10 森の罠
深い森の中を、アレンとふたりで疾駆する。前へ。前へ。前へ。
余所見をすることなく、私たちはただひたすらに走っていた。
「いやっはっはっは!」
「笑い事じゃねえ!!」
「そうは言っても笑うしかないだろう、この状況は」
「くそっ! おっさんはベテランの冒険者なんじゃ! なかったの! かよ!」
「確かにそうだが、斥候や索敵は本業ではないのだよ。それに半分以上は君のせいだ」
「そう! だけ! ど!」
「ほらいいから無駄口を叩かずに二本の足でとっとと走れ。急がないとあの八本足に追いつかれるぞ」
「くそっ! たれ、えぇぇぇぇえ!!! うおおぉぉぉおおおぉおお!!!!」
私を追い越して息を切らしたアレンが、それでもなお必死の形相で駆けていく。その表情に余裕といったものは一切ない。人の手の入っていない草を掻き分け、伸びた木の枝を体で押し退けながら、森の中を奥へ奥へと走っていた。私はそれを追いかけながら、後ろを振り向いた。
深緑色をした十二個の複眼でしっかりとこちらを捉えながら、毛の生えた八つの足を素早く動かして追いかけてくるものが居る。人の胴体ほどもある丸い横長の体にもびっしりと毛が生えており、背中部分には人の頭蓋骨のような模様も見える。顎部からはたくさんの牙が覗き、蠢いていた。
音もなく忍び寄り獲物を仕留める森の捕食者、髑髏蜘蛛である。それらが三体、私たちを狙ってしつこく追いかけてきていた。
私の魔術によって身体能力を引き上げた私たちは、髑髏蜘蛛を引き剥がせないものの、かろうじて追い付かれずに一定の距離を保っている。
しかしそれも時間の問題かもしれない。私はまだまだ大丈夫だが、アレンがまずそうだ。冒険者を名乗るくらいだから体は鍛えているであろうし、今しばらくは平気だろうが、体力がいつまで持つか。なるべく早く決着を付けなければならないな。
なぜこんなことになったかと言えば、至って単純。髑髏蜘蛛の奇襲を受けたのだ。とは言っても、半ば自爆のようなものではあるが。
街を出て森に入った私たちは概ね順調にシュガ村へと進んだ。地元の森とは勝手が違うこの森に苦戦しながらも、アレンはしっかりと私に付いてきた。そのうえで身体強化の魔術で体力や筋力を底上げし、効率的に旅路を進めた。
だが、これがいけなかったのかもしれない。
獣や危険な箇所を避けてしばらく進んだ私たちは木陰で小休止を取った。ミリアムが持たせてくれた、昨夜焼いた肉の余りを挟んだパンを食べ、軽く食事を済ませた。すると食後の休憩中、アレンが綺麗な水の流れる沢を見つけた。どうやら私が魔術で出したものよりも魅力的に映ったらしく、水用の革袋を持って沢の水を汲んできた。
仕方のないやつだ、と私が思っていると、彼の左手の甲に何かが貼り付いているのが見えた。紫色をした小枝ほどの大きさを持つそれはびくびくと震え、気色悪くうねうねと動いていた。
私がその正体に気付いたとき、彼もその奇妙なものに気付いたのか右手で摘んで引っ張った。そして、これまでの道中さしたる危険も無かったため危機感が欠如でもしたのか、私がよせ! と止めるよりも早く、気持ちわりぃ、と呟き力を込めて、不注意にもそれを潰した。
次の瞬間、アレンに真っ白な細い何かが巻き付いた。そしてそのまま引っ張り、木々の奥へと消えていった。くそっ、遅かったか! と内心毒づきながらも私は急いでアレンの姿を追った。
幸いにしてすぐにアレンは五体満足の状態で見つかった。体に幾重にも糸が巻き付き身動きの取れない状態ではあったが、頭や手足がもげているわけでもなし、十全だろう。そしてその原因もすぐに目に入った。
