真理の部屋(ソースコア)と、神すらドン引きする正妻同盟
崩れ去った黒金の扉を抜け、古海縁理、秤珠里、そして真祖リリスの三人が足を踏み入れた場所。
そこは、これまでの洞窟や古城といった「ダンジョン」の概念を根底から覆す、異質な空間だった。
果てしなく続く純白の空間。
上下左右の感覚はなく、空中に無数の『数式』と『光の文字列』が、滝のように降り注いでは消えていく。
「……温度、湿度、気圧、すべてが『未定義』。完全に物理法則から切り離された、純粋なデータ領域ですわね」
ジュリが自身の白衣を翻し、空間のパラメーターをスキャンしながらエンリの右腕にぴったりと身を寄せる。
「ええ。魔力の気配すら一切ない。ここにあるのは、ただの冷たい『計算』だけ……。この世界を裏で動かしている、本当の心臓部ってわけね」
リリスもまた、スレンダーな肢体をエンリの左腕に絡ませ、警戒しつつもその熱を逃がさないように密着した。
「……ああ。パノプティコンの連中が一生かかっても辿り着けなかった、世界のデバッグルームだ」
エンリは両手に花(限界密着)の状態のまま、静かに空間の中央を見据えた。
そこには、巨大な水晶のようなオブジェクトが浮遊していた。
水晶の内部には、無数の銀河が生まれ、そして消滅する映像が猛スピードでループ再生されている。
『——警告(Warning)。未承認の変数の侵入を検知。直ちに自己消去プロセスを実行してください』
突然、純白の空間に、感情を一切持たない無機質な機械音声が響き渡った。
水晶の前に、光の粒子が集束し、ひとつの『人型』を形成する。
それは顔も性別もない、ただ光り輝く輪郭だけの存在。このシミュレーション世界を管理するAI、あるいは地上の人間たちが「神」と呼ぶかもしれない存在——【システム管理者】だった。
「……お前が、このふざけた物理エンジンの責任者か?」
エンリが冷徹な声で問いかける。
『否定。私は高次元存在より派遣された、当シミュレーションの管理AI【デミウルゴス】。……貴方たちイレギュラー(変数)が発生させたエラーの蓄積により、この箱庭(テスト環境)の物理演算はすでに破綻寸前です』
光の人型は、一切の抑揚のない声で世界の真実を告げた。
『ここは、高次元の存在が新たな物理法則をテストするために作られた、無数のシミュレーションの一つ。すなわち【廃棄予定のゴミ箱】です。貴方たちのようなバグがシステムを書き換えることは、上位存在への反逆と同義。これより、ルート権限を行使し、貴方たちをデータレベルで完全消去します』
デミウルゴスが指先を振り下ろした瞬間。
——ピキィィィィンッ!!
三人の周囲の『重力定数』が、突如として書き換えられた。
通常の100倍。内臓が破裂し、骨が粉々に砕け散るほどの超重力(デリート攻撃)が、エンリたちを上から押し潰そうと襲い掛かる。
「……ッ、小賢しい真似を……!」
エンリが右手袋のハッキングで重力を相殺しようと演算を走らせた、その時。
「——させませんわァァァッ!!」
ジュリがエンリの前に飛び出し、その豊満な胸と身体で、エンリを覆い隠すように覆い被さった。
「ジュリ!? お前、100Gの負荷をまともに受けたら……ッ!」
「問題ありませんわ! 私の白衣は、王子様への愛と物理学の粋を集めた衝撃吸収素材! そして何より、この私の『圧倒的な質量』が、あらゆる物理的圧力を分散・吸収する最強のクッション(防壁)となりますわ!!」
ドォォォォォンッ!!
100Gの超重力がジュリの背中に直撃する。だが、彼女はエンリを抱きしめたまま、その豊かな双丘をエンリの胸板にムギュゥゥゥッと限界まで押し付けることで、見事に(?)重力のベクトルを無効化してみせたのだ。
「ぐっ……! お、重い……! いや、重力じゃなくてお前の質量が……ッ!」
「ふふっ♡ 王子様をお守りするためなら、私はブラックホールの圧力にだって耐えてみせますわ!」
『……エラー。対象の消去に失敗。未知の物理干渉(質量によるクッション効果)を検知。……理解不能』
感情のない管理者AIが、ジュリの理不尽すぎる『愛の物理法則』の前に、わずかにフリーズを起こす。
「ふふっ、機械人形には分からないでしょうね。愛の力の恐ろしさが」
その隙を突き、今度はリリスが動いた。
彼女は優雅に宙を舞い、デミウルゴスの頭上へと回り込む。
「物理定数の書き換え? そんな小手先のシステム操作、私に言わせれば退屈すぎるわ! 【真祖の血海】!!」
リリスが指を鳴らすと、純白のデータ空間が、一瞬にして『真紅の魔力の海』へと反転した。
管理者が設定した重力、気圧、光の屈折率……そのすべてが、吸血鬼の真祖の圧倒的な『オカルト(魔法)』によって、強制的に書き換えられ、システムの制御下から切り離されていく。
『……警告。システム領域への深刻な魔法的汚染を検知。……権限の奪取、実行不可。……バグの進行度が想定の12000%を突破——』
「……これで、お前の『管理者権限』は無効化された。ただのポンコツプログラムに成り下がった気分はどうだ?」
ジュリの胸の圧迫からどうにか抜け出したエンリが、崩れ落ちるデミウルゴスの目の前へと歩み寄る。
そして、左手袋で空中にコマンドプロンプト(黒い画面)を展開した。
『……何ヲ、スル気デスカ。私ハ管理者……貴方タチ、モルモットガ、触レテハナラナイ——』
「うるさい。長ったらしい規約を読む趣味はないんだ」
エンリは冷酷な笑みを浮かべ、空中のキーボード(ホログラム)を猛スピードで叩き始めた。
「お前が管理者なら、僕は今からその上位を奪う。この世界の全パラメーター、全リソースを、僕と、僕の『大事な二人』のために最適化(書き換え)させてもらう」
「ああ、王子様……! なんて神々しいタイピング! その指先で、この私への『愛のパラメーター』もカンストさせてくださいませ!!」
「エンリったら、神様を相手にしても全然ブレないんだから。……ねえ、あのポンコツをデバッグしたら、またさっきの『誓いのキス』の続き、してくれるわよね……?」
「……お前ら、今は神様のハッキング中だぞ。少しは緊張感を持て……ッ」
世界の真実を告げる絶対的なシステム管理者(神)すらも。
エンリの理不尽なハッキング能力と、神の攻撃すら「いちゃいちゃの口実」にしてしまうジュリとリリスの『重すぎる愛』の前には、ただ蹂躙されるだけの哀れなプログラムでしかなかった。
ここから、バグの王子様による、世界そのものの「物理エンジン乗っ取り」という、究極のデバッグ作業が始まろうとしていた。




