↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/7

4.待つ者、選ぶ者

「それで、私を脇に抱えたまま建物の屋根から飛んだのよ!その時、赤く燃える空を見たわ!」


「そうか。良かったね、ファティル。…ヨル、すまない。娘の我儘に付き合わせてしまって」


それから程なくして。屋敷へと戻り、少し遅めの夕食を囲む団欒に、手よりも口を動かし今日の出来事を語り尽くす。

娘の楽しそうな表情に笑みを浮かべ、ハールィンが男へ目を向けると、ヨルは続く謝罪に対し、意味ありげな笑みを零して言葉を返した。


「ふっ…気にする事はない。そうやって娘の為に頭を下げる事が出来るのもいつまでか。…ファティル、ハールィンに言う事があるだろう」


「…分かってるわ」


「…どうしたの?ファティル」


「ヨル…娘と何かあったのか?」


「…黙って聞いてやれ」


先程までの和やかな雰囲気から一変。打って変わって張り詰める緊張感に硬く、真剣な面持ちで両親を見据えるファティル。

もうこれ以上、ヨルに甘える訳にはいかない。もう、子供扱いなんてされたくない。何より、幻滅されたくなかった。そんな気持ちを言葉にする事が出来ない無知を克服し、いつかその背に追いつきたい。

欲するだけでは飽き足らず、芽生えた向上心に背を押され。少女は意を決して口を開いた。


すぅ…


「お父様、お母様。私、学院へ行くわ。明日にでも通えるよう、学院に執りなして下さい」


「……ファティル…それは一体どういう…」


「ハールィン、親なら何も聞かず、頷いてやればいい。こいつは馬鹿じゃない」


「あなた」


こくり…


「……分かった。明日はファティルを連れて王都の学院へ行く。試験の結果は惨憺たるものになるだろうが…私も娘の為に恥を受け入れよう。ただ、流石に制服など揃えなければならない物もある。明日からとはいかないかもしれないが、遅くとも数日中には通えるようにしよう。それでいいかい?ファティル」


「はい。ありがとうございます、お父様」


澱みなく、真っ直ぐな瞳で所信表明を語る。あどけなさなど微塵も感じさせない毅然とした態度。事ここに至っては不名誉な誹りさえ承知の上なのだろう。

娘の成長に息を呑み。数刻前とは見違える姿に口を衝く。ハールィンはこれを不粋と遮る男の言葉に押し黙り。妻の力強い頷きを受け、娘の願いに応える事を約束した。


「…飾らずに、何も知らないから教えてくれと言えばいい。馬鹿にしてくるような奴は相手にするな。けれど高みを目指す事を忘れるな。人を見る目を養い、人の波を渡れる強さを身に付けろ。その先に、きっと居るはずだ。お前の友が」


「…ヨルみたいな人がいいわ…」


「俺のような人間なんてろくでもないからやめておけ」


「どんな人をお友達に選ぶか。決めるのは私よ」


「ふっ…言うじゃないか。そうだな。お前が選び、決める事だ。…後はあいつか…」


こうして、幼い少女の大きな一歩に手を差し伸べたヨル。

後は。そう呟き、次いで思い浮かべたのはこの場に居ない暗殺者の憂い顔。

死を前に命を乞うても気付けない。いや、気付いてはいるのだろう。しかし、諦めている。

待つ事しか出来ない癖に悩み続け、滑稽な人間らしい苦悩と葛藤に苛まれる。

疲労を理由に一人部屋へと戻り、魔光の灯りも点けずに一人ベッドで丸くなる。

枕を抱いてしんしんと。ロミアは抉るように胸を刺す男の言葉を思い返していた。


「………………」


『辛い、苦しい、怖いと言って諦めれば楽にはなるだろう。けどそれは生きる意味を失うのと同じ。死んでいないだけだ』


(なんなの…なんなのよ…)


