隔離領域(サンドボックス)と、生存者(ラスト・ワン)の絶望
外界から完全に遮断された未知の領域、渋谷ダンジョン。
足を踏み入れたその場所は、かつての渋谷のスクランブル交差点を模しながらも、空が赤黒いノイズで覆われ、ビル群が重力を無視してねじ曲がっている、狂気のデータ空間だった。
「……なるほど。外部との通信プロトコルが完全に遮断されている。物理エンジンも新宿とは別物の、独立した隔離環境か」
古海縁理は、宙に浮く瓦礫を避けながら、右手袋で空間の座標データを解析していた。
「王子様、この領域はひどく冷え込んでいますわ! 未知のウイルス(敵)から身を守るためにも、私の圧倒的な質量と体温で、24時間体制の物理的ガード(密着)を実行しますわ!」
「あら、物理的な体温なんて非効率よ。私の魔力で王子様を丸ごと包み込んで、魂の芯から温めてあげるわ……♡」
エンリの左右では、タイトスカートの秘書・秤珠里と、透け感のあるドレスを纏った真祖リリスが、いつものようにエンリの両腕をがっちりとホールドし、自身の豊かな胸やスレンダーな肢体をこれでもかと押し付けていた。
「……お前ら、ここは未知の敵のホームグラウンドだぞ。少しは警戒というものを——」
「——そこまでだ、イカかれたピクニック野郎ども」
突然、ねじ曲がったビルの陰から、数人の人影が飛び出してきた。
彼らが放つのは、新宿のギルドの連中が持っていたような「権力の威圧」ではない。泥水を啜り、仲間の死体を踏み越えてきた者だけが持つ、純粋で鋭い『殺気』だ。
先頭に立つのは、右腕と左目を失い、代わりに無骨な機械鎧を継ぎ接ぎした大柄な男。その後ろには、ボロボロのローブを纏い、複数の認識票を首からジャラジャラと下げた小柄な少女が、油断なく弓を構えている。
「……誰だ、お前たちは」
エンリが感情の読めない声で問う。
「オレは【鉄の心臓のレオン】。死んだ仲間の心臓(魔石)を体に埋め込んで生き延びた、しぶとい亡霊さ。後ろにいるのは【四人目のサラ】。……お前ら、外から来た『新人』だな?」
レオンは、エンリと、彼にまとわりつく二人の絶世の美女を見て、心の底から憎悪と侮蔑が混ざったような表情を浮かべた。
「……舐めてんのか、てめぇら。ここは遊び場じゃねえんだぞ。その女たちの綺麗な服も、お前のその余裕ぶったツラも……1日もすれば、絶望と恐怖でドロドロの肉塊に変わるんだよッ!!」
レオンの怒声が、廃墟の渋谷に響き渡る。
サラもまた、エンリたちを冷たい目で見下していた。彼女の首で鳴るドッグタグは、彼女を生かすために犠牲になったパーティーメンバーたちの遺品だ。極限の自己犠牲を払ってきた彼らにとって、両手に花のエンリの姿は、あまりにも「この世界を舐め腐っている」ようにしか見えなかった。
「……絶望、ね。随分と大げさなエラー報告だが」
エンリは両腕のヒロインたちを引き剥がすこともせず、淡々と応じる。
「大げさなもんか。……いいか、新入り。お前らが入ってきた『入り口』、もう一度見てみろ」
レオンが顎でしゃくった方向をエンリが振り返ると、そこにあったはずの空間の歪み(入り口)は、すでにノイズに塗り潰され、完全に消滅していた。
「この渋谷ダンジョンはな、入った瞬間に外部へのルートが完全にデリートされる『一方通行の墓場』だ! オレたち【ラスト・ワン】の連中も、Sランクのトップランカーとして乗り込んできたが、出られなくなって早数年……何百人いた仲間も、今じゃ両手で数えるほどしか残ってねえ」
レオンは義手をギリッと鳴らし、血走った目でエンリを睨みつけた。
「一度ここに入ったら、二度と外には出られない! 食料も、希望も、すべてがすり減っていく完璧な『絶望の牢獄』なんだよ! お前らもすぐに泣き叫ぶことになる……そのヘラヘラした女たちを盾にして、醜く命乞いをしながらな!!」
生存者からの、重く、血を吐くような忠告と現実の突きつけ。
普通なら、パニックに陥り、その場にへたり込んでもおかしくない絶望的な状況だ。
——しかし。
「あら。外部とのアクセスが遮断された完全な隔離領域(密室)……?」
リリスが、真紅の瞳をトロンと潤ませ、頬を紅潮させた。
「……ということは、つまり……。ここではどれだけ王子様に『大きな音』を出して愛を叫んでも、どれだけ激しく物理的に密着しても……誰にも邪魔されない、完璧な『二人きり(三人きり)の愛の巣』ということですわね!?」
ジュリがハッとして、眼鏡の奥の瞳を爛々と輝かせた。
「「……最高じゃない……ッ!!♡」」
二人のヒロインは絶望するどころか、むしろ「最高のいちゃいちゃ環境」が提供されたことに大歓喜し、エンリの首に凄まじい勢いで抱きついた。
「さあ王子様! この絶望の牢獄で、私たちだけの愛のインフラを構築しましょう!」
「ええ! 出られないなら仕方ないわ! ここで何十年でも、貴方の血を吸って、子供を作って、甘いバグの果てまで堕ちていきましょう……♡」
「……お前ら、少しは空気を読め! CPUが物理的に焼き切れるだろうが!」
エンリは顔を真っ赤にしながら、群がってくる二人の過剰な愛(DDoS攻撃)をデバッグするのに必死だった。
「…………は?」
そのあまりにも緊張感のない、狂気すら感じるラブコメ的デスマーチを目の当たりにしたレオンとサラは。
怒りを通り越し、完全にぽかんと口を開けて、その場でフリーズ(ドン引き)してしまうのだった。




