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6.私に友が出来るまで

「ヨルっ!」


ばんっ!


「…はぁ…お前なぁ…ファティルじゃないんだから朝はもう少しくらい静かに…」


(…よかった…まだ居る…)


「…そんな事はどうでもいいでしょ…て言うか、本なんて読んでる暇は無いわよ。まだ教えてない事も多いんだし…あんた、神聖の大樹を踏破する為にあたしの技を覚えたいんでしょ」


ぱたん…


「…勝手な奴だ。まぁ…お前にやる気があるなら俺の方はいつでも問題ない」


翌朝。いつものように庭へと向かい、次いで屋敷の中を駆け回る。息を切らして開け放つ書斎の扉。その奥で、優雅に本を読む男を目にし、ロミアは胸を撫で下ろした。


醜態を晒し、価値を貶める。自身の言動がどれだけ幼稚で浅はかなものだったか。

少女と別れ、一人部屋へと戻ったロミアは恥辱に火を吹き、中途半端な覚悟と選択を後悔した。


ヨルもファティルも、皆それぞれが欲する未来の為に命と人生を懸けている。にも関わらず。

何も賭けずにただ欲しいと願う浅ましさ。或いはこの想いさえ、弱さが生み出した虚構に過ぎないのではないか…。

そんな、悩みと葛藤を手放した女の思考は簡明と。ただ今を見て、先を見る。

この想いに嘘はない。が、出来る事は限られてはいる。女には剣しかない。だから。どれだけ届くか分からなくてもきっと。小難しい言葉を並べるよりもずっと、自分らしく伝えたい。


そうして、またいつものように剣戟を交わす男と女。互いに魔力を纏い斬り結ぶ。

これまでとは一線を画す激しい攻防に汗と想いが弾け煌めくその中で。

ロミアはようやく選んだ己の答えを突き付けんと、一気呵成に攻め立てた。


「朧月…!」


すうっ…


「ちいっ!」


不意に足を止め、かと思えば一歩踏み込む女の像に、振り上げた氷刀を引いて気配を探る。

もう、幾度となく見た動き。覇天の力に頼れば造作もなく反撃を繰り出す事は出来るだろう。しかし、それでは教えを乞う意味がない。

必要最低限。そう己に枷を嵌め、死線に身を置き集中力を高める。


耳を掠める芝の騒めき。女の殺意を肌で感じ、次を読む。

振り返り、眼前に迫る凶刃を避けると、二人はまた激しく剣を打ち合い、剣鳴を響かせた。


きんっ!しゅっ…きーんっ!


「あんたに…天樹の迷宮は踏破出来ないっ!」


ぎーーんっ!


「ぐっ…言ってくれる…はぁっ!」


ぶぅぉっ!


ひゅっ!


「あんたには…生きる希望を無くし、地を這いつくばっているのがお似合いよっ!」


ぎんっ…きーん!がぎーんっ!


ざざーっ…!


