第5話
村に丘を一つと川一つ隔てた隣村から、火急を告げる一報が入ったのは、銀花とその兄が村を後にしてから半日経った夜遅くだった。
村と周囲の境目に据えられた玄関口の関所に、隣村の緊急伝令役の男が転がりこんできたのである。
閉じられた大門を五月蝿く叩く男が隣村の男だと知るや否や、門の両端に建てられた物見の高楼にいた門番役の男達は、高楼の階段を走り降り、扉を開けると男を迎え入れた。
用意された水をがぶ飲みし、一息つくのも待たず、男は息も絶え絶えに言葉を伝える。
何事かと、関所の異変を察して集まりだした村人達の顔に戦慄が走ったのは次の瞬間だった。
「ひ、昼頃……村の外れに障魔の死体らしきものが数体、見つかったんだっ」
障魔の一言に、伝令役の男を中心とした輪のあちらこちらで悲鳴まじりの声が上がる。
「なっ、何だって!?」
「障魔がっ!?」
「間違いはないのっ!?」
ここまで件の障魔と鉢合う危険を冒しつつ、隣村まで走り通してきた男は水の入った杯に口をつけながら頷く。物事を考えずにそうしてしまったために、首を動かした拍子に杯に注がれた水が波立ち、男の顔に飛沫を浴びせた。
「し、障魔がこちらに来たら、殺されるわっ。障魔に殺されるのよ!」
村の女の一人が叫ぶ。震えあがる女を宥めすかす村人や、伝令役の男の言葉を飲み込めきれない村人の中にも、恐怖はじわりじわりと形作っていく。
けれどそれらが頂点に届く前に、一人の男の、縋り付く感情から発した言葉によって、俄かに正気に立ち戻ることができた。
「な、なぁ。今あんた、障魔は死体になってたって言ったよな?だったらいいじゃないか。ともかく、俺等は助かったんだからよ」
伝令役がこくりと頷くのを見て、錯乱状態に陥りかけた村人達は波が引くように、静かになっていった。
それを見て別な男はふうと息を吐き、他方で錯乱はせずとも事実を飲みこみきれないのか、表面上はいつもと変わらない村人の何人かを近くに呼び集め、素朴な疑問をぶつけた。
「障魔は死体になってたってことはよ、誰かに障魔を片付けたってことだろ?しかも群れだっていうんだろ?」
元来、気紛れな性質から単独行動の多い障魔が一カ所に集まることは滅多にない。
「奇妙だ」と集まった村人達の誰もの顔に、腑に落ちないとありありとかいてあった。
その中の一人が口を開く。
「障魔を片付けた奴がいるはずだろ?それは誰だ?」と。
障魔一つを屠るのに、並の人間では太刀打ちできないことは子供でも知っている。彼らがそんな障魔と関わりを持ってしまった場合、悔しいことに、できることは限られていた。
直接出くわしてしまったときは、とにかく逃げの一手。その場から走って逃げるぐらいしかない。けれどそれは本当に最悪の場合だけ。単に関わっただけとなれば、まだ幾らか選択肢が残されている。
その最たるものは障魔の討伐を請け負う呪玉師達にその旨を依頼することである。
彼らは人の身でありながら特別な霊玉をもって障魔と対峙することができると知られている。
障魔は呪玉師に打ち滅ぼされた。
思い当たる存在に互いに目配せをし合う。答えになろうものを見出したのは良いが、それから先の話がどうにも続かないのだ。
何故、呪玉師が障魔を屠ったのか。依頼でもあったのだろうか。
「群れを相手にしなきゃなんない理由ってなんだろう」
冷静な言葉に、この話題自体を終いにしたい男は思いつく答えを口にした。
「呪玉師は連中には一等の敵役だ。連中からすれば近くを通りかかられただけで不快だろうさ」
同胞意識の有無など知らない。ただ自己の不快がそのまま、相手の死に結び付ける恐ろしい精神構造の障魔に、そんな構図は容易く見当がつく。
「もし、本当に呪玉師が近くにいたって言うなら、惜しいことをしたな」
誰かが実に残念そうな声を上げた。
「ああ。適当に恩を売ってやれば、上手くいけば居座ってくれたかもしれん」
先の男の発言に同意する男。彼らの意図することが理解できず、何故なのかと問いかける者がいた。
