法(コルト)とバグ(エンリ)の交錯
新宿第4ダンジョン、中層第19エリア。
そこは、第18エリアの蹂躙劇の硝煙が微かに漂う、巨大な渓谷のような構造のエリアだった。
「……前方およそ200メートル、生体反応3。および、異常な高エネルギー反応を確認。データベースと照合……武装探索者集団【ガンスリンガー】で間違いありませんわ、王子様」
秤珠里はタブレット端末の索敵画面を指先で滑らせながら、隣を歩く古海縁理に冷静に告げた。
第18エリアでの戦闘の音を解析し、彼らの移動ルートを予測していたジュリは、すでに彼らの「死角」を取るための最適ルートを導き出している。
「やはり、鉢合わせしたか。……交戦する気はない。彼らの索敵範囲外から、大きく迂回する」
「承知いたしました。……ただ、王子様。彼らの移動速度、およびここ第19エリアの地形データを再演算した結果、迂回ルートをとると約3時間のタイムロスが発生します。……これでは、今夜の『合理的洗浄(お風呂)』の時間が大幅に短縮されてしまいますわ」
ジュリはそう言いながら、悲しげに眉をひそめ、エンリのすぐ隣——肩が触れ合い、彼女の体の熱が直接伝わるほどのゼロ距離にまで身を寄せた。
「昨晩の『極上の表面研磨』の余韻が、冷めてしまいます。……王子様、ここは時間を優先し、彼らを私が社会的に(資金面で)抹殺して、最短ルートを通るというのはいかがでしょう?♡」
「……」
(なぜ、タイムロスの理由がすべてお風呂に直結するんだ、この女は)
エンリは内心で激しく溜息をつきながらも、(気のせいだ。これは中層の冷気だ)と自分に言い聞かせ、ジュリの重すぎる愛(と密着)を華麗にスルーして歩き出した。
(確かに、3時間の遅延は非効率だ。……ガンスリンガーの連中は、『近代兵器』への絶対的な信仰を持っている。道具(銃)に頼る彼らの思考は、僕の『物理ハック』の格好の獲物だが……無駄なエネルギー(摩擦)は、極力避けるべきだ)
エンリは自身の頭の中に構築された、ダンジョンの物理エンジンのマッピングデータを静かに回す。
彼らが迂回ルートをとろうとした、まさにその時だった。
「——おいおい。誰かと思えば、最近噂の『神業ポーター』と、翔パーティーの元サブリーダーじゃねぇか」
渓谷の岩陰から、硝煙の匂いと共に、傲慢な笑い声が響いた。
【ガンスリンガー】のリーダー、『コルト』だ。彼のアサルトライフルは、すでにエンリの眉間へと正確に狙いを定めていた。
「お前の優秀な秘書の索敵で裏をかいて、死角を取ったつもりだったか? ……甘いな、ポーター。俺たち【ガンスリンガー】の感覚は、火薬の匂いと鉛のベクトルに研ぎ澄まされているんだ」
コルトの言葉と共に、周囲の岩陰からガトリングガンを担いだ巨漢の『マグナム』、そして高台の岩の上に大型ライフルを構えた『ベレッタ』が現れ、エンリとジュリを完全に包囲した。
(索敵ギルドの裏をかいた……? いえ、王子様の迂回ルートの選択を阻止するために、わざと索敵データをわずかに乱らせて、彼らの索敵にかかるように誘導したのは、私ですが……ふふっ、計画通りですわ)
エンリの後ろで、ジュリは冷ややかな微笑を浮かべながら、タブレットを操作し、エンリの『黒い手袋』のエネルギー供給率を最大値へと引き上げた。
彼女の目的は、エンリの『神業』を、誰よりも近くで、そして最も「特等席」で観測すること。そのためには、彼を完璧な「舞台(戦闘)」へと誘導することも厭わない。
「……交戦の意思はない。僕たちの迂回ルートの通行許可を、要求する」
エンリはアサルトライフルの銃口を前にしても、感情の読めない瞳で淡々と告げた。
「ギャハハハッ! 要求だと? 荷物持ちが、一丁前に口答えしてんじゃねぇよ!」
マグナムが下劣な笑い声を上げる。
「いいか、底辺ポーター。このダンジョンにおいて、絶対の法は何か、教えてやる」
コルトは傲慢な笑みを浮かべ、ライフルの引き金に指をかけた。
「魔法も、スキルも、そんなオカルトじみたものは、このダンジョンの底ではクソの役にも立たねぇ。この世界で一番信用できるのは、音速を超える『鉛の質量』と、圧倒的な『火薬の爆発力』だ。これが、現代兵器の到達点にして、俺たち【ガンスリンガー】の放つ、絶対の物理法則なんだよ!」
近代兵器への、狂信的なまでの信仰。
彼らは間違いなく、このダンジョンにおいて最強クラスの「暴力」を体現する強者たちだった。
「……そうか。火薬の爆発力と、鉛の質量。……悪くない、合理的な物理現象だ」
エンリは静かに目を閉じ、自身の黒い手袋を構えた。
「だが、コルト。君たちは重大な『バグ』を見落としている」
「あぁ?」
「銃弾のベクトルを、指先一つで書き換える『ハッカー』の存在を、演算に入れていないことだ」
その言葉が、彼らにとっての開戦の合図となった。
「……マグナム。あの生意気なポーターの口を、徹甲弾(AP弾)で塞いでやれ」
「了解だぜ、リーダーァッ!!」
マグナムがガトリングガンの銃身を凄まじい速度で回転させ、引き金を引いた。
ダダダダダダダダダダッ!!!