せめぎ合い、刹那の交差に罵声を浴びせるロミアに対し、負けじと刀を振り払うヨル。

身を低く屈め、躱し飛び込む男の前で、言葉を連ねて想いを振るう。


私だけを見て。否。私を見て。鬼気迫る女の剣に伝わらずとも感じ取る。

様子がおかしいのはいつもの事。しかし、昨日までとは違う明らかな異変。手負いの獣から獰猛な野獣のように変貌を遂げる鋭い眼光に見える覚悟と想い。

なればこそ、今ようやく男の胸を打つに足る。

一歩、また一歩と押され、仕切り直しの形で相対す。ロミアはここで、徐に口を開いた。


「…ヨル、あたしと賭けをして」


「断る。俺がそんな事に付き合う義理はない」


「お願い」


威風堂々と立ち尽くし、引く気はないと睨め付ける。唐突な要求を素気無くあしらう男は、此処で初めて『ロミア・テーゼ』という女の価値に興味を抱き始めた。


溝のように濁っていた瞳。短絡的で浅はかな言動。妹の為と涙を流した気持ちに偽りはないだろう。しかし、穿つには至らない。迷い、葛藤を抱える想いでは届かない。

女の価値は技であり力。にも関わらず。不様を晒し、自らを貶める。益を勝る面倒臭さにもう、見限る寸前だった。それなのに…。

剣を交えて感じた想い。今ようやくの覚悟を叩きつけ、ロミアは男の目に己が姿を映させた。


「…はぁ…聞くだけ聞いてやる」


「勝負の方法はあの夜と同じ。あたしの一撃をあんたが防げたらあんたの勝ち。…けどもし、あたしが勝ったら…誓いを受け取って」


「…誓い?」


「…細かい事は気にしないでいいわよ。どうせ、勝つのはあんたなんだし…聞く必要なんかないでしょ」


「…まぁ良いだろう。お前が俺に一太刀浴びせられたら、その誓いとやらを受け取ってやる」


いつものように溜息を溢し、先を促す。或いは昨日までのように稚拙な言葉を喚いたならそれっきり。

果たして、その目に狂いはなく。澄んだ瞳で見つめる女の、綺麗な想いを見てみたい。そう思わされるに至り賭けを受ける。


報酬についての言及はなく、何を押し付けられるかも分からない。しかし、無為な時間と切り捨てるには惜しい機会。

これまでにも幾度となく見てきた誰かの想いと同じように、彼女もまた、己が百折不撓を支える糧となるかもしれない。

勝負は後日。別れの日と決め、尚も剣戟を交わし続ける。

汗と想いが煌めく日々の終わりは…唐突に訪れた。


たったったったったっ!


ばんっ!


「ヨルっ!お友達が出来たわ!初めてのお友達よ!ヨルに言われた通り、何も知らないから教えてって、自己紹介の時に素直に言ったの!そうしたら…!」


その日の夜遅く。稽古を終え、湯を浴び。食事を摂って暫し後。

窓際に腰掛け、一人本を読み耽る男の元へ静寂を裂いて響く足音。次いで扉を開け放ち、満面の笑みを浮かべた少女が文字通り飛び込んでくる。

最早、聞くまでもない答えを叫び、興奮覚めやらぬ様子で一部始終を語ろうとするファティル。

駆け寄り、つぶらな瞳を向ける少女を前に、来るべくして来た別れの際を察し。男は、いつもと変わらぬ調子で少女を宥めると、次いで自身の精霊に目を向けた。


「分かったから取り敢えず落ち着け。…アリカ、悪いが使用人に紅茶と菓子を貰ってきてくれ。今夜は少し、長くなりそうだ」


「…はーい」


(やれやれ…素直と言うか馬鹿正直と言うか…まぁでも、これがファティルの選んだ別れの形。きっと後悔はないだろう…)


言いながら、少女を椅子へと促す契約者を見つめ、掛かる声に気怠げな返事を返す。

事の顛末を見届け、間も無く訪れる別れを前に、アリカの心は複雑だった。


あれは友か。友と呼んでいいのか。

茶会を後にしてからと言うもの、繰り返される質問に肯定を返し続け。であれば嬉々としてこれを伝えに行きたいと。逸る気持ちを抑えきれず、学院を飛び出そうとするファティルを窘めようとした。

告げてしまえば後はない。そういう約束を交わしたのだと。それでも、少女は頑として譲らず。

その目は真っ直ぐで、とても綺麗なものだった。


明日であれば今よりも多く、言葉を交わす事が出来ただろう。男と関わった者達の、理解出来ない言動は今に始まった事じゃない。しかし、これに至る人の機微を目の当たりにし、煌めく想いに胸を打たれる。

暗い廊下を遠回り、とぼとぼと歩く。積み重ね、変わっていくのはなにも人ばかりとは限らない。

今だけは、と。気を回す精霊の存在など忘れ、菓子も紅茶も待てずに話し出す。

少女が切り出した話題は勿論、私に友が出来るまで。


「それでね、教室で自己紹介をしたの!言われた通り何も知らないって!だから何でも教えてって言ったわ!そうしたら…」


「ふっ…馬鹿にされ、学院中の笑い者にでもなったか」


「っ!何で分かるの!?」


「貴族というのはそういうものらしいからな。それにしても…お前は少し素直過ぎる。…時計塔に登った日、上からも下からも垂れ流した事は黙っておけよ。あれは流石に受け入れ難い」


「うっ…分かってるわよ!本当にヨルは意地が悪いわ!…でも…そのお陰でお友達が出来たの。指をさして笑われて…今日はもっと多くの生徒に笑われた。噂は瞬く間に広がって…でも!その中にいたの!私とお友達になりたいっていう人が!」


