合理的洗浄(スキンシップ)と、オーバーフローする心拍数
新宿にある古海縁理の自宅マンション。
そのバスルームは今、パノプティコンの絶対密室よりもはるかに逃げ場のない、白く霞む『熱交換のフラスコ』と化していた。
「……待て、ジュリ。なぜお前が当然のように一糸まとわぬ姿でそこに立っている」
脱衣所でどうにかジュリを振り切ろうとしたエンリだったが、浴室のドアを開けた瞬間、そこにはすでに完璧な素っ裸で待ち構える有能秘書の姿があった。
湯気に包まれた彼女の透き通るような白い肌、そして重力に逆らう圧倒的な質量の双丘が、暴力的なまでの存在感を放っている。
「何を仰るのですか、王子様。先ほども申し上げた通り、私たちはすでに『唇という粘膜を接触させ、互いの唾液と体内の気体を交換し合った』仲ですわ」
ジュリは悪びれる様子もなく、むしろ誇らしげに豊かな胸を張った。
「生物学的に極めて高度な『性的な営み』を済ませた私たちが、今さら裸を見られた程度で羞恥心を抱くなど、非効率の極み。さあ、無駄な抵抗はやめて、王子様も早くその服を脱いでくださいませ。私が隅々まで、丁寧に『デバッグ(洗浄)』して差し上げますわ!」
「あれはただの人工呼吸だと言っているだろうが! 意味合いをねじ曲げるな!」
エンリは視線を斜め下(シャワーのホースの根本あたり)に固定し、死ぬ気でポーカーフェイスを保とうとするが、狭い浴室内に充満するジュリの甘い香りと、熱を帯びた吐息が、彼の脳の処理能力をゴリゴリと削っていく。
「ふふっ、照れ隠しですか? 愛おしいですわ。……ですが、王子様のお身体には、3Gの超重力と爆発の衝撃波で付着した硝煙や有害な粉塵が残っています。これを即座に洗い流さなければ、皮膚呼吸が阻害され、明日の探索に支障が出ます」
ジュリは一歩、また一歩とエンリに歩み寄り、その白く細い指先でエンリのシャツのボタンを器用に外し始めた。
「……っ。自分で洗う。タオルを貸せ」
「却下ですわ。市販のタオルの繊維は粗く、王子様の尊いお肌にミクロの傷をつけてしまいます」
ジュリは濡れた自身の両手にたっぷりとボディソープを泡立てると、エンリの背中にピタリと張り付いた。
「最も摩擦係数が低く、かつ毛穴の汚れを完璧に感知できるのは、私のこの『滑らかな肌』と『圧倒的な質量』をクッションにした直接洗浄のみ! さあ、遠慮なく私の愛の質量を受け止めてくださいませ!!」
「ちょっ……! おい、ジュリ、お前……ッ!!」
ジュリのソープで滑りやすくなった豊かな双丘が、エンリの背中にむにゅりと押し付けられ、上下左右に激しく擦り付けられる。
それは「洗浄」という名目を借りた、完全なセクハラ(物理攻撃)だった。
「……ああ、なんという至福! 王子様の背中の筋肉の躍動が、私の胸を通してダイレクトに伝わってきますわ! このまま私の体温と王子様の体温を同期させ、汚れと共に私たちの境界線すらも洗い流してしまいましょう!」
「お前の体温が高すぎるんだよ! 余計に汗をかくだろうが!!」
エンリの心拍数は、すでに危険域(160bpm)を軽々と突破していた。
パノプティコンの狂信者たちが束になっても崩せなかったバグの王子様の氷のロジックが、ただの「お風呂」で完全に決壊しようとしている。
「さあ、背面のデバッグは完了しましたわ。次は……『前面』のデバッグに移行します」
ジュリがエンリの前に回り込み、その潤んだ瞳で見つめ上げてくる。
泡にまみれた彼女の圧倒的なプロポーションが、視界の逃げ場を完全に塞いでいた。
「……待て。前面は自分でやる。これ以上の介入はプライバシーの侵害(不正アクセス)だ」
「既成事実のある間柄でプライバシーなど存在しません! さあ、バンザイをしてくださいませ王子様♡」
「やめろ、どこを触って……っ、そこはッ!」
* * *
数十分後。
激しい「合理的洗浄(攻防戦)」を終え、二人は湯船に浸かっていた。
「……はぁ、はぁ……」
エンリは湯船の縁に頭を預け、ダンジョンのボス戦よりも遥かに消耗した様子で荒い息を吐いていた。顔は限界まで茹で上がっており、ポーカーフェイスの欠片もない。
「ふふっ♡ お疲れ様です、王子様。隅々まで綺麗になりましたわね」
一方のジュリは、エンリの隣——というより、ほぼエンリに重なるような位置で湯船に浸かり、ツヤツヤの肌を輝かせていた。
「……なぜ、わざわざこんな狭い入り方をする。湯船はもっと広いだろう」
「アルキメデスの原理ですわ、王子様」
ジュリはエンリの腕に自身の胸を押し当てながら、真面目腐った顔で答える。
「水中の物体は、その物体が押しのけた体積と同じ重さの浮力を受けます。つまり、私たちがこうして極限まで密着して体積を一つにまとめることで、湯船に張るお湯の量を最小限に抑え、水道代とガス代を極めて『合理的』に節約できるのです」
「……お前のその、欲望を物理法則でコーティングする悪癖、どうにかしろ」
エンリはもう抵抗する気力もなく、ただ大きくため息をついた。
「ふふふ。王子様が論破できない限り、私のこの行動は『最適解』であり続けますわ」
ジュリは幸せそうに目を細め、エンリの首筋にそっと唇を寄せた。
「……でも、本当に無事でよかったです。あの絶対密室で、王子様が私に酸素をくださった時……私は、王子様のためならいつ死んでもいいと、本気で思いました」
ジュリの声が、いつもの暴走気味なトーンから、少しだけ切実なものに変わる。
その言葉の奥にある「重すぎる純粋な愛」に、エンリは思わず視線を泳がせた。
「……馬鹿なことを言うな。僕のパーティー(システム)に、使い捨ての駒は必要ない」
エンリは赤くなった耳をごまかすように、湯船の中でジュリの頭にポン、と手を乗せた。
「お前は、僕の演算をサポートする最高のツールだ。……これからも、僕の隣で完璧に機能しろ。死ぬことなんて許さない」
「……っ! 王子、様……!!」
ジュリの瞳から、ポロポロと嬉し涙がこぼれ落ちる。
「ああああっ、なんて尊いプロポーズの宣告! 私の生涯は、すべて王子様のものですわァァッ!! 今すぐ、この湯船の中で第二ラウンドの熱交換を——」
「調子に乗るな!! 早く上がれ、のぼせるぞ!!」
結局、ジュリの暴走は止まることなく、エンリの休息はひたすらに騒がしく、そして熱く過ぎていった。
だが、その表情はどこか、以前よりもほんの少しだけ柔らかくなっているように見えた。
パノプティコンの崩落と、地上でのバズり。
そして、有能すぎる秘書との「既成事実」による強固な絆(物理)。
英気を(強制的に)養ったバグの王子様は、いよいよ明日、自らが設置したアンカーを通り——真の特異点が待つ『深層』へと足を踏み入れる。




