ノーラオブライエンⅡ
その日、彼女はノ-ラの両親に「あまり大げさにしないでくれ」と念押しした。
「今からノ-ラとピクニックに行く」
それに関しては口出しは無用だと伝えた。
「ノ-ラに似合うドレスと、出かける前に髪を鋤いてやって欲しい」
父親は、夫婦の寝室からノ-ラのために仕立てたドレスを、山程抱えてやって来た。
そして、部屋中にハンガーで洋服を掛け終えると、何も言わず出て行った。
ベッドに腰かけ、母親に髪を鋤いてもらう間。ノ-ラは無表情で、壁に掛けられたドレスを眺めていた。
けれどその間も、ノ-ラの膝が忙しなく上下するのを、若い霊媒師は見逃さなかった。
母親は、娘の髪に瑠璃色のリボンを結ぼうと躍起になった。娘は執拗にそれを拒んだので、諦めざるを得なかった。
午後のお茶に出されるはずだった。クローデッドクリームに、杏のジャムをのせたスコ-ン。
リンゴのプディング、アイリッシュウィスキーに漬け込んだドライフル-ツを生地に詰めて焼いた、ミンスパイ。
バスケットケ-スに詰め込まれるだけ詰め込まれ。2人に手渡された。
庶民にはとても高価なキュウリを、ふんだんに使ったキュ-カンサンドも…母作りたかったが。3月のこの時期に夏野菜は手に入らない。
代わりに、揚げたジャガイモをチ-ズとバターで挟んだ、クリスプサンドがバスケットに押し込められた。
まるで貴族のような弁当を手に、2人は市内を歩いた。
寺院での、午前中の礼拝を終えたカソリック教徒が長い行列を作る。ア-メン通り。
当時、新設されたばかりのテムズ・バレー大学は、昔も今も英国で最も大きな大学で、構内も大学の外も大勢の学生で賑わっていた。
旧ポルトガル通りは、ピカデリー・サ-カスに名前を変え、地下鉄が開通したばかり。観劇のための劇場が建ち並ぶ。ロンドン1の歓楽街に変貌しつつあった。
当時の混雑ぶりを文豪ディケンズは「パリの大通りにも見劣りしない盛況ぶり」と記している。
ランチのバスケットなど…優雅に広げる場所など何処にもなかった。
「人に酔った!散々歩いたし…もう帰ろう」
元々、彼女自身が人混みが大の苦手だった。お腹が空きすぎて、気持ちが悪いし、都会の空気は体にも悪い。
ノ-ラは、最初のうちだけ、人の目を気にしてオドオドしていたが。
直ぐに慣れた様子になり。
彼女の後について歩いた。
あまり疲れた様子もない。
通行人の中には時々立ち止まって。彼女たちを遠くから見る男もいた。
ノ-ラが彼女の顔を見る。
「あれは、あんたが美人だから、見とれてるだけさ」
そう彼女が言うと、ノ-ラは恥ずかしそうに俯いて。何も答えなかった。
お世辞ではなく、ノ-ラは普通に身なりを整えて前を向いて歩けば。すらりと背の高いかなりの美人だった
2人はテムズ川の土手を辿りながら。やがて帰路についた。
3月の寒風が、容赦なく2人の娘の髪をなぶる。川沿いでのピクニックは、いかにも無謀というものだ。
ふとノ-ラが足を止めて。
水の流れる方を指差した。
「ああ、もうそんな季節だね」
岸辺にダッフォデイルが群生して咲いていた。
凍りつく寒風の中で、水辺に流した黄色いリボンのように棚引く。
その風景を見て、英国に住む人々は長い冬の終わりと、春の訪れを知る。
グレート・ブリテン島の南西。ロンドンから、西に125マイル先にあるウェールズ地方に数多く群生する
。彼岸花科の被子植物。
彼女の先祖は遠い昔海を渡り。
やがてこの地に流れ着いた。
彼女はここで生まれ。やがて師と仰ぐ人物と出会った。
国旗に描かれぬ赤い竜の紋章を掲げる。ウェールズ人は、民族の誇りを持って。自らをイングリッシュとは呼ばず。英語も話さなかった。
スコットランドにも、アイルランドにも。春にはダッフォデイルの花が咲く。
リ-キ同様、この地方に住む人々の間で、最も親しまれている花であった。
「私はこの花が好きだね。寒さに負けず『春が来た』と健気にラッパを吹いてる…そんな風に見えるからね」
