第十六夜 中村啓太の視点 ~二度目のやまびこ~
二日目。
俺、中村啓太は、昨日の味が忘れられなくて、再び路地を歩いていた。
昨日は「まあ一回だけ」と自分に言い聞かせていたのに、仕事が終わると自然と足がここに向かっていた。
九時七分。
昨日と同じように扉を開けると、カウンターの灯りが柔らかく俺を迎えた。
「いらっしゃい、中村さん」
店主の佐藤さんが、すでに俺の顔を覚えていてくれた。
左端の島田さんが、ビールの中瓶を傾けながら小さく手を上げた。
「おう、来たか。新入り」
俺は昨日と同じ端っこの席に座り、コートを脱いだ。
なぜか肩の力が、昨日より少しだけ抜けやすい。
「今日は……おすすめを」
店主は頷き、静かに動き始めた。
最初に出てきたのは、鯛のあら煮。
黄金色の煮汁がたっぷり染み、身がほろほろと崩れそうなほど柔らかい。生姜の香りがふわりと立ち上る。
一口食べた瞬間、昨日の里芋と同じ「優しさ」が舌に広がった。
「……これ、すごいですね」
続いて出されたのは鶏皮の焼き鳥と大根の煮物。
鶏皮はパリパリで脂がジュワッと溢れ、大根は出汁を吸いきってトロトロ。
熱燗を一口飲むと、全部が綺麗に繋がって、胃の奥まで温かくなる。
島田さんが横から声をかけてきた。
「中村くん、昨日より顔が少し明るいぞ。仕事、どうだ?」
俺は熱燗を傾けながら、ぽつぽつと話した。
新しい職場での人間関係の難しさ、コードのバグに四苦八苦していること、夜中に一人でコンビニ弁当を食べていること。
島田さんはただ「ふむふむ」と聞き、店主は時々相槌を打つだけ。
それが、妙に心地よかった。
三杯目の熱燗の頃、店主が新しく出してくれたのは——
イカの塩辛(二日目)と明太子チーズ焼きの小皿。
塩辛の肝の濃厚さと、チーズのまろやかな辛さが交互に来て、酒が進む。
美咲さん(昨日話に聞いたOLさん)が来て、俺に軽く会釈してくれたのも、少し嬉しかった。
十時四十分。
俺は会計を済ませながら、店主に言った。
「店長……ここ、毎日来てもいいですか?」
店主は静かに微笑んだ。
「いつでも待ってるよ。中村さん」
島田さんが笑いながら追加した。
「カウンターの右端、俺の隣は空いてるぞ。毎日埋めてくれ」
路地に出ると、冷たい風が頰を刺した。
でも昨日より、胸の奥が確実に温かい。
俺はポケットに手を突っ込んで、独り言を呟いた。
「……ここに来ると、俺は『一人』じゃなくなるみたいだ」
明日も、絶対に来よう。
そう決めて、俺は夜の路地を歩き始めた。
――続く




