第五夜 高橋さんの唐揚げ
五日目の夜も、俺は九時前に「やまびこ」のカウンターに座った。
雨が上がった路地は少し蒸し暑く、店内の灯りがいつもより温かく感じる。
「親父、こんばんは。今日は高橋さん来そうか?」
「おかえり、島田さん。来ると思うよ。今日は唐揚げを多めに作ってる」
浩一親父は鶏もも肉を大きめに切り分けながら微笑んだ。
今日の唐揚げは丁寧な二度揚げ。
醤油・酒・おろし生姜・にんにくでしっかり下味をつけた鶏肉を、片栗粉を薄くまぶす。油を170度に熱し、一度目で中までじっくり火を通し、一度上げて余熱を飛ばす。二度目は190度の高温で表面をカリッと香ばしく揚げる。
外側は黄金色に爆ぜるようにカリカリ、中は肉汁がぎゅっと詰まったジューシー。熱々のまま小皿に盛られると、油の良い香りがカウンター全体に広がった。
里芋の煮っ転がしも新しく作られていた。
昨日より少し甘めに煮詰め、表面の照りが強くなっている。箸で押すとホロッと崩れ、甘辛の汁が溢れる。
俺が唐揚げを一つ頬張った瞬間——カリッ、ジュワッ——最高の音と食感が口の中に広がった。
十時少し過ぎ、鈴が鳴った。
高橋さんだった。三度目の来店。昨日より足取りが軽い。
「……こんばんは。また来てしまいました」
「いらっしゃい、高橋さん。今日は唐揚げだ。熱々だぞ」
親父が二皿分の唐揚げと里芋を出す。高橋さんは唐揚げを一本手に取り、目を細めて一口。
「……うまい。衣がこんなに軽いのに、中がこんなにジューシーなんだ……」
彼は少し興奮したように言った。
大阪にいた頃は、家族のために唐揚げをよく作っていたらしい。でも仕事が忙しくなってからはレトルトや出来合いに頼るようになり、息子に「パパの唐揚げ、最近食べたい」と言われたことを思い出したそうだ。
「ここに来て、久しぶりに『ちゃんと作られた料理』を味わってる気がします。……店長の味、俺もいつか出せるようになりたいな」
高橋さんの声はまだ控えめだけど、昨日より目が生き生きしていた。
俺は横で自分の唐揚げを食べながら、軽く笑った。
「高橋さん、毎日来いよ。俺も最初はただ飯食いに来てただけだ。でも今じゃ、このカウンターが一番落ち着く場所だぜ」
美咲も少し遅れて来て、三人でカウンターが賑やかになった。
美咲が明太子チーズを食べながら高橋さんに話しかけ、高橋さんは照れながら答える。俺はそれを聞きながら、親父の里芋を味わう。
高橋さんは唐揚げを完食し、里芋の汁まで丁寧に残さず食べた。
帰る時、彼は親父に小さく頭を下げた。
「明日も……来ていいですか?」
「いつでも待ってるよ」
店を出る高橋さんの背中は、初めて来た夜より少し広くなった気がした。
俺は最後に親父に言った。
「高橋さん、いい奴だな。親父の料理がまた一人、救ったみたいだ」
カウンターには、唐揚げの香ばしい余韻と、里芋の優しい甘い匂いが残っていた。




