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熱力学的な密着と、鋼のポーカーフェイス

新宿第4ダンジョン、中層エリア。

ジュリが手配した安全地帯セーフエリアの結界内には、外の荒涼とした景色とは不釣り合いな、最新鋭の魔石駆動式シャワーテントが設営されていた。


「さあ、王子様。無駄なタイムロスを省くため、直ちに『同時洗浄』を開始しましょう」


狭いテントの中、充満する温かい湯気。

エンリが泥だらけのシャツを脱ぎ捨てた直後、背後から衣擦れの音が響き、ジュリが躊躇いなく自らの装備を解き放った。


「……っ」


振り向かないようにしていたエンリだったが、狭い空間に備え付けられた小さな鏡越しに、彼女の姿が視界に入ってしまった。


それは、常日頃の「隙のない有能な秘書」という分厚い鎧の下に隠されていた、暴力的なまでの造形美だった。

透き通るような白い肌は、温かな湯気にあてられてほんのりと桜色に染まっている。華奢な鎖骨から続く、豊満で重力に逆らうような双丘。きゅっと引き締まった細い腰のラインから、滑らかな曲線を描く脚線美へと続くプロポーションは、男の理性を消し飛ばすには十分すぎる破壊力を持っていた。


(……見ない。僕は何も見ていない。あれはただの炭素と水分、有機物の塊だ。ただの物理現象だ)


エンリは鏡から無理やり視線を外し、正面の壁を凝視しながら、頭の中で円周率の計算を爆速で回し始めた。

だが、ジュリの「理詰めスキンシップ」はここからが本番だった。


「王子様、背中の泥汚れが酷いですね。私が流して差し上げますわ」


甘い声と共に、背中に温かいお湯がかけられる。

そこまでは良かった。だが次の瞬間、エンリの背中に、決定的に『柔らかすぎるもの』が、むにゅっと押し当てられたのだ。


「な……っ!?」


「おや、どうかされましたか? 王子様」


ジュリはエンリの背中に自身の豊かな双丘を完全に密着させながら、細い指先で彼の肩甲骨のあたりを滑るように洗い始めた。

石鹸の滑りも相まって、密着した柔らかな質量が、エンリの背中でつるつると、そして執拗に変形を繰り返す。甘いフローラルの香りが、湯気と共にエンリの鼻腔を容赦なく蹂躙した。


(な、なんだこの無駄な摩擦は!? 柔らかい! 柔らかすぎる! これが……これが人間の脂肪組織の弾力だというのか!?)


氷の理系男子の心拍数は、先ほどのアイアン・ゴーレム戦を遥かに超える『150』を突破していた。


「……離れろ、ジュリ。背中を洗うのに、そこまで密着する必要はないはずだ」


声が裏返らないよう、エンリは死ぬ気で丹田に力を込めて指摘する。

しかし、有能な秘書は待ってましたとばかりに妖艶な笑みを浮かべた。


「何を仰いますか。これは『熱伝導率』を最大化するための、極めて合理的な密着です。中層の冷気に当てられた王子様の体温を、私の体温で直接温める……熱力学の観点からも、これが最も効率的エコなアプローチですわ」

「っ……!」


(くそっ、またその『合理的な理由』か! ここで反論できず照れて突き飛ばせば、僕のポーカーフェイスが崩壊する……! この女、完全に僕の思考の縛り(ルール)をハッキングしてきている!)


エンリの脳内で警報アラートが鳴り響く。

彼は額から吹き出す汗を「シャワーのお湯」だと自分に言い聞かせ、能面のような表情を意地でも崩さなかった。


「……確かに、熱交換の効率は悪くない。だが、圧が強すぎる。表面張力を考慮して、もう少し対象(僕)から離れろ」

「ふふっ、申し訳ありません。王子様の背中が広くて頼もしいので、つい熱交換に力が入りすぎてしまいましたわ♡」


ジュリは内心で(王子様の素肌、ごちそうさまですっ!♡)と歓喜の雄叫びを上げながら、念入りにエンリの身体を洗い上げた。

一切の色気を感じさせない「洗浄作業」という大義名分のもとで行われる、極上のスキンシップ。


「さて、次は王子様の番ですわ。……私の背中も、合理的に洗浄していただけますか?」


ジュリは濡れた髪をかき上げ、エンリに向けてその無防備でなまめかしい背中を向けた。

肩越しにこちらを見つめる上目遣いには、明らかに「女」としての期待と色気が混じっている。


(……試されている。ここで僕が躊躇すれば、優位に立たれるのは確実だ。やるしかない。ただの『物理的な表面の研磨作業』として処理するんだ……!)


エンリは覚悟を決め、スポンジを手に取った。

そして、彼特有の異常な「空間把握能力」と「計算力」を、あろうことか『背中を洗う』という行為に全振りしたのだ。


「……いくぞ」


エンリのスポンジを持った手が、ジュリの背中を滑る。

その動きには、一切の淀みも、無駄な力みもなかった。筋肉の繊維、骨格の構造、血流の向き。それらをミリ単位で計算し尽くした、最適解の圧力とストローク。


「あっ……んっ……」


ジュリの口から、思わず艶っぽい吐息が漏れた。

エンリとしては「変に触れて動揺しないための、機械的な最短ルート」をなぞっているだけなのだが、結果的にそれは、最高級のスパすら凌駕する究極の『マッサージ』になっていたのだ。


「お、王子様……手つきが、的確、すぎて……変な声が、出ちゃい、ます……♡」


完璧な指の動きに翻弄され、ジュリは足の力が抜けそうになるのを必死に堪えた。

ただ背中を洗われているだけなのに、身体の奥が熱くなる。

自分から仕掛けたハニートラップだったはずなのに、気づけば彼の圧倒的な『テクニック』に完全に屈服させられていた。


「……洗浄終了だ。タイムロスは予定通り15分。悪くない効率だった」


エンリはスポンジを置き、何事もなかったかのように立ち上がってバスタオルを手に取った。

その外見は、任務を完遂した冷徹なサイボーグそのもの。


だが、タオルで顔を拭うその内側で、エンリは(死ぬかと思ったぁぁぁっ!!)と、一人激しく消耗し切っていたのだった。


* * *


「はぁ……はぁ……王子様の洗浄……最高でしたわ……っ」


テントの外に出たジュリは、火照った身体を夜風に冷ましながら、タブレットを抱きしめてうっとりと宙を見つめていた。

色仕掛けが効かない彼から、合法的にスキンシップを引き出し、さらには極上のマッサージまで堪能する。

彼女にとって、この「合理的な洗浄」ルーティンは、今後絶対に外せない重要タスクとして脳内にインプットされた。


『ピロンッ』


その時、タブレットに無機質な通知音が鳴った。

表示されたのは、浅層で蠢く元クラン——カケルたちの現在位置と、マジックバッグの空間歪曲率のデータ。


『限界値の98%を突破。空間の崩壊(ブラックホール化)まで、およそ〇〇時間』


「……あら。私の至福の時間を邪魔する気かしら?」


ジュリは冷ややかな目で画面をスワイプし、その通知をゴミ箱へと放り込んだ。

彼らがどうなろうと知ったことではない。今の彼女の頭の中は、いかにして次のお風呂タイムでエンリとの『熱伝導率』を高めるかでいっぱいなのだから。

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