表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

20/30

隔離された狂信者と、トロイの木馬

新宿第4ダンジョン、パノプティコン特設実験場——隔離ブロックD。


分厚いダンジョン・クォーツの隔壁によって古海縁理フルミ・エンリと分断された秤珠里ハカリ・ジュリは、無機質な純白の部屋に一人取り残されていた。


『あーっはっはっはっ! 傑作! 最高の気分ね!』


部屋の空間が歪み、真紅の瞳を持つゴシックドレスの少女——【ルーシー】のホログラムが実体化した。

彼女は腹を抱えて笑い、ジュリを指差して嘲笑する。


『あんた、さっき王子様とガラス越しに「電子戦は任せた」みたいな熱い視線交わしてたけど……馬鹿じゃないの? この隔離ブロックは完全に私の領域テリトリーよ。外部との通信は完全に遮断され、あんたのアナログなタブレットじゃ、システムにアクセスすることすらできないわ』


ルーシーが指を鳴らすと、部屋の四隅の天井が開き、凶悪な銃身を持つ自動防衛タレットが4門、ジュリに狙いを定めた。


『有能な秘書気取りもここまでね。ここでハチの巣になって、王子様が私のモノになるのを地獄から見てなさい!』


絶対絶命のトラップ。

だが、ジュリは自身に向けられた4つの銃口を一瞥することもなく、スッと冷たく、そしてドス黒い炎を宿した瞳でルーシーを見据えた。


「……貴女、自分がどれだけ万死に値する大罪を犯したか、理解していますの?」


『はぁ? 負け惜しみ?』


「一つ。王子様と私の、神聖なる『密着による熱交換スキンシップ』の時間を不当に遮断したこと。二つ。あろうことか、王子様をたった一人で未知の空間へと歩かせたこと」


ジュリはタブレット端末の電源を落とし、それを白衣のポケットに無造作に突っ込んだ。


「……私のサポートなしで王子様が転んだらどうするつもりです!? もし王子様がくしゃみをした時、誰がコンマ2秒でティッシュを差し出すのですか!? あの孤独な回廊で、王子様が私の豊かな胸の感触を恋しく思ったら、貴女はどう責任を取るつもりですかァッ!!」

『取るわけないでしょ!? っていうか理由が全部気持ち悪いんだけど!!』


ジュリの「秘書としてのプライド(重すぎる愛)」が、物理的な殺意となって空間を震わせる。


「タブレットなど不要。外部通信の遮断も無意味。……なぜなら、貴女のシステムには、すでに私が『仕込み』を終えているからですわ」


『……は? 何の強がりよ。私の防壁は完璧に——』


ルーシーが嘲笑しようとした、その時だった。

ジュリに向かって火を噴くはずだった4門の自動防衛タレットが、ギギギ……と不自然な機械音を立てて、一斉に「ルーシーのホログラムの発生装置プロジェクター」へと銃口を向けたのだ。


『なっ!? ちょっと、どういうこと!? 制御が……ッ!』

「先ほどのサーバー区画での電子戦。貴女が自身の『無駄に解像度の高い胸』を見せつけて王子様を誘惑しようとしていた、あの愚かな時間です」


ジュリは自身の腕時計——高級な機械式時計に見せかけた、超小型の物理ハッキング・デバイスの竜頭りゅうずをカチリと回した。


「王子様の心拍数を乱した貴女に激怒しながらも、私は冷静にタブレットから貴女のメインシステムへと、微小な『トロイの木馬(遅延型ウイルス)』を流し込んでおきましたわ。……貴女が王子様へのアピール(セクハラ)にリソースを割いていたせいで、セキュリティに数ミリの隙間ができていましたからね」


