第九十一話 王妃様の、病院を支えるため
「王妃様の病院を支えるため」
聞こえは立派ですが、中身はただの搾取。
しかも、その看板に使われているのは王妃本人の名前でした。
「教会側の協力は、どうでしたか」
ヴァロワが、尋ねた。
「表向きは、とても、協力的です。人員も出してくれましたし。建物の修繕費も、一部負担すると」
「表向きは?」
ヴァロワの声が、少しだけ。冷えた。
アンリは、言いづらそうに。視線を、落とした。
「……村人たちが、少し、妙なことを、言っていまして」
「妙なこと?」
「はい。出張所ができること自体は、すごく喜んでいるんです。ですが――そのために。新しい寄進が、必要になるかもしれない、と。教会側から、ほのめかされているようで」
理事長室の空気が。ぴたりと、止まった。
「新しい、寄進?」
わたしは、思わず、聞き返した。
「はい。まだ正式に、取り立てが始まったわけでは、ないようですが……。『王妃様の病院を支えるため』という名目で。村人にも、負担を求める話が、出ているようです」
……え?
一瞬。言葉の意味が、頭に、入ってこなかった。
王妃様の、病院を、支えるため。
それは、つまり。うちの病院のため。わたしの、ため、という意味だ。
「ちょっと待って。うち、そんなこと、一言も、頼んでないわよね?」
「少なくとも。本部から、そのような指示は、出しておりません」
ヴァロワが、即答した。
そうよね。頼んでない。
頼んでないのに。わたしの名前だけが、勝手に。取り立ての旗印に、されている。
……いや。待って。
「皆で、支える」。「村人にも、無理のない範囲で、寄進を」。
思い出した。
あの契約の席で。司祭は、確かに。そう、言