巡り巡って聞き及ぶ無知蒙昧な令嬢の噂。ファティル・ウォル・サハール。彼女が病に伏せ、手立ても無く部屋に篭っている事は貴族の間でも有名な話。

何しろ父は侯爵。娘が病に伏せるまで、その溺愛振りは城内でも知らぬ者がいない程。そして、娘の病を機に変わり果てたハールィンを気に掛ける者も少なくはなかった。

その中に、父から事あるごとに彼の話を聞かされていた一人の人物がいた。


『聞いたか?先日編入してきたと言う…』


『えぇ、サハール侯爵の…』


ぴく…


(…サハール家の娘がこの学院に?…確か奇病に侵され伏していると…)


『その話し、詳しく聞かせて下さい』


学院内のとある一室にて。黙々と、我関せず筆を走らせる女の側で、噂話に花を咲かせる取り巻きの言葉に手が止まる。

これまで、俗物的な話題に興味を示す事がなかった彼女の意外な反応に、ありきたりな常套句を挟んで聞かされた話は奇跡と語られ、その代償に知性を失ったと。貴族でありながら公然と無知を晒し、教えを請う様を嘲笑い同調を求める。


人の不幸を憐れみ、愉悦を浮かべる下卑た笑み。

もう、見飽きるに過ぎた醜悪と、歪な仮面。それらに辟易としながらも、逃げ出す事は許されない。

過酷な世界を生き抜く為に、背を預けるに足る者を欲して学院へとやってきた。

自身の苦悩を分かち合える者がいれば…。そうでなくとも、この胸を打つ理想を持つ者がいれば。

しかし結果はご覧の通り。期待は早々に打ち砕かれ、ただ漫然と過ごす日々。そこへ、突如舞い込む真偽も分からぬ噂話し。

或いは、と。膨らむ期待に背を押され、彼女は少女の元へと行き急いだ。


「沢山の人達に囲まれて…最初はまた大勢で私の事を笑いにきたのかと思ったわ」


すっ…


かちゃ…


「なるほど。そいつがお前の言う友になってくれた訳か。にしてもまぁ…よく耐えられたもんだ。いや…お前が味わってきた孤独に比べれば、どうと言う事もないか」


「えぇ!全然気にしなかったわ!そんなのを相手にしている暇なんてないもの!私には覚えなきゃいけない事が沢山ある…もっと、もっと…ヨルみたいに強くなりたい!お友達も…きっといる筈だって、そう言ってくれたから…!沢山の人に嫌われても、お友達が出来るって信じてたもの!」


言いながらカップを手に喉を潤し、また嬉々として語り聞かせる友との出会い。

時間を忘れ、進む話しは今日の昼。学院の食堂で一人昼食を摂り、本を広げるファティルの元へ、彼女が現れるところから始まった。


『ねぇ。…ねぇ貴方。………ファティル・ウォル・サハール。貴方に声を掛けています。返事をしなさい』


『…え?…私?……はぁ…気の済むまで笑ったらさっさと何処かへ行って。私はお勉強で忙しいの』


『貴様!この方を誰だと思って…!』


『そんなの知らないわ。笑いたければ勝手に笑えばいい。けど、私の邪魔をしないで』


ざっ…


『貴様…!』


『おやめなさい!』


『ですが…!』


『言ったところできっと、何も変わりません』


(そう思わせる意思の強さが目に宿っている。これだけ多くの者に笑われようと気にもせず、堂々と己が道を突き進む。恥ずべき事は何もないと、言い誇るかのように。…良いわ。サハール卿の娘ならと思っていましたが、これは予想以上ですね)


広い食堂に並ぶ長机。その隅に置かれた椅子に腰を掛け、本を広げて読み耽る。

それが行儀の悪い事だと知ってはいる。それでも、部屋に戻る時間さえ惜しかった。


初めて触れる知識の山に埋もれ、その悉くを吸い尽くさんと目を走らせる。今、ファティルの目に映る世界は羅列された文字だらけ。周囲の事など眼中にもなかった。

当然、掛かる声に気付く筈もなく、名を叫ばれてようやく顔を上げると、次いでその視界に飛び込んできたのは見目麗しい女性と、嫌な笑みを浮かべる取り巻きの姿だった。

あぁ、またか。と、休講日を挟み迎えた今日は、朝から嘲笑に見舞われ辟易としていたファティル。彼等を同じような輩と思い、素気無く遇らおうとしたのだが…彼女はこれに負けじと笑みを浮かべて近づいてきた。