秒間数十発。1分間に数千発の7.62ミリ弾が放たれる、鉄の暴風。
通常の探索者であれば、一瞬で肉塊へと変わり果てる、理不尽なまでの制圧射撃。
その弾幕を前に、エンリは一切の動揺を見せず、ただ静かに頭の中で計算を弾き出していた。
(弾丸の初速、毎秒約800メートル。質量、9.8グラム。運動エネルギー(1/2 * m * v^2)……うん、十分なエネルギーだ)
エンリは、脱いだままだった左手の手袋を懐から取り出し、左掌の前へ掲げた。
初期型の『虚空の門』は、左右の手袋がそれぞれの起点となる。
エンリは左手袋の前の空間を陽炎のように歪ませ、直径30cmのポータル——『入口』を展開した。
(僕のゲートは、現時点では一対(入口1、出口1)しか展開できない。……だが、それで十分だ)
エンリは同時に、右手に残った右手袋の指先を銃の形にして、コルト、マグナム、ベレッタの3人の頭上へと向けた。
そして、その右手袋の指先の座標に、もう一つのポータル——『出口』を展開する。
(入口(左手)で吸い込み、出口(右手)で撃ち返す。ロジックは単純だ。……問題は、一対の出口でどうやって3人を同時に制圧するか、だが)
エンリの瞳の奥で、膨大な数の物理演算が走る。
(出口の座標データ——つまり僕が右指で指し示す狙いのポイントを、ダンジョンの物理エンジンの処理速度限界(クロック数)ギリギリの速度で切り替え続ければ……システム上、銃弾は『3箇所に同時に降り注ぐ』ことになる)
それは、物理法則の穴を突いた、システムの限界突破。
エンリが右手を振った、その瞬間。
「『相対的慣性保存 (ローオブイナーシア)』——多点仮想射出」
パチン、とエンリが指を鳴らす。
瞬間、マグナムのガトリングガンから放たれた無数の徹甲弾が、エンリの左手の『入口』へと吸い込まれ、姿を消した。
「なっ、なんだ!? 弾が、消えた……!?」
マグナムが呆然と声を上げた、その直後だった。
ズガガガガガガガガガンッ!!!
爆鳴と共に、【ガンスリンガー】の3人の頭上に、突如として「鉛の雨」が降り注いだ。
彼らが放った、音速を超える超高速の弾丸。
エンリは左手のポータルでその運動エネルギーを維持したまま、右手のポータルから射出。その際、右指を高速で動かすことで、射出座標を3人の頭上へと瞬時に切り替え続けたのだ。
常人の目には、まるで3つの出口から同時に撃ち出されたかのように見えただろう。
だが実際は、たった一つの出口ポータルが、超高速で彼らの頭上を移動し、鉛の暴風をばら撒いていたに過ぎない。
自らの放った弾幕によって、自らが蹂躙される。近代兵器の頂点を自負する彼らにとって、それは究極の皮肉であり、理解不能なバグだった。
「ギャァッ!? な、なんだ、何が起きてるんだぁぁぁっ!?」
マグナムが自らの徹甲弾に身体を撃ち抜かれ、ガトリングガンを取り落として絶叫する。
コルトもまた、頭上から降り注ぐ銃弾を辛うじて装甲で弾き返しながら、パニックに陥った。
高台のベレッタは、自らの愛銃の銃身が頭上からの銃弾によってひしゃげ、スコープが粉砕されるのを目の当たりにして、息を呑んだ。
硝煙と悲鳴が渦巻く渓谷。
自分たちの撃ち出した銃弾によって蹂躙される、鉛の信奉者たち。
「……弾丸のベクトルを書き換えただけだ。無駄な摩擦熱(エネルギー損失)がなくて、効率がいいな」
エンリは静かにポータルを閉じ、何事もなかったかのように呟いた。
その背後で、ジュリは恍惚の表情を浮かべ、端末を抱きしめて身悶えしていた。
(すごい。すごい、すごい……っ! 一対のゲートしか使えないという制約の中で、座標データの超高速切り替えによる仮想的な多点攻撃を実現するなんて! ああ、私の王子様の頭脳は、本当に神業ですわ……っ♡(さらに密着してくる))
(……なっ、おい。距離が近すぎる。無駄な摩擦熱が生じる)
物理法則のバグ(ハック)によって蹂躙される強者たちと、さらなる愛をこじらせる女狐。
新宿第4ダンジョン、中層第19エリア。世界の理を書き換える神業使いの無双劇は、ここからさらに加速しようとしていた。