「逆に障魔に狙われるんじゃないのか?」
「障魔が来たって、群れを倒すぐらいの奴だぞ?そこいらの呪玉師でもそうそういないだろう?そんな呪玉師がこの村に居着いてくれるんなら、ご領主様だってこの村を特別に優遇すて下さるだろうし、そしたら得するのは俺達だろ?」
なるほど、と腕を組み頷く。
ふとそれまで口をつくんでいた老年の男が口を開いた。
「呪玉師はあの男じゃないのか」
「あの男?誰だよ……」
聞き返した男の顔にも、他の者の顔にも一瞬にして老人の言わんとすることに思い当たった。
まさか、と誰かが呟く。
「でもそんな風には――」
「確か佐茅って、水晶玉の首飾りをしてなかったか?」
その姪である銀花も。しかも彼女は水晶の原石を玩具に一人遊びに興じていたことも、一部で知られている。
ある時、この村に流れてきた二人は、そのまま村に居着いてしまった二人。元々この出身の者でないことから、生活にも馴染みきれないところを残していた。
少女の一人遊びなど、その例にも挙げられる。
その一人遊びに使っていたものが、どこからか見つけてきた水晶の原石。
一概に水晶が高価であるとは言い難い。しかし、中には驚くべき値で取り引きされることもある。そして呪玉師の多くが、最も馴染みやすく身近だという理由で、水晶を己の能力を引き出す霊玉として用いていると言う噂もあった。
「佐茅も銀花も呪玉師じゃないわっ。二人とも、一度もそんなこと、言っていなかったもの!」
突然割りこんできた女の声に、彼らははっとしてそちらに顔を向けた。そこには二人と親しい間柄であった主婦が怒りに顔を朱に染めて立っている。
「間が良すぎんだよ。疑うなって言う方が無理な話だ」
「…そうね。二人がいなくなった途端の障魔騒ぎだもの」
ついさっき、悲鳴を上げていた女は、未だに恐怖を拭えない表情で、冷たく言い放った。
その目には、懇意とまではいかずとも、穏やかな会話をする程度には馴染みだった少女への裏切りにも似た暗い炎が宿っていた。
「ただの偶然よっ。第一、障魔を倒してくれる呪玉師なら、わざわざ身分を隠す必要なんかないでしょっ!?」
「そう考えるのが妥当さ。――俺達は騙されてたんだよっ」
「ああ。自分から正体を明かすほど、連中は馬鹿じゃねぇからな」
「……え?」
言葉の意味がわからず戸惑う主婦に、横にいた中年の男が吐き捨てるように言った。
「呪玉師は障魔と縁深い。俺達も巻きこまれる可能性が高いんだ。それを隠して村にのうのうと住んでる、これが騙されていたんじゃなかったらなんなんだ!」
「でも、さっきはいてくれたら嬉しいってっ」
それに、彼らが呪玉師だった確固たる証はない。すべては推測の域を超えていない。
男はせせら笑いながら、強い語調で言い放った。あんなものは言葉のあやだと。
「馬鹿言うなよっ。あんなの……冗談に決まってんだろうがっ。冗談でなくてどうして、あんな化け物共と一緒にいることを喜んでいられんだよ!」
呪玉師も、所詮化け物だ。
障魔を倒すほどの力が異質でなくて、なんと言うのか。
「で、でも銀ちゃんも佐茅さんも呪玉師なんかじゃないわよっ!」
障魔以上の化け物と聞いて、思わず主婦は居竦んでしまった。けれどもこのまま、可愛がっていた少女やその兄である人が一方的に罵られるのは見過ごせなかった。
「同じさ。例え本物の呪玉師じゃなくてもな。希にいるらしいぜ?呪玉師でもないのに、障魔にやったらと好かれる連中がな」
「呪玉師共より、手が悪いな。餌をちらつかせてるようなもんだ」
「ああ。まさにその通りだろうさ……。それじゃあよ、質問するが、仮にそんな奴等がいてそれに巻き込まれるのは誰だ?……俺達だろうっ!?」
語調が一変し、主婦は体を震わせ萎縮した。
「呪玉師だろうが、人間だろうが関係ねぇんだよっ。障魔と関わりある奴は皆同じ化け物だっ!俺達を巻き込んこもうとしやがるっ!」
周囲がざわりと波立った。
主婦は集まった人垣に目を走らせる。
皆の目は、恐怖と怒りの間を彷徨っていた。