かつ…かつ…かつ…


『…ふふっ…そう邪険にしないで下さい。貴方を笑いに来たのではありません。…それは…この国の歴史を学んでいるのですか?』


赤みがかった金色の髪を耳に掛け、開かれた本を覗き込む。直後、背後からは軽率な行動を諌める声が聞こえて来たが、前後比べるまでもない価値の差に一瞥もなく。澄んだ瞳で少女を見つめ問い掛ける。

対して、不意に訪れた運命の出会いとは露知らず、訝しい目を向けるファティル。

たった数日で身に付いてしまった警戒心と、せめぎ合う好奇心。

果たして。嘲弄以外の言葉を掛けられる喜びに抗えず。僅かに視線を逸らすと、ファティルは気恥ずかしげに答えを返した。


『…そうよ。病気でずっとお部屋に篭ってたから…私には覚えなきゃいけない事が沢山あるの』


『ふふっ…貴方の噂は聞いています。何でも、編入初日に無知である事を公言したとか。貴族の令嬢であれば無知は恥。恥を見せるは愚者である。と、それくらいは理解していると思うのですが…』


『私は…何も知らない事を恥だと思わないわ。…ヨルが言ってたもの。最初から何でも出来る奴はいない。今はどれだけ馬鹿でもいい。ただし、努力は怠るな。…あなた達にどれだけ見下されても関係ない。私は、私の掴みたい未来の為に頑張るだけだもの』


女の言葉にぴくりと眉を跳ねさせ、反論を述べるファティル。無論、貴族の世界にはそうした常識がある事は知っている。が、これらを学ぶよりも早く、男の言葉や想いに染められた。


力を得る為に教えを乞い、幾度倒されても立ち上がる。男の姿を惨めだと思った事はない。どころか、美しいとさえ思った。

であれば、何を恥らう事があるだろう。こんな自分を見てくれる誰かが居るはず。

高みを目指せとはそういう事なのだと。自分なりの解釈で努力を続けるファティルに、女はその先を問うた。


『ヨル…?いえ、なるほど。…それで、貴方が欲する未来とは…貴方は何の為に己を高めようとしているのですか。この状況で、そうまで堂々としていられる者など多くはないでしょう。私は、貴方の求める未来の貴方に、多大な興味があります』


『…そんなの決まってるわ。やりたい事をする為よ。ずっと一人きりだった…けど、これからは違う…!私はお友達を作って……』


『…どう…されました?』


(あの人達は皆んなこの人のお友達…あんなに沢山…それなのに私は…)


ごーん…ごーん…


『ううん!何でもないわ!…あっ!もうこんな時間!?次はえーっと…確か剣術の授業に…場所は…』


『ふふっ、忙しないですね。ですが、自己紹介くらい聞いて下さい。私はラサ・マリエス・ヴィ・ティフタールと申します。剣術の授業を受けるなら一緒に参りませんか?ご案内します』


しかして。鮮やかな緋色の瞳が刹那に彩りを変え、少女の器を推し量るように覗き込む。

友が欲しい。そして、憧れを追いかけたい。そんな、誰かにとって些細な願いと、いつか消えゆく幻想も、少女にとっては大きな夢。


頬を染め、小さな口を開いて未来を語り始める。

直後、ファティルは女の背に控える者達を見て、知らず顔を背けた。

羞恥、劣等、嫉妬など。人と関わり、初めて知る感情に追い付かない心。次の授業を知らせる鐘に救われたと思う理由さえ分からず狼狽える。

そんなファティルを見て、ころころと変わる表情に毒気を抜かれて笑みを零す。彼女の名はラサ・マリエス・ヴィ・ティフタール。言うまでもなく。この国の王女にして、ファティルの友となる者だった。


「それからは嫌な目を向ける周りの人達と、根掘り葉掘り聞いてくるラサ様の相手でお勉強どころじゃなかったわ。午後はずっと私に付いて回って…でも、ラサ様は凄く優しくて、何も知らない私に色々な事を教えてくれたの!」


