。
そういえば、夏休みには読書感想文の課題がある。今のうちに読んでおくのも悪くないかな。
そう思って、小説コーナーに向かっていく。
「……ちょっと亮くん、あれ取って。届かない」
「そこに台があるだろ。自分で取れよ」
声が聞こえて、歩みを止める。
今私が行こうとしていた小説コーナーには、先客がいた。
亮と、凛ちゃん。
「それくらい取ってよ、ケチ」
「……ったく。ほら」
「ありがと!」
私のよく知っている、亮の姿が、そこにはあった。
……凛ちゃんなら、良いんだ。
家族だから当たり前に信じられる、そういうことなのだろう。きっと。どうやら私達は、亮の信頼できる人リストには、入れなかったらしい。
なんだか鬱々とした気持ちのまま、踵を返して教室に帰ろうとする。
唐突に、胸がざわついた。
(……?)
何か、引っかかるものがある。
何か……。
「……っ!!」
思わず口を覆う。
――亮のお母さんは、亮のお父さんに殺されたということになっているはず。つまり亮は、家族に裏切られたはずだよね。なのになんで、家族のことをやすやすと信じられるの?
亮の今の状態からして、こんな状況で家族のことを全面的に信じられるとは考えにくい。本当に、家族に裏切られたのだとしたら。
――わかってる。考えすぎなのはわかってる。だけど、私は考えなきゃいけない。考えざるを得ない。
亮のお父さん=Xなんじゃない。亮のお父さんはスケープゴートにされただけで、本当のXは別にいる。
亮はそれを確信しているから、凛ちゃんや桜さんという、二人の家族の事を信じられるのではないか。
――もちろん、想像の域を出ないことだ。私達がずっと思ってるみたいに、ことはずっと単純かもしれない。単純に、完全な人間不信なんてものに亮は成りきれなかった、というだけかもしれない。だけど、亮がこの事実に気づいてると考えた方が、辻褄は合う。そうでなければやはり、亮は正しいとは言えないのだけれど。
何にせよ、ここに私達の追うXはいない、ということだ。
なんだか苦い気持ちになり、今度こそ踵を返して、図書室を出た。
なによりも、一番不愉快だったのは、自分自身だった。
……結局、自分のことばかり。
* * *
「……なるほどな」
放課後。早くあのことを伝えたくて、私は初めて部活を休み、いつもの話し合いをしていた。
話すなり、今田くんはさっきの反応を見せ、難しい表情でずっと黙り込んでいる。
「とりあえず、ここにXはいなさそうだから、この話し合いの題としては除外する……けど」
そうじゃないんだよね、と今田くんの目を見る。
「……亮は、どうする気なんだろうな」
「どうだろうね……」
まだ確信できているわけじゃないし、違うかもしれない。けれど、そう思ってしまった以上、放っておけはしない。かといって、私達でどうにかできるような問題でもない。
1つ問題が解決するどころか、とんでもなく大きい迷宮の中に迷い込んでしまったような気分だった。
「今日は、もうお開きにするか」
「え?」
驚いて、目の前の顔を見つめる。
「今日はお互い、何も出てこなさそうだしな。それよりは、家に帰ってから、考えをまとめたほうが有意義だろ」
「確かに……?」
「そういうことだし、さっさと帰ろうか」
今田くんはそう言って、さっさと歩き出してしまった。慌ててついていく。
――結局、今日の話し合いでは、大きな進展はなかった。
それどころか、余計にいろんなことがわからなくなったような気さえする。
次こそは、次こそはって、毎日毎日思うけど。
Xは、いつまでも靄のかかった存在で、いつまでも掴むことの出来ない存在だ。
……だからこそ、逃したくない。
いつか必ず、尻尾を掴んでやる。
だからその時まで、どうか……。
「森?どうした?」
今田くんの声で、我に返る。
「ごめんごめん、ちょっと考え事」
言いながら、傍に駆け寄る。
微かに灯った決意の炎は、胸の奥にそっと押し込んで。