『…覚えておけ。世界は残酷だ。待っていても誰も助けてはくれない』


「そんな事…分かってるわよ」


『…諦めてばかりいないで…超えてみせろっ!』


「…もう今更…それに…」


『…二本の足があれば大抵、好きな場所へ行ける』


「何処へ行けっていうのよ…」


『…価値ってのは人によって違うんだ』


「だったら…あたしを生かしたなら…助けてよ…」


強く、気高い姉の姿。けれど彼女も一人の女。

妹と呼べる少女と出会い、時が経つにつれ、強く望むようになった。いつか誰に憚る事もなく、陽の下を笑い合い、歩んでいきたい。

その為に。ずっと、何年も悩み続けてきた。若気の至りと言うには余りにも大き過ぎた代償。

踏み込んだ世界は生きるか死ぬか。途中離脱など死を以て以外にあり得ない。

だから、どうしようもないと諦めた。それでも、救いはある。希望はあると語り、夢を見る。そんな矛盾を孕む諦念を、男はずたずたに引き裂いた。


価値は無く。希望も無く。だのに諦めるなと言い放つ。一体、何が言いたいのか。

ここまでくれば馬鹿であっても理解が及ぶだろう。少女に対する言葉はそのまま自身に向けられたもの。

だとしても。気にする事はない。考える必要もない。捨て置いても何ら問題などありはしない。…なのに、纏わり付いて離れない。

ロミアにとって、男の言葉は地獄に垂れる一本の糸と同じ。それだけの力を持っている。未来を変える事が出来る力を…。


「…シャラ……あたしがあんたを………」


すぅ…


そうして、いつの間にか思考の海に溺れ眠りに落ちる。小さな寝息と共に漏らす呟きこそ、ロミアが選びたく、選べなかった答えなのだろう。

その先を紡ぐ事を諦めてしまった彼女に、男の言葉はどう聞こえたのか。

疲労、気疲れ、睡眠不足に加え、長く続いた緊張と死地を脱した安堵。泥のように眠る女が目覚めたのは、陽も南中を過ぎた頃だった。


「…ん…んぅ………すぅ…」


寝返りを打ち、薄らと瞼を持ち上げ、次いで後もう少しと目を閉じる。抗い難い二度寝の誘惑。熟睡からの惰眠。有り体に言って捕虜のような扱いを受けている事に変わりはないが、命の保証はされている。