「ふっ…まさか、初めてのお友達が姫様とはな」


「年は私よりも4つ上だって!放課後はお茶に呼ばれて色んな話を聞いたわ!今の私にはまだ難しくて余りよく分からなかったけど…でも一つだけ。ラサ様もヨルと同じ!この残酷な世界で戦ってるって…だから、自分を支えてくれる人を探しに来たんだって言っていたわ!そして最後に…こんな、何も知らない私とお友達になってほしいって、そう言ってくれたの!」


冷えた紅茶と、残りも僅かとなったティーポット。皿に盛られたクッキーは既に無く。来る別れを前に溌剌と、語り聞かせる友との馴れ初め。

その初めてが王女と聞いて、男は不意に思い出す。

透き通るような蒼い髪。辟易とするようなしつこさ。それでも、想いだけは伝わった。


命を賭して現れた女の姿を、言葉を覚えている。

じゃじゃ馬どころではない。一国の姫と友になる。それはきっと、目の前の少女が思っている程楽しいものではないだろう。とは言え、選んだのはファティル自身。男は何も言わずただ、続く少女の話に耳を傾けた。


『そんなに硬くならなくていいわ。それよりもどうぞ、召し上がって』


『あ、ありがとうございます…!』


放課後。終業の鐘と共に声を掛けられ、二人きりで話がしたいと誘われる。

戸惑いと不安と、ほんの少しの好奇心を胸に、ファティルが訪れたのは、寮内にある王女の部屋。

柔らかいカウチに腰を沈め、テーブルを挟んで向かい合う。

もう既に、目の前の人物がこの国の王女である事は理解している。が、しかし。ファティルにとっては何もかもが初めての事ばかり。

香り立つカップを差し出し、緊張を和らげようと微笑むラサに、強張った声で礼を述べるファティル。その、余りにも微笑ましい様子に幾度目かの笑みを溢し、王女はゆっくりと口を開いた。


『ふふっ。貴方は本当に純粋なのね。…昼間は、嫌な気分にさせてごめんなさい。それでも、彼等を無碍にする事は出来ないの。力と金、そして権力。皆それらを欲して私の側に侍り、私はそんな彼等を利用する』


『…えっと…はい』


『要するに、持ちつ持たれつという事です。…彼等も将来は家名を継ぎ、この国の貴族として民を率いる身。ですが…欲深い者が多く、皆自身の利益を最優先に考える。致し方ない事とは言え、理想へ邁進するには…。改めて、貴方をここへ招待したのは二人きりで話がしたかったからよ』


『私と…ですか?でも…』


『そうね。けど、何も知らない貴方と、私は話がしたかった。…貴方は、知らずとも持っている。その目に宿る強い意志と、衆目に晒されても挫けない心。そして…そのずっしりと重そうな鞄に詰め込まれた覚悟。…昼に言っていたわね。掴みたい未来がある、と。先にも言いましたが、私は貴方の求める未来に興味があります。良ければ聞かせてもらえませんか。決して、嘲るような真似は致しません』


しかして、真剣味を帯び始める緋色の瞳が少女の真価を見抜かんと静かに揺れる。

今、幼く無知である事など瑣末。もし、この先の数十年を共に歩んでいけるなら、成長を待つ数年が楽しみですらあった。

元より、目の前の少女が見せる強さを知れば声を掛けて然るべき。後は、野心を聞いて臣下と求むか…或いは…。

自らの無知を卑下するファティルの言葉を遮り、ラサは再度、その目が映す未来を問い掛けた。


『…わ…私は…お友達が欲しい!お友達と色んな事をして、色んな場所へ行って…全部やり切ったら…いつか会いに行くの!ヨルともう一度会って、お礼を言いたい。私の全てはヨルに与えられたものだから!…それに…ヨルがもし、この世界に負けていたら…今度は私がヨルを助けたいっ!』


拳を握り、初めて抱いた劣等感を捩じ伏せる。

誰かに問われる自身の夢を、話したい。聞いてほしい。

男と部屋で話す時間は楽しかった。それが、煩わしそうにあしらわれていると分かっていても。

であれば。聞かせてくれと言われ、どうして口を閉ざす事が出来ようか。

長い闘病の末に訪れた出会い。知った世界の美しさ。一人ではない喜び。それらを余す事なく語り聞かせ、抱いた夢を打ち明ける。そして間も無く。ラサは少女の向上心、その根底にあるものを思い知った。


