第九十五話 ふりむいたら、大行進
文句を言いに行くだけだった。
ただ、それだけだったはずなのに――。
振り返れば、鍬や鎌を手にした村人たち。
さらに隣村、そのまた隣村まで加わり、気づけば数千人の大行進に。
王妃、ついに悪徳教会へ進軍する。
なお本人の目的は、司祭にゲロの恨みをぶつけることです。
……ん?
なんか、後ろ、うるさくない?
抗議のリストを、脳内で組み立てながら、歩いていたわたしは。ふと。背後の気配に、違和感を、覚えた。
ざっ、ざっ、ざっ、と。
大勢の足音が、地面を踏みしめる音。ずっしりと、重たい。
しかも。その音が、一歩ごとに。増えていく。
……いや、まさか。
いやいや、まさかね。
そう思いながら。わたしは、そろりと。後ろを、振り返った。
そして。
固まった。
* * *
村人が。いた。
さっき広場で囲まれた、あの何百人が。まるまる。
鍬を、鎌を、棒きれを、握りしめたまま。わたしの、すぐ後ろを。
ぞろぞろと。
ついて、きていた。
「……えっ」
思わず、足が止まる。すると。村人たちも、いっせいに。足を、止めた。
何百対もの目が。まっすぐ、わたしを見つめている。
その目は、もう。憎しみじゃ、なかった。
期待だ。
いや。期待なんて、生やさしいものじゃない。
もっと、熱くて、重くて、逃げ場のない。信頼、みたいな、何か。
「王妃様が、先頭に立ってくださる」
だれかが、感極まった声で、言った。
「おれたちの、味方に……!」
「あの教会に、王妃様が、じきじきに、鉄槌を!」
ちがう。
ちがうちがうちがう。
わたしは、ただ。司祭に文句を言いにいくだけで。ゲロの恨みと、名前を勝手に使われた腹いせを、ぶつけにいくだけで。
あなたたちを率いた覚えなんて、これっぽっちも、なくて。
そう叫びたかったけど。叫べなかった。
だって。何百人もの、飢えて、疲れて。それでも希望に目をうるませた顔が。いっせいに、わたしを見ているのだ。
ここで「いや、ついてこないで」なんて言ったら。
この人たちの、最後の希望を。わたしがこの手で、ぷちんと、へし折ることになる。
そんな勇気。あるわけない。
わたしは。期待を裏切るのが。この世で一番、こわいのだ。
「……そ、そうよ! みんな、ついてらっしゃい!」
気づいたら。そう、口走っていた。
引くに引けなくて。勢いで、言ってしまった。
うおおおお、と。
地鳴りみたいな、歓声が、上がった。
……終わった。
もう、引き返せない。
* * *
そこからは、悪夢だった。
わたしが教会へ向かって歩くと。村人が、ついてくる。
その行進が、隣の村を通ると。家から人が飛び出してきて。列に、加わる。
「何事だ」
「王妃様が、悪徳教会を、討ちにいくんだと!」
「おれも行くぞ! うちも、あの教会に、搾り取られたんだ!」
ずるずる、ずるずる、と。
雪だるまが坂を転がるみたいに。行進は、ふくれあがっていった。
百が、二百に。二百が、五百に。五百が――もう、数えるのを、やめた。
気づけば。後ろを振り返っても。人、人、人。
地平線まで、鍬を持った人の波が、うねっている。
数千人。
たぶん、そのくらい、いる。
わたしは。その、数千人の。先頭を。
がくがく震える足で、歩いていた。
* * *
「……ヴァロワ」
「はい」
「これ、どういうこと。なんで、こんなことに」
「王妃が、悪徳教会を成敗するために。民を率いて、進軍している。傍から見れば、そういう構図です」
「わたし、そんなつもり。一ミリも、ないんだけど」
「存じております。ですが、そうは。見えません」
ヴァロワは、あくまで、冷静だった。
でも。その横顔は、いつになく。張りつめている。
こいつでも。この状況は、想定外、らしい。
「……ねえ。今から、なかったことに。できない?」
「無理でしょうな。この熱量を、今さら止めれば。暴発します。矛先が、どこへ向くか。わかりません」
つまり。
わたしが、ここで「やっぱやめた」と言った瞬間。この数千人の怒りは、行き場をなくして。暴徒に、変わる。
そうなれば。村が、いくつ焼けるか。わからない。
進むしか、ない。
わたしが。この、とんでもない群衆の。先頭を歩いて。あの教会まで、率いて、いくしか。
……なんで。
なんで、こうなるの。
わたしは、ただ。司祭に、ゲロの文句を、言いたかっただけなのに。
胃が、きりきりする。恐怖で、足がすくむ。今すぐ、この場に、へたり込みたい。
でも。後ろには、数千人の希望が、ついてくる。
だから。わたしは、歩いた。
がに股になりそうな足を、必死にまっすぐ動かして。王妃らしく、堂々と見えるように、あごを上げて。
内心では、半泣きで。
「おうちかえりたい」と。繰り返しながら。
* * *
そして。
うねる人の波を、背後に従えて。
わたしは、ついに。あの、ぴかぴかの教会の。門前に、たどり着いた。
見上げるほどの、立派な門。その向こうに、金ぴかの十字架と、色ガラスの窓。
村の貧しさを、根こそぎ吸い上げて肥え太った。悪徳の、総本山。
門の前には。いつのまにか。司祭が、青ざめた顔で、立っていた。
数千人の群衆と。その先頭に立つ王妃を見て。腰が、抜けかけている。
わたしは、その顔を見て。
……あ。
なんか。ちょっとだけ、すっとした。
ゲロを吐かされた恨みが。ほんの少し、晴れた気が、した。
さあ。
文句の、時間である。




