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やまびこカウンター  作者: オオムラサキ


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3/20

第三夜 里芋と新しい影

三日目の夜も、俺は九時前に「やまびこ」の扉を押した。

 雨は昨夜より強くなっていたが、カウンターの左端の席はいつも通り俺のものだ。

「親父、こんばんは。今日もよろしく」

「おかえり、島田さん。今日は里芋がいい出来だ。後で新しい客が来るかもな」

 浩一親父はそう言いながら、すでに鍋を火にかけた。

 里芋の煮っ転がし。

 まず里芋の皮を丁寧にむき、米のとぎ汁で下茹でしてアクを抜く。表面が少し透き通るくらいでザルに上げる。

 鍋に出汁・醤油・みりん・砂糖を黄金比で合わせ、里芋を転がしながら中火で煮詰める。汁がだんだん煮詰まり、里芋の表面がトロリと照り輝いてきたところで火を止める。余熱でじっくり味を染み込ませる。箸で軽く押すと、ホロッと崩れる柔らかさ。優しい甘辛の香りが、店内に静かに広がった。

 もう一品はサバの塩焼き。

 脂のしっかり乗ったサバを、皮目を強火でパリッと焼き上げる。中はふんわりと火が通り、脂がじゅわっと浮き出る。レモンを添えると、爽やかな酸味が焼き魚の香ばしさを引き立てる。

 俺が熱燗を一口飲んで里芋を味わっていると、十時半過ぎに扉の鈴が鳴った。

 濡れたコートを着た、瘦せた三十代半ばの男。初めて見る顔だった。

「……すみません。日本酒の熱燗を。つまみは、なんでもいいです」

 親父は静かに頷き、同じ里芋の煮っ転がしとサバの塩焼きを新しく作り始めた。男はカウンターの少し離れた席に座り、疲れた目でグラスを見つめている。

 里芋が運ばれると、男は一口食べて小さく息を吐いた。

「この煮汁……優しい。懐かしい味がします」

 親父は軽く微笑むだけで、深くは聞かない。俺も横で焼き鳥を頬張りながら、男の様子をチラチラ見ていた。

 男は高橋と名乗った。大阪から東京支社への異動で、家族はまだ大阪に残っているらしい。ぽつぽつと話す声は低く、どこか疲れていた。

 俺は自分のサバを食べ終わりながら、親父の里芋の味を噛みしめる。

 表面の照りが美しく、噛むと中から甘い汁が溢れ出す。親父の煮物は、いつも「優しさ」を感じさせる。

 高橋は二杯目の熱燗を頼み、里芋の残りを丁寧に食べていた。

 閉店間際、彼が帰った後、カウンターには出汁と焼き魚の深い香りが静かに残っていた。

 俺は最後に親父に言った。

「今日の里芋、染み方が絶品だったぜ。また明日も来るよ」

 店を出ると、雨はまだ降っていた。

 高橋という男も、ここに通うようになるのかもしれない。

 俺と同じように、このカウンターの灯りに惹かれて。

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