大方の予想通り髑髏蜘蛛であった。ちっ、厄介な。奴は顎の下にある器官から糸を吐き出し、アレンを捕まえ引きずっていた。当の本人は何とか糸を振りほどこうとしているようではあるけれど、巻き付いた糸は微動だにしていなかった。
この糸は獲物の捕獲時は柔軟に相手に巻き付いてへばりつくが、空気に触れているとすぐに硬度を増す。私は両者の間にぴん、と張り詰めた糸を手早くナイフで切り取り、すかさずアレンに巻き付いた糸にもナイフを走らせ彼の拘束を解いた。多少服が破れた気がするが、たぶん気のせいだ。そうしておいた。
急に糸が切られて獲物を奪われたのがわかったのであろう。髑髏蜘蛛が聞き取るのも困難なほどの、甲高い不快な声を上げ、迫ってきた。
私はそれを手にした剣でいなし、逆に足を一本切り裂いた。耳が痛くなるほどの高い声がもう一段跳ね上がり、キチキチと木々の間にこだました。
その一撃はやつの傷口から体液を溢れさせはしたが、切り落とすまではいかなかった。まあ仕方ない。私はそれなりの経験を持つ冒険者であるためにある程度剣は扱えるが、決して本職ではないのだ。
アレンは張り付く糸を何とか振り払い、立ち上がった。すると激昂する髑髏蜘蛛の後ろから更に追加で二体現れたのが見て取れた。
私はすかさずアレンへ「走れ!」と叫んでからこちらに注意を引きつけた。襲い来る三体の髑髏蜘蛛を牽制しながらアレンが無事に走り去るのを確認し、私はその後ろを追いかけた。
そんなこんなで逃走劇が始まったわけである。それなりの時間逃避行を続けていたためにアレンの体力は大丈夫かと思っていたが、私の心配をよそに意外にもアレンは根性と底力を見せている。額に汗を玉のように浮かべて息も荒いものの、走る速度はむしろ逆に上がっていた。
その効果は後方にも現れたようで、とりあえず髑髏蜘蛛の姿は視界から消えている。まずは一安心か。見えていないほうが恐ろしい部分もあるけれど。
「油断するなよ。髑髏蜘蛛は執念深い。一度捕まえた獲物は熊のようにどこまでも追いかけるぞ」
「畜生! 獲物って! 俺かよっ!!」
「しかも君は熱喰い蛭を殺した。狙われているのは確定だな」
「熱喰い蛭っ!?」
この状況でよくもまあ速度を落とさず会話をするような芸当ができるものだ。助かった後で聞いてもいいだろうに。
「ああ。君が潰した紫色のやつだ。あれは熱喰い蛭と言って、対象の血とともに熱を奪い、捕食する。吸い付かれた獲物はいつの間にかに血液と体温を奪われて、気付けば体は動かなくなっている、というわけさ」
「それに! 何の! 関係が!! あるんだ!!」
「共生関係だよ。髑髏蜘蛛は熱喰い蛭と共生関係を築いている」
一拍の間をあけ、続ける。
「熱喰い蛭が血液と熱を奪い獲物の動きを封じ、髑髏蜘蛛はその獲物を捕食する。そして熱喰い蛭の体液には髑髏蜘蛛が糸を通じて獲物に付着させるフェロモンのような物質が混じっていて、奴らを興奮させ、熱喰い蛭を殺したものを追い詰めるのだ」
「くそったれ! 確定じゃ! ねえか!!」
「だから言っているだろう、確定だと。ちなみにだが熱喰い蛭の体液には髑髏蜘蛛だけでなく同族を集める効果もあってね。髑髏蜘蛛が来なくとも、あそこにあのまま居座っていれば木の上やら草むらからやってきた熱喰い蛭に群がられ、干からびていたことだろうよ。モテる男はつらいな」
「嬉しく!! ねえよ!!」
「ほら速度が落ちてきたぞ。喰われたくなかったら走れ走れ」
「ぬおおぉぉおおおぉぉぉぉおおおおおっ!!!!!」
滝のような汗を流し、大地を力強く踏みしめて、ヤケになったかのように叫びながらもアレンは足を前へと動かし続けた。
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