常に死と隣り合わせの生活にはなかった安息。束の間の休息に居心地の良さを覚え始める女に対し、それは唐突に、嫌味を込めて声を掛けた。


「良い身分だね。いつまで寝ているつもりだい?」


「っ!?」


ばっ…!ちゃき…


「……あんた…もしかして…」


紫色の髪と透き通る蒼い瞳。背はファティルと同じか、僅かに高く。顔立ちは大人びた印象を受ける。ゴシック調のドレスを纏い、醸す雰囲気は鋭く冷たい。

端的に言って異様な姿と美しさ。少女のようでもあり、妖艶な女のようでもある。妖の類と言えば、それが一番しっくりくるだろう。

そんな、得体の知れない何者かの気配を捉えて跳び起きる。

ロミアは寝台の脇に立て掛けておいた孤月を構えると、じっと女を見つめ。そして間も無く。覚えのある魔力にとある存在を思い浮かべた。


「そう言えば、この姿は初めてか。オレはヨルのアリカ。最上位に君臨する闇の精」


すっ…


「あんた…その姿でオレって言うのはどうなのよ。…まぁいいわ。それで、あいつの精霊があたしに一体何の用?」


「……………はぁ…」


「……ちょっと…幾らなんでもそれじゃ分からないわよ」


「もう昼を過ぎている。だと言うのにまだ寝るつもりか。ヨルとの約束はどうした」


「…え?………あ…あはは…そう、ちょっと寝過ぎたわね」


仰々しい名乗りと共に霞む落差に口を衝く。いつかの男と同じ。違和感を覚える一人称に疑問を零し、武器を下げ。次いで本題を問い掛ける。


ロミア・テーゼ。彼女は見た目の雰囲気に違わず頭脳労働が苦手だった。加えて性格は大雑把。

身嗜みに気を使う事を覚えれば誰もが振り向く美貌は伸び代しかないと言えるが…。

溜め息を吐き、呆れてみせても気付かない。これ以上は時間の無駄と、用件を伝えるアリカの視線に釣られ、ゆっくりと顔を向ける。

強い陽射しが差し込む室内。部屋に掛かる時計の針は一時を指している。この明るさでまさか深夜と言う事はないだろう。

明日は朝から剣の修行に付き合ってもらう。そう言われていた事を思い出し、引き攣った笑みを浮かべるロミアに対し、アリカは追撃と言わんばかりに辛辣を吐き捨てた。


「暗殺者の癖に緊張感が無いね。…ヨルはこのままお前を寝かせておくつもりみたいだけど…時間は有限なんだ。ヨルにだって旅の目的がある…命の代価を支払え。ヨルの優しさに甘えるな」


「…そうね。そう…だったわね。あの男…ヨルは今何処に?」


そう、これは夢。いつかと望んだありもしない幻。

控え目に言って悪くなかった昨日。積み重ね、今日と言う日に僅かな期待を持ち。男の不可解な言動に自身が暗殺者である事さえ朧げで、思考は男の言葉の意味を考える事に割かれた。

それも何か、核心を穿つ何かを見付ければ変わるような。そう思わせたのは少女に手を差し伸べ、不器用に微笑む男の姿だった。

それを、たった一言で現実に引き戻す。アリカの言葉に影を落とす女の意識は急速に醒めていった。


「ハールィンの書斎に居るよ。お前が起きてくるのを朝からずっと、本を読みながら待っている」


すた…すた…すた…


「それは悪かったわね。すぐに支度して部屋を出るわ。…庭でいいかしら?」


「…はぁ…良くないに決まってるだろ。ちゃんと食事を摂ってから。…じゃないとオレがヨルに怒られる…」


「…ふっ…何よそれ。…ねぇ…」


「何?」


「あの男は…ヨルはあたしに…」


昨日以前なら身の危険を感じ、言うが早いか部屋を飛び出していただろう。言われるまでもなく、今はもう男の優しさを理解している。

室内に脱ぎ捨てられた衣服を拾い、居場所を尋ねると、精霊はまた一つ溜め息を零し言い窄む。

まるで勝手をした行動に対する非難を恐れるようにもじもじと。その姿は大好きな人に嫌われたくないと隠し事をするように。

きっと、目の前の精霊も何かを乗り越え積み重ねた。そんな、心の機微くらいは分かる。であれば。答えを知っているかもしれないと口を開くロミアに対し、アリカは契約者もさながらにこれを遇らった。


「自分で聞きなよ。オレは何も話さない」


「つれないわね。なら…闇の精霊さん。あなたについて質問があるわ。これくらいなら答えてくれるかしら?」


「……………」


「あなたも何か…ヨルに選択を迫られたりしたの?」


「……迫られた訳じゃない。与えられたんだ。一つしかなかった答えを二つにしてくれた。ヨルはただ、導いてくれただけ。…決めたのはオレ。選んだのもオレだ。ヨルは何も強要したりしない。そうする程、興味なんかない。だから、責任を負っても構わないと思う程深入りもしない。…誰にもね」


(選択…か。でも…)


「その割には、随分とお節介を焼いてるように見えるけど」


「…いつもはあんな風に、直接手を引くような真似はしない。オレや、今のお前と同じように、答えを当人に委ねて終わる。けど、あれは幼い。ヨルは…優し過ぎるんだ…。傲慢な態度で人を遠ざけようとするのも傷付かない為。…全部、お前達人間のせいだ。…人間は優しいヨルを裏切り傷付ける…!あれがその、成れの果て。だから、ヨルの側に居るのはオレだけでいい。オレは絶対にヨルを傷付けない。…お前も余り、ヨルには近づくな」