「行くあてもないから、温情で村の外れに住まわせた礼がこれだぞっ!?これで怒るなと言う方がおかしいんだよっ!!」
胸に渦巻いたものをすべて吐き出した男は、最後に主婦を鋭く睨み付けると、これ以上聞く耳持たないとばかりに、人の輪から外れていった。決めつける物言いが、他の者達の疑心を殊更に大きくしたらしく、彼らもその男と同調を示すように散っていく。
すでに隣村からやって来た男も、彼の世話をしていた者達も退いている。明日は詳しい話を議論することになるだろうが、今日は夜も遅く、皆床につき日が昇るのを待つだろう。
一人その場に残った主婦は、村人達の口から放たれた言葉を思い出しながら、別れた少女を想った。
本当に彼女が呪玉師だと言う確証はない。けれど、違うと……信じている。
否、そもそも呪玉師だろうが、そうでなかろうがそれがいったいどれほどの価値があるのか。
それまでは誰もが彼らと親しく接していた。普通に接していた。
片割れの青年を火葬するに際しても、彼らは自らの好意で手伝ったはずだった。なのに今は手の平を返すような態度を取る。
それが彼らの心の底から出たものでないと信じながら、どこかでそれの影に捕らわれる自分を感じた。
一人取り残され、人目がないことを知ってか、主婦は懐から巾着を取り出していた。中を出そうとはせず、胸の上で両手でそれをしっかりと握り締めた。
これは隠した方がいいかも知れない。村人に見つかったら大事だ。
少女がよく遊んでいた水晶の原石は、誰かに見咎められれば、すぐにその元の所有者が誰であるか知れることだろう。
取り上げられ、捨てられてしまうだろう、と簡単に予想が付く。
捨てられてしまうのなら、隠してしまう方が良い。
どこか良い隠し場所はないだろうかと、歩き出しながら思案する。
ふと、ある思いが脳裏を掠めた。
捨ててくれるならば、それに越したことはないのではないか、と――。
面倒事は御免だ、と言う薄情な囁きが胸の奥から漏れ聞こえた気がした。
はっと我に返り、後ろめたさと自己への怒りから、己を激しく叱咤した彼女の足は、自然と足早になっていた。
半ば走り歩きをしていた彼女が人とぶつかるのは、程なくしてからだった。
こんな夜半に、外に出ている村人は誰だろうか、と疑問に思いつつ、顔を上げる。考えることで頭の中が一杯で、視線はいつの間にか足下に落ちていたのだ。
ぶつかった相手を見ようと顔を上げるが、相手が男であること以外、確認できなかった。男の背には銀の三日月が、滅多にないほど明るく輝いていており、主婦にはその光が生み出す逆光から、男の顔を捕らえることが出来なかったのである。
けれど何かを感じるものがあった。
まさかと、その顔は強張る。
「貴男、死んだはず……んっ!?」
目を疑う現実に悲鳴を上げようとした口は、大きな手に阻まれる。恐慌状態は更に酷くなり、暴れだそうと言う雰囲気を感じさせ始めたが、それが行動に移されることはなく、数瞬後には主婦の体は力をなくし、その場に静かに崩れ落ちていた。
地面に横たわる主婦の手からこぼれ落ちた巾着を、拾い上げると袋を手の中に握り締める。
一拍の後に手を開くと、そこにあるべき水晶の原石を詰めた巾着は姿を消していた。
男の輪郭が徐々に崩れ、それは真っ黒な灰になって僅かな風に乗り、四散する。すべてが風の中に消える頃になって、気を失った主婦は目を覚ました。
幾度かの瞬きをしてからゆっくりと起きあがり、自分が地面に横たわっていることを確認して、首を傾げながら呟いた。
「あら……わたしったら、どうして地面に横になっているのかしら」
立ち上がり、服に付いた泥を払うと、再び首を傾げた。けれども、本来であればそこで深く考えるべきことも、何故だか気もそぞろで、次の瞬間には自分が地面に寝ころんでいたことすら覚えていなかった。
「あら、もう夜中じゃない。早く帰えらないとみんなが心配するわ」
村から、またそこに住む村人達の記憶の中からも、同じ村にいた二人の人物に関わる痕跡の一切が綺麗に拭われていたのであった。