『これはまた…思った以上に壮大な夢ですね。思う全てを成し、憧れの人を追いかける。貴方の物語を演劇にしたら、面白いかもしれません。ふふっ』


『…んもうっ!笑わないって言ったのに!王女様は性格が悪いわ…』


『うふふっ、ごめんなさい。けど、馬鹿にしているのではありません。貴方らしい、素敵な夢ですね。しかし、こうまで貴方を虜にするヨルという方に、私も一度お会いしたくなりました』


あわよくば、染め上げたい。まだ幼く純粋な少女の心を己が思う色に。そう、目論んでいた。

国王である父が優秀と評する男の娘。臣下として、いずれ必ず自身の助けとなる。

しかし。その目に宿す意思も、挫けぬ心も、残酷な世界に抗う覚悟も。既に、自分以外の誰かの色に染まっていた。

目を細める眩さではなく、涙を溢して笑みを浮かべてしまう煌めき。

一体どのようにすればこうまで人の心を惹き付ける事が出来るのだろうか。俄然興味を引かれる男の存在を思い浮かべるラサに向け、ファティルは不意を突いてこう、問い掛けた。


『王女様の夢は何ですか!?掴みたい未来があるなら聞かせて下さいっ!』


『…私の…夢……そうですね。しいて挙げるとすれば…この国に住む全ての民が豊かな生活を得て幸せに暮らせる。そんな国を作る事。無論、今がそうでないという訳ではありません…しかし、望まずとも王女に生まれたのならば。過酷な道を嘆くより、大きな目標を追って生きたい。そしていつか…大国アルシャーリに比肩し得る国となった暁には…これを成す道を支えてくれた者達と、夜通し笑い合いたいものです』


そう言って語る王女の言葉はまるで、見えない何かを読み上げるように淡々としたものだった。

王族にとって夢とは、国の繁栄を願う責務であり義務。この身は国の為。そして民の為に在ると教えられる。

彼女に限らず、この問いの答えは一様に変わらないだろう。


僅かに十四年を生きただけ。それでも、何かを望む事が無為であると知るのにそう時間は掛からなかった。なのに。形容し難い感情がふつふつと湧き上がり、胸を刺す。

目の前の少女は、『私』に夢を問うている。きっと、王女としての建前など知りもしないのだろう。

常套句でやり過ごし、本音を語れぬ後ろめたさ。立場を顧みない自由奔放な少女がこんなにも羨ましい。それは、彼女が久しく感じることのなかった嫉妬であり、羨望だった。

同時に、多くの者を従え闊歩するラサの姿を思い浮かべ、ファティルもまた、その表情に僅かな影を落とした。


『それってあの人達と…』


『……いいえ、違います。確かに…彼等の中には将来、私の支えとなってくれる者もいるでしょう。ですが、そうではありません。…私にも、友と呼べる者は一人もいないのです。きっと、他者からは光り輝いて見えるでしょう。暗く、暗澹とした王族の人生。人よりも遇される事は多く、同時に困難が立ちはだかる。…どちらと言わず、頭を抱える事の方が多い。そんな世界を生き抜く為に…私は優秀な臣下を求めて学院へとやって来ました。そう…彼等はあくまでも臣下…』


十四歳の王女が見せる微かな憂い。如何にその立ち居振る舞いが大人びているとは言え、側から見ればまだ子供。その身に寄せられる大きな期待と、城内で繰り広げられる醜い権力争い。

嫌でも聡くならなければならなかった。その過程で感情を殺すことを覚え、人の言動に対し鋭敏に。悪意に対しては敏感に神経を研ぎ澄まし、疑念と猜疑心に侵される。

時を経る毎に賢しくなり、自身の運命を知る程に、遠ざかってゆく光。ただそう生まれ、望まれるがままに生きていくのだと…そう、思っていた。けれど…。


『…えっ…王女様もお友達が居ないんですか!?…お友達を作るのって大変なんだ…私、もっと頑張らなきゃ!いつまでもヨルに甘えていられないもの!』


『っ…!ふふっ。えぇ…今、この瞬間までは…』


『…?』


慰めが欲しかった訳じゃない。これは単なる嫉妬。或いは嫌味、皮肉の類いだろう。何も知らない少女に少しでも、分かってほしい。否。分からせたい。

王族と言わず貴族であれば皆、家の存続や国の為。自身の光り輝く未来の為に知恵を身に付け、武を学び、繁栄の礎とする。だと言うのに。この少女はきっと、これら全てを無価値なものと断じている。