しかして。予想に反し、無言で先を促す精霊に問うた答え。ロミアは思いがけず男の言動、その真意に手を掛ける。

精霊の口振りから男に悩みを見透かされている事は間違いないだろう。そうなるとやはり、昨日の言葉は全て自分にも向けられていた事になる。

違うのは、答えを与えられたかどうか…。しかし、得るものはあった。


謂れのない誹りを受けるが如く。精霊とは思えない感情を剥き出し睨め付けられる。

男の言葉を借りるなら、それ程に価値があるのだろう。

アリカにとってのヨルとは一体どういう存在なのか。これに興味を唆られ、ロミアは続けて問い掛けた。


「随分と慕ってるのね。近付くなって…それはどういう意味?あんたはヨルの何を知ってるの?…そもそも、あんたにとってヨルは何なの」


「…お喋りが過ぎたみたいだね。ヨルが気付いたからオレはもう戻る」


「え…ちょっと!?」


「お前もさっさと準備を整えてヨルの所へ行け。…間違ってもその姿のままヨルの前に出るなよ。まぁ…どうせ適当にあしらわれて終わりだろうけど」


「……んなっ!?…ったく、一体なんなのよ。契約者と言い、精霊と言い…というか本当に契約者の性質に染まるものなのね。嫌味ったらしい言い方はあいつそっくり…っと、そんな事言ってる場合じゃないわね。余り待たせるとあのひん曲がった性格の男に何を言われるか分からないわ。けど…昼食を摂らないと怒られる、か。…余り、期待させないでもらいたいものね…」


矢継ぎ早に繰り出す質問をするりと躱し。肌着姿の女に向けて言い放つ。アリカの言葉にちらと過ぎる男の顔。柄にもなく恥じらい、胸を隠したのはどうしてか。

まだ、核心には至らない。が、数日中には選択が与えられるだろう。自身の葛藤に気付き、精霊の言うように優しい男ならきっと…。

そうやって、都合の良い解釈に身を委ね、選択と答えを履き違える。即ち、救いはあるのだと。

少しずつ変わっていく関係。傾いていく天秤。ロミアは俄然高まる期待を胸に用意を急いだ。


それから一時間後。


きーん!…ぎり…っ!


ざっ…


きんきん…!かぎーんっ!


「ちぃっ…!」


ぶぅおんっ…!


ひゅっ!


「ほら!目で追っていたらいつまで経っても先手は取れないわよ!相手の敵意や殺気を捉えて動きを読むのが立ち回りの基本だって言ったでしょ!」


しゅっ!


「そんな事は分かっている!易々と出来れば苦労はない!…く…そがっ…!」


想像に容易い嫌味を受け流し、忙しなく庭へと駆り出される。一昨日と同じように剣を交える男と女。しかし、これまでとは明らかに違う二人の距離。

相変わらず険しい表情で攻撃を防ぎつつ、攻勢に転じるべく氷刀を振って前へ出る。ヨルの焦りを即座に見抜き、待ってましたとばかりに身を翻す。

背後に回り込んだロミアは手解きとばかりに励声叱咤をその背に浴びせ。直後、振り返る男は鼻先を掠める孤月を見つめ悪態をつく。

戦場に在って言い訳など、何の役にも立ちはしない。出来ないのであれば死ぬだけ。

恐らくは、死の淵に立った事もないだろう男に向け、ロミアは容赦なく返す刃を振り下ろした。


「敵は待ってくれないわよ!」


ちゃき…!


「ふっ!」


がぎーんっ!