「お姉さんには…花が歌ったり、お喋りするのが聞こえるんですね」
ノ-ラは彼女の事を名前で呼ばず。
「お姉さん」
そう呼んだ。
彼女も別に気にせずに「呼びたい言い方で呼べばいいさ」と彼女に言った。
「私も…何時かお姉さんみたいに、花の言葉が分かるようになるかしら?」
「それは無理だね」
私のは持って生まれたものだから。はっきりとそうノ-ラに伝えた。
「でも、私があんたにそれを伝えて上げる事は出来るよ…それでは駄目かい?」
「いえ、それで充分です。…ではお願いします」
ノ-ラはそう言って目を閉じた。
「私に聞かせて下さい。ダッフォデイルが歌う春の調べを…さあ!どうぞ!」
「今ここでかい?私は歌は苦手なんだ…その…ひどい音痴でね」
「私はこうして目を瞑っていますから平気です。何なら耳もふさぎます」
彼女は躊躇って、しばらく鼻の頭を掻いたりしていた。
傍らには両手を前で組んで。目を閉じたノ-ラがいて。何だか妙な光景であった。彼女がちっとも歌わないので、少し拗ねたノ-ラの唇が綻ぶ。
谷間を漂う雲のように
一人彷徨い歩いていると
思いもかけずひと群れの
黄金に輝く水仙に出会った
水辺の傍ら
木々の根元
風に揺られて踊る花々
銀河に輝く星々のように
並び咲いた花々は
入り江の淵に沿って咲き広がり
果てしもなく連なっていた
「驚いたね…あんた死者の言葉以外にも、マシな言葉を知ってるじゃないか!」
ノ-ラは閉じた目をそっと開いて、
彼女に言った。
「死者の言葉に違いはありませんよ」
「私には、ちと甘い気がするがね」
「お気に召しませんか?」
「いや、すごく気に入ったよ。誰の書いた詩だい?」
「教えません」
そう言って、ノ-ラは彼女の前を大股で通り過ぎた。
「何もかも全部教えてしまうと、お姉さんは、もう私に会ってくれなくなりますから」
「まだ、あんたには伝える事が残っているよ」
「それは明日にしましょう」
「例えば今日は人に慣れる訓練をした」
「いいですって!」
「この世界は、生者より死者の方がずっと多い、当前の如くね。いちいち、通りを歩く人間を気にしていては駄目なんだ。野良犬に出会った時みたいに。けして目を合わせない事。それでも向こうから寄って来るなら腹を…」
突然、彼女の口にノ-ラがクリスプ・サンドを押し込んだ。
「こちらのスコ-ンも、母のオススメです!さあどうぞ!!沢山歩いてお腹が空きましたよね?さあ、たんと召し上がれ!!!」
確かにノ-ラの母親は料理上手だ。
塩加減も固さも絶妙な、ジャガイモを彼女は口の中で噛み砕いた。
「美味い!」
「本当ですか?私も母に作り方を習おうかしら」
ノ-ラが彼女に見せた。
その日一番の笑顔だった。
春の訪れと共に、ノ-ラの両親の願いが叶う。そんな日もそんなに遠くない気かした。
「ここは寒いです、残りは私の家で…」
ノ-ラの申し出を彼女は断った。
「今夜は家族だけで過ごした方がいいよ」
彼女の提案に、ノ-ラは静かに同意の意を示した。
「ありがとうございます」
「さっきの詩も、聞かせてあげたら、御両親もきっと喜んでくれるさ」
今度は首を横に振らなかった。
「別の詩にします」
「何故だい?」
「どうしてもです」
ノ―ラは横を向いたまま唇を噛んだ。
「まあ、別に構わないけどさ…今夜はゆっくり休みなよ。静かな夜になるはずだからね」
「お姉さん、私はもう、何も見たり聞いたりしなくなるのですか?」
「家にいる時だけだよ。あんたは死者がとり憑いた訳ではなく元々」
「お姉さんと同じですね」
「ああ、私と同じだ」
彼女の言葉にノ-ラは俯いた。
「辛いのかい?でも、これは慣れるしかないんだよ」
「私、やりたい事が見つかりそうです」
彼女の返事を待つ事もなく。ノ-ラは言った。
「1つだけ…1つだけでも、お姉さんと同じなら、私は幸福なの」