決して軽んじている訳ではない。が、これらを勝る価値あるものに惹かれている。だから、王女である自身を前にしても、ただ礼を尽くすだけ。邪な思惑など微塵も感じない。


もはや、臣下と望むには掛け離れ過ぎた望みと理想。あり過ぎて困る野心もこうまで皆無だと扱いに困る。しかし、この少女の前でなら…私は王女ではなく、ラサとして。愚痴を零し、笑みを溢す事が出来る。

意味ありげな言葉に疑問符を浮かべるファティルを見つめ、ラサは意を決して口を開いた。


『…ファティル・ウォル・サハール。私の友になってくれませんか』


『え…』


『…人を羨んだのはいつ振りでしょう。作り笑いではない笑顔を見せたのも…。貴方といる時だけ、私は王女の仮面を脱ぎ捨て、ラサでいられる気がする。…貴方の知らない事は私が教えます。だから私に…先程とは違う答えを…夢の見つけ方を教えて下さい』


望むべくもない自由。その先にあった筈の夢。その全てを持つ少女に抱く複雑な感情。同時に、桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す。

王女の持つ関わりに羨望を向けるファティル。互いにその根底にある苦難を知らぬが故、隣の芝は青く見える。

特に。王女の方はその立場故、深い闇を抱えていた。

仮にもし、違う生き方があったなら。目を輝かせ、夢を語っていられただろうか。

自由気ままに求める未来を追っていたのだろうか。

望まずとも王女に生まれたのならば…残酷な運命を呪うより、明日が輝く道を歩んでいきたい。そんな願いもこの少女と一緒なら…。


後に死線を超え、世界の危機に馳せ参じる二人の出会い。これが私の、私に友が出来るまで。


「…なるほど。そうか、良かったな。これでお前の望みは叶ったも同然と言う訳だ。姫様が友達なら外交の一環で供をする事もあるだろう。好きなだけ世界を見て回るといい」


「勿論!そのつもりよ!でも………これで…ヨルとお別れね…」


「そうだな」


こうして、全てを語り終えたファティルにたった一言手向けと伝え。言わずとも、漂う雰囲気に流され口を衝く。

交わした約束の履行。それは即ち、別れを意味する。

今日である必要があったのかと問われれば、分からない。でも、今でいい。今がいい。

それがヨルに対する誠実さだと思った。それに。嘘を吐き、小賢しく時間を引き伸ばして何になるというのか。


もう一度、必ず会いに行くと決めた。であれば今でも明日でも変わりはしない。

次は男から離れるつもりなんてない。けど今は、やりたい事がある。

無知であろうと思う全てを為せるのだと。やり切って、この残酷な世界に打ち勝ったと胸を張って会いに行く。


相も変わらず素気無い男を見据え、ファティルは覚悟を決めて拳を握った。


ぎゅっ…


「…旅の無事を祈ってるわ!」


「あぁ、お前も達者でな。…アリカ、こいつを学院に送り届けてやってくれ」


「…はーい」


「ヨルっ!私は必ずあなたに追いついてみせるから!あなたが生きる意味を失っても、私があなたの生きる意味になるから!…またねっ!」


すぅ…


「…随分とませた事を言うようになったもんだ。或いは、友に何か吹き込まれでもしたか。最初からこの世界に生まれていれば…俺も少しは違ったのかもしれないな…」


闇に飲まれる少女を見送り。こうして、また一つの出会いに幕が下りる。

人と、誰かと関わる事を拒み、それでも…星の数程ある出会い。その一つ一つは短くも、積み重ねた軌跡が消える事はない。

いつか交わる小さな点。中には、交われなかった点もあるだろう。しかし、男と出会い選んだ答え。進むべき道を後悔した者は、一人としていなかった。

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