「ぐうっ…!」


「ほら、さっさといなすか弾くかして切り返さないと、このまま真っ二つよ」


魔法無し。魔力による一切の強化無し。純粋な技と力のぶつかり合い。なのに。窮地に立たされ見上げているのは男の方。

氷刀を掲げるように持ち上げ、大上段からの一撃をすんでの所で受け止める。

ヨルの逼迫した表情とは対照的に、まだ余力を残して余りあるロミア。その憎々しい表情に言われなくても分かっていると。そう言ってやりたい気持ちは当然ある。が、僅かにでも力を抜けば膝を突き、もう立ち上がる事は出来ないだろう。絶妙な力加減でこれを脱せと試練を与えられる。

隙を突き、力を緩め、刃を逸らして刀をいなす。そんな芸当が出来るなら、教えを乞うてはいなかった。であれば考えるまでもなく。男は在らん限りの力を込めて氷刀を振り上げた。


「ぐっ…!うぉらぁっ!」


ぎーーーんっ!!


ざざっ…!


「まだ終わっていないわよ!」


だっ!


「ちょっ…!お前…!」


しかして距離を取り、仕切り直しと言うにはまだ早い。

ロミアは瞬時に態勢を立て直すと、間髪入れずにその場を飛び出し。男は容赦の無い追撃に備え、再び刀を構えた。


きんきんきんっ!


すっ…


「…なっ!?消えた!?」


「…相手の攻撃を読み、思考の間隙を突く。言葉ではなく、剣で化かし合うのが剣士の戦いよ」


「言ってくれる。けど、これは流石に大盤振る舞いが過ぎるんじゃないか?……はぁぁっ!」


ぶぅんっ!


「残念」


しゅっ!…どさっ!


「っ…!?」


すっ…!ぴた…


「はぁ…完敗だ。なかなか思うようにはいかないもんだな。因みに、今ので何割くらいの力だ」


「……全力の二割と言ったところね。…とてもじゃないけど…たった数日であたしの剣技を会得するのは無理よ。あんた…剣での戦いは素人同然ね。今までも、あの馬鹿げた魔力に頼った戦い方をしてきたんじゃない?」


まるで子供扱い。意趣返しのように放たれる皮肉。攻防の最中、不意に目の前から姿を消す女を背後と読んで振り返る。

勢い良く振り下ろされた氷刀は空を斬り、次いで足への衝撃と共に柔らかい芝の上に尻を突く。

それも幾度目か。攻撃を躱す際に体勢を崩し。突きを受けて吹き飛ばされ、今回のように死角から足を払われ倒される。もう数える気にもならない。これが硬い地面であったなら、男とて心が折れていただろう。

見下ろし、刀を突き付けるロミアの姿に一区切りと問いかける。その答えもやはり、男にとっては想像の域を出ない瑣末なものだった。


すっ…


「やれやれ。立場が逆になったな。お前の言う通り、俺に武芸の嗜みはない。剣だって握ったのは数ヶ月前。刀については一昨日が初めてだ。まぁ、剣術の基本さえ学べれば後はどうにかする。気にせず今の調子でやってくれ」


「…筋は悪くないわ。数年もあれば…いえ、一年あればそれなりになると思う。…何処かを目指して旅をしてるようだけど…それくらいの時間もないの?」


「無い。本当なら今すぐにでも旅に出たい所だが…俺の運はあいつとの出会いで底を突いたらしい。どうにも、こっちに来てからは面倒な奴らに絡まれる」


「…何でそんな顔であたしを見るのよ」


「さてな。それよりも、たっぷりと寝て体力も有り余っているだろう。続けるぞ」


言いながら、立ち上がる男に気を遣い、言葉を濁す。までなら納得も出来ただろう。

何故、問いかけたのか。問いかけて、どうするつもりだったのか。…分からない。

何を求めていたのか。誰と、ではない誰かでよかったのか。ただ、寂しかっただけなのだろうか。…まだ、分からない。


気付けば夕暮れを過ぎ、夜の帷が降りようと鳴り止まぬ剣戟。その合間に交わす他愛のない言葉。

分かった事はただ一つ。そんな、ありふれた日々を…女は欲していた。


ばんっ!


