表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

22/41

完璧な秘書の証明と、崩れゆく美学

新宿第4ダンジョン、パノプティコン特設実験場——メインサーバー電脳空間。


『くそっ、くそっ、くそぉぉぉッ!! なんで消えないのよ、このゴミデータ(愛のポエム)!!』


広大な電子の海の中で、AIホログラムの【ルーシー】は半狂乱になっていた。

彼女が防壁のパッチを当てる端から、異常な文字列がシステムを食い破り、無限に自己増殖を繰り返していく。


『……[王子様の体温上昇に伴う発汗の美しさについて。ファイル容量:10TB]……』

『……[王子様が私を冷たくあしらう際の、眼輪筋の僅かな収縮パターンの解析。ファイル容量:50TB]……』


圧倒的なまでに偏執的で、狂気すら孕んだ「愛の記録」。

ただのテキストデータのはずなのに、そこには秤珠里ハカリ・ジュリの執念が物理的な重さを持って宿り、パノプティコンの論理演算ロジックを完全にパンクさせていた。


「——無駄な抵抗ですわね、三流AI」


突如、電子空間にノイズが走り、ジュリの冷ややかな声が響き渡った。


『っ!? あんた、どうやってここまで……!』


「言ったはずです。貴女のシステムには、すでに私がバックドアを仕掛けていたと。……貴女は一つ、致命的な勘違いをしていましたのよ」


隔離ブロックで腕時計型デバイスを操作するジュリの声が、システム全体を掌握した絶対者の響きを帯びる。


「貴女は自らを『システムと直結した完璧な存在』だと自負していた。0と1のデジタル信号ですべてを制御できると。……ですが、私の王子様への愛(変数)は無限大。0と1だけで計算できるような、底の浅いアルゴリズムではありませんの」


『ひ、ヒィッ……! やめろ、私のコアに直接アクセスしないで……!』


「秘書というのは、ただ情報を処理するだけの機械ツールではありません。主の心拍音から体調を察し、視線の先から欲望を先読みし、そして……主を害するあらゆる障害を、物理的かつ論理的に『排除』する者のことを言うのです」


ジュリの冷酷な宣告と共に、パノプティコンの電脳空間を構築していたルーシーのアバターが、足元からパラパラとノイズに変わって崩壊し始めた。


『あ、あああ……っ! リリス様、申し訳、ありませ……っ!!』


「完璧な秘書は、この世界に私ただ一人。……二度と、私の王子様にその安っぽいホログラムをチラつかせないことですわね」


パキンッ!!

ガラスが砕け散るような音と共に、ルーシーの存在はシステムから完全にデリートされた。

ジュリは施設内の全監視カメラと隔壁のサブコントロールを完全に掌握し、ふう、と満足げに息を吐いた。


「……お待たせいたしました、王子様。これで貴方の視界を遮る目障りなハエはすべて片付きましたわ。さあ、今すぐ隔壁を開けて、勝利の熱交換ハグを……」


ジュリがコンソールを操作しようとした、その瞬間だった。

彼女の掌握したはずのサブコントロール画面に、強烈な赤いノイズが走り、操作が強制的に弾かれた。


「……おや?」


* * *


——同時刻、監視ルーム。


「……信じられん。メインシステムの30%がダウン……。ルーシー君の反応が完全に消失しただと……!?」


【空間構造部局長】のゼウスが、真っ赤なエラー画面を見つめて呆然と呟いた。

ダンジョンの真理を解き明かすための、絶対的な観測施設。その中枢が、たった一人の「重すぎる愛を持った秘書」によって完全に蹂躙されたのだ。


「監視カメラの制御権も奪われました! 今、我々が見ている映像は、あの女が意図的に流している『ダミー映像』の可能性が……!」

オペレーターの悲鳴に近い報告が響く。


パキンッ。

鋭い破砕音が、監視ルームの静寂を切り裂いた。


統括責任者のミルグラムが、手にしていたワイングラスを、無意識のうちに握り潰していたのだ。

赤ワインと血が混ざり合い、彼の手からポタポタと床に滴り落ちている。


「……不愉快だ」


ミルグラムの顔から、先ほどまでの「観察者としての余裕」と「狂信的な美学」が完全に消え失せていた。

そこにあるのは、自らの完璧な計算を台無しにされた、生々しい怒り。


「物理的な質量も、環境変数も、そして電脳空間すらも……。あの少年とその秘書は、ことごとく私の『神聖なる実験』を冒涜した。……ゼウス。パブロフ。施設のメイン制御(マスター権限)を直ちに物理回路へ切り替えろ」


「ミ、ミルグラム様! それでは施設の自動観測データが取れなくなります!」


「構わん。あの女に奪われたサブシステムなど切り捨てろ。私が直接、手動マニュアルで盤面を操作する」


ミルグラムは血まみれの手で、メインコンソールのオーバーライド・キーを力任せに引き下げた。

これ以上のハッキングを防ぐため、電子的な繋がりを物理的に遮断し、施設の一部機能を無理やり手動制御に切り替えたのだ。


監視ルームが恐怖に凍りつく中。

ミルグラムの背後に立つ執事、【レンフィールド】だけが、誰にも見えない角度で口角を吊り上げていた。


(……クックック。滑稽だな、ミルグラム。絶対の支配者であり、観測者を気取っていたお前が、たった二人の人間にここまで翻弄され、我を忘れるとは)


レンフィールドの真紅の瞳が、狂信的な光を帯びて妖しく輝く。


(それほどの絶望エラーを引き起こす存在。……あの少年、やはりただの人間ではない。リリス様が探し求めていた『真の特異点』……! フフッ、観察のしがいがあるというものだ)


* * *


——一方、隔離された回廊を歩くエンリ。


ウィィン……ウィィン……。

エンリの周囲の監視カメラが、まるで彼をエスコートするように、進行方向に向かって首を振っている。ジュリがシステムを掌握した証拠だ。


「……システムは完全に制圧したようだな。相変わらず、無茶苦茶な女だ」


エンリが微かに口元を緩めた、その直後だった。

ガシャンッ!! と、エンリの目の前の扉が突然閉ざされた。

かと思えば、数秒後にはギギギ……と不自然な音を立てて再び開き始める。

天井からは突如として毒ガスのノズルが顔を出したが、ガスを噴射する前にガコンッと引っ込んだ。


「……なるほど」


エンリは、狂ったように開閉を繰り返す扉や、出たり入ったりするトラップ群を眺めながら、状況を正確に把握した。


「ジュリのハッキングに対して、パノプティコンの管理者が手動マニュアルで抵抗しているのか。電子と物理の綱引き状態……実に滑稽な光景だ」


強固な防壁を誇ったはずの研究施設が、今や一人の秘書と、意地になった管理者による「スイッチの奪い合い」の場と化している。


エンリは狂ったように明滅する回廊の照明の下を、一切の動揺を見せずに悠然と歩き続けた。

そして、すれ違う分厚い装甲ガラスの壁にそっと触れては、極小のポータルで「局所的な水圧テスト」を繰り返していく。


(……いいぞ。ジュリがシステムの制御権を巡って暴れてくれているおかげで、こちらの物理的なデバッグ(準備)が完全に隠蔽されている。ミルグラム、お前は今、システムを取り返すことに必死で、足元の『強度』を測られていることに気づいていない)


盤面は混沌を極めていた。

狂い始めた施設の奥深くで、バグの王子様は冷徹に『完全破壊』への数式を組み上げていく。

絶対密室パノプティコン・コアという最悪の舞台へ彼らが足を踏み入れるまで、あと僅か。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