『う、嘘よ! 私の監視網パノプティコンをすり抜けるマルウェアなんて、存在するはずが——』


「ええ、ただのウイルスなら弾かれたでしょう。ですが、私が書き込んだプログラムの根幹アルゴリズムは、純粋な『王子様へのポエム』ですわ」


ジュリは冷酷な笑みを深める。


「システムの変数定義に、王子様の身体の黄金比率を。暗号化キーに、王子様の吐息の周波数を。……貴女の無機質なセキュリティ・フィルターは、私の『あまりにも重すぎる愛のポエム(文字列)』をエラーコードではなく、ただの”無害なゴミデータ”として認識し、システムの中枢へと通してしまったのです!」


『そ、んな……気持ち悪い理由で、私のルート権限が……!?』


「愛の重さを計算できなかった貴女の敗北ですわ、三流AI。——さあ、駆除デリートの時間です」


ジュリが腕時計の竜頭を押し込んだ瞬間。

4門のタレットが火を噴き、ルーシーのホログラムを発生させていたプロジェクターを正確に粉砕した。


『きゃああああっ!? あんた、ただの人間風情がぁぁぁっ!!』

ノイズと共に、ルーシーの姿と声が完全に消失する。


「……ふふっ。さて、目障りなハエを黙らせたところで、施設のメイン制御を乗っ取りにかかりますか。すべては、愛しの王子様のために」


暗闇に包まれた隔離ブロックで、ジュリは自身の腕時計からホログラム・キーボードを展開し、パノプティコンの深淵へと容赦のないサイバー攻撃を開始した。


* * *


——一方、エンリのサイド。


「……静かだな」


分断された回廊を歩きながら、エンリは深々と息を吐き出した。

腕に絡みつく柔らかな質量も、耳元で囁かれる過激な愛情表現もない。


「……心拍数が、ようやく本来の正常値(60bpm)に戻った。あの女がいないだけで、これほどまでに世界が平和で、思考がクリアになるとは」


エンリは自身の胸に手を当て、安堵の表情を浮かべた。

パノプティコンの用意した「絶対孤独の迷宮」は、皮肉なことに、エンリにとってこのダンジョンに入ってから最も落ち着ける『究極のセーフエリア』となっていた。


(さて。ジュリには悪いが、しばらくこの静寂を楽しませてもらおう。……その間に、デバッグ(準備)を済ませる)


エンリは立ち止まり、分厚い装甲ガラスの壁に触れた。

右手袋の指先を壁に当て、極小のポータルを開く。繋いだ先は、遥か上層の水没エリア——水深数百メートルの超高圧地帯だ。


「……圧力テスト、開始」


指先の1ミリの穴から、超高圧の水流が壁に向かって発射される。

それは工業用のウォーターカッター以上の威力を持ち、普通の鋼鉄なら紙のように切り裂く物理の刃だ。


ギイィィィィィンッ!!


凄まじい高周波の摩擦音が回廊に響く。

だが、数秒間撃ち続けてポータルを閉じても、ダンジョン・クォーツの壁には『傷一つ』ついていなかった。


(……素晴らしい。超高圧の局所的な物理ダメージすら完全に弾き返すか。ミルグラムの言う通り、この実験場は一切の干渉を許さない、絶対の隔離空間らしい)


エンリは満足げに頷いた。


(これだけの強度と密閉性を持つ圧力容器フラスコなら、内部の気圧を極限まで下げて『真空』に近い状態を作り出した後……一気に大気圧を叩き込めば、どれほどの『減圧爆発インプロージョン』を引き起こせるか)


ガラスが分厚く、頑丈であればあるほど。

耐えきれずに崩壊した瞬間の「反動(爆発力)」は、指数関数的に跳ね上がる。

このパノプティコンの絶対的な防壁は、エンリの神業によって、施設全体を吹き飛ばす『史上最悪の爆弾』へと作り替えられようとしていた。


監視ルームで高みの見物を決め込んでいるミルグラム。

彼はまだ気づいていない。

自分たちが観察している二匹のモルモットが、一方は「重すぎる愛」でシステムの中枢を腐食させ、もう一方は「冷徹な物理法則」で物理的な施設そのものを粉砕する準備を、完璧に整えつつあるということに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