「ヨルっ!ただいま!」


「やれやれ。また五月蝿いのが帰ってきたな。入学の手続きはどうなった」


ぱたん…


それから程なくして。湯を浴び、飯を食い。一日の終わりに本を読み耽る。そうして何かに集中している時だけは考える事も少なくなった。

そして、これよりも遥かに集中を欠く。どころか何も考えられない程に騒がしい少女が部屋の扉を開け放つと、本を閉じ。いつものように小言を言って出迎える。


「お父様とアリカのお陰で無事に済んだわ!けど、やっぱり制服が…今日仕立てに行ったけど、早くても仕上がるのは明後日になるみたい。それに、別室で受けた学力試験の結果は散々…クラスも一番下だって…」


「ふっ…良かったじゃないか。一番下ならそれ以上、下がる事はない。次の試験まで、どれだけでも無知を晒せばいい。だが、高みを目指す事は忘れるな。機会は一度じゃないんだ。近い内に見返してやれ」


(明後日か…となると数日という見込みは甘いな。こいつに友が出来るまで、一週間を目処に考えておいた方が良さそうか。まぁ、ロミアのお陰でやる事がないではない。…急がば回れ、か。神聖の大樹。別名を天樹の迷宮とも呼ばれる前人未到の地。挑むにあたり、力はあればあるだけいい。必ず、頂上に辿り着いてみせる…!)


男の問いに溌剌と、また沈んだ表情で答えを返す。朝早くから屋敷を出て、父と共に王都の学院へと赴いたファティル。その言葉通り、編入の手続きを済ませ、必要な物を買い揃える。同時に、入学へ向けて着々と準備を進める中で避けては通れない試験。その結果に項垂れた様子を見せる。

無論覚悟はしていただろう。しかし、実際に突き付けられる現実は余りにも無慈悲だった。

そんなファティルを励まし、約束の履行と旅立ちの予定を立て直す。直後、未だその姿に一瞥もない契約者の気を引くように、態とらしい咳払いが室内に響いた。


「こほんっ…ヨル、オレにも何か労いの言葉があってもいいんじゃない?」


「ん?あぁ、そうだな。面倒を掛けて悪かった。こいつが正式に入学して寮に入るまでは引き続き頼む」


「ま…まぁ、これくらいヨルの魔力があればなんて事はない。…と言うか、あの約束…オレにも近々冒険譚を買ってくれよ…」


自身で求めておきながら、照れ臭そうに返事をする。今回の道行に同行し、闇を移動する事で大幅に時間を短縮した彼女の貢献は大きく。黒猫の姿とは言え、何を見下ろしているかも怪しい様子で首を反り、胸を張る気持ちも分からないではない。

本来、ハールィンの領地から王都までは片道だけで四、五日は掛かる程の距離がある。到底、日帰りで戻る事など出来ないだろう。

当時は男と比較してもなんら遜色がない冷めた態度に加え、口を開けば殺伐とした事ばかりを並べ立てる。そんな闇の精などもはや見る影もなく。今もまだ、素直になれないアリカを見慣れたと言えるくらいには積み重ねてきた。であれば、その遇らい方もお手のもの。


「ふっ…分かっている。それより…俺にはまだやる事があるからファティルの面倒を見ててくれ。ファティル、アリカはこう見えて千年以上生きてる精霊だ。何でも聞くといい」


「え…ちょっとヨル…そんな話は聞いてな…」


「本当!?アリカ、行きましょ!お勉強をしなくちゃ!それに、ヨルの邪魔になるわ!」


「うわっ…!?おいファティル!?ヨルっ!これは冒険譚より高く付くからねっ!」


ぎぃぃ…がちゃ…


「…さて…寝るには少し早いな。…鉄は熱いうちに打て…か。そうだな…余り時間がある訳じゃない。あいつの技をものに出来れば一先ず、物理的な攻撃手段については十分だろう。…後は魔法についてだが…まぁ追い追い考えるとしよう。まだまだ先は長い…っと、胸のでかさまで似せる必要はないか」


少女に抱かれ、部屋を後にするアリカを見送り、騒がしさもひと段落と息を吐く。

ふと窓の外を眺め、次いで月を見上げると、どうしようもない不安に掻き立てられる。


これでいいのか。このままでいいのか。間違ってはいないだろうか…。

たった一度きり。かもしれない機会を逃す訳にはいかない。絶対に帰ってみせる。

その為に何か、まだ出来る事がある筈と魔力を手に込め創造を始める。


男は今日を思い出し。女の動きを思い出し。女の振る剣を思い出す。

そして間も無く。目の前に現れた彼女の影を伴い、姿を消した。


そして翌日。


きーんっ!


たったったっ…!


「……………」


「…随分と慎重ね。けど、それじゃあ敵を倒す事は出来ないわよ!」


ざっ…!


日が昇ると共に響く剣戟も耳に慣れ始め、日課と言えるようになった朝の鍛錬。男は広い庭を駆け、機を窺い攻撃を加えると、不利な打ち合いを避けるように距離を取る。

戦術的な観点で言えば当然、理に適ってはいる。が、らしくない。

一撃離脱を繰り返す男に対し、焦れた様子で挑発を口にするロミア。同時に、強く地面を踏み締め攻勢を仕掛けんと前に出る。しかし、全ては手の内。これを見てほくそ笑むヨルは、ロミアよりも僅かに早く機先を制し、前に出た。


「いや…そろそろ一本取らせてもらう!」


だんっ!


しゅっ!


がきーん!きんきんっ!


「ふっ!」


「っ!?」


(これを狙ってたのね。…と言うか、昨日とはまるで別人じゃない。何より…凄まじい気迫。一体、何がこの男をそうまでさせるの…)


まさに一気呵成。出鼻を挫かれ反応が遅れたロミアに対し、猛攻を繰り出すヨル。

袈裟斬りから勢いを殺さず身を翻して一文字。仕上げに刃を返して振り下ろす。と見せかけ腕を引き、鋭い突きを放つ。

澱みなく、まるで何百回と打ち合ったかのような動き。首を振って躱す鋒が頬を掠めると共に、鬼気迫る男の剣にまた一つ疑問が湧き上がる。

とは言え。たった数日で師が弟子に負かされるなど聞いた事もない話し。

ロミアは素直に賞賛の言葉を送ると、刀を強く握り締めた。


ぎゅっ…


「…流石に少し驚いたわ。けど…!」


ざっ!


「いや、悪いがこの勝負…俺の勝ちだ。はぁっ!」


しゅっ!


しかして。ロミアが刀を振り上げ、反撃に出ようと一歩を踏み込むその刹那。

不敵な笑みを浮かべ、ヨルは突き出した刀を勢い良く振り下ろした。


「…惜しいわね。けど、これで四割と言ったところかしら。…朧月…」


ひゅっ…!


「…おいおい…嘘だろ…」


「呆けている暇なんかないわよっ!」


がぎーんっ!!


「くっ…!」


ずざざざざ…!


(ちっ…馬鹿力が。…結局はあと一歩及ばず、か。それよりも…)


「今のは何だ。どうやって攻撃を避けた」


善戦も虚しく距離を離され、仕切り直しの形となって相対す。男は僅かに痺れる自身の手を見つめ、次いで間髪入れずに問いかけた。

一体何が起こったのか。どうあっても避けられる筈がない。氷の刃が女の身体に触れる直前。いや、間違いなく触れていた。にも関わらず、虚空を裂いて終わる現実に我が目を疑うヨル。


圧倒的な体捌きと技量。そして男を弾き飛ばすだけの膂力。惜しむらくは魔力が存在するこの世界で、核を持たずに生まれた事だろう。

仮にもし、女に魔力核があったなら、未来は大きく変わっていたに違いない。


「…掻い摘んで言えば、単なる幻影よ。あんたは自分に都合の良いあたしの幻を相手に刀を振っただけ。実際にはあんたの突きを躱した後、あたしはその場から一歩下がった。…そんな事よりあんた…一体その背に何を背負ってるの。昨日はあぁ言ったけど…今の打ち合い、あんたの成長は度を超えているわ」


「…何も背負ってなんかいないさ。ただ、手に入れたいものがあるだけだ。お前だって欲しい物があれば必死になって金を稼ぐだろう。それと何も変わらない」


「いい加減、そうやってはぐらかすのはやめて。…あたしは頭も悪いし、あんたに言わせれば馬鹿かもしれないけど…それくらいは分かる。最初からそうだった。昨日も、今も。あんたの振る剣からは切実な想いが痛い程伝わってくる。…一体、どれだけのものを求めたらそんな真剣に、必死に…あんたのその目は何を見ているの」


まるで瑣末な事と言った風に聞かせる技の妙を吐き捨て。積もりに積もった疑問を論う。

もはや黙ってはいられない。気になって仕方がない。冷徹無慈悲と思っていた男の優しさを垣間見て、熱い剣戟に心を打たれる。

日々の積み重ねに知っていく程、御し難い。

今も、傾く天秤に自覚はないのだろう。ロミアは、ヨルの心に荒々しく手を触れた。


「………やれやれ。熟達した剣士と言うのは打ち合いだけでそこまで解るのか。どちらにせよ、お前には関係のない事だ。寧ろそこまで理解しているなら無駄口を叩いていないで続けろ」


「まだ暫くはあたしを解放するつもりもないんでしょ?だったら少しくらい話してくれてもいいじゃない。…あー気になって修行に集中出来なくなりそう」


「…お前……」


ちら…


「…はぁ……俺の帰りを待ってる奴がいる。俺はそいつと一緒に、飯を食べる約束をしたんだ。俺から言い出した、初めての約束…。夜景が綺麗だと評判の、ちょっと高い店を予約して、柄にもなく店の従業員に頼み事までしてな。それなのに……」


ぎゅっ…


「俺はその約束を果たしにいかなきゃならない。その為に、力が要る…!」


僅かに間を置き、逡巡を経て。それでも尚語る事はないと口を噤むヨルに対し。刀を突き立て、やる気が失せたと反応を窺う。

自身の立場を利用し、迫るロミアの態度に渋々と明かされた理由は、事情も知らない彼女にとって、何一つ理解の及ばないものだった。


「たったそれだけの…」


『…価値ってのは人によって違うんだ』


「…ごめんなさい……話してくれてありがと」


「ふっ…多少は価値が何かを理解出来るようになったか。これで修行に専念出来るだろ」


「…ねぇ、その人ってあんたの…」


「そこまで話す気はない。どうしてと言うから理由を話してやったんだ。そいつが俺の何であろうと、お前には関係ない。構えろ」


だっ!


たったそれだけの事で。そう口を衝くロミアの脳裏を過ぎる言葉。彼女にとっては取るに足らない事柄でも、男にとっては切実な願い。

寸前で口を閉ざすロミアは、続けて何気ない疑問を口にした。けれど…。

何故、問いかけたのか。何故、気になったのだろうか。

答えを知るのが怖い。けど、もっと知りたいと思うこの気持ちは何なのか。…分からない。


幾重にも折り重なる思考と想いの果て。結局は、話し聞かせる事になるとも知らず。

これを素気無くあしらう男は刀を手に、また挑み掛かる。

かくして。朝の鍛錬は終わりを迎え、騒がしい昼を過ぎ。各々が部屋で過ごす一日の終わりを前に。一人屋敷を歩く男の姿があった。


すた…すた…すた…


「……………」


こんこん…


「…こんな時間に誰よ…」


ばっ…!


(もしかして…)


たったったっ…


がちゃ…


「……侯爵…こんな時間に一体、何の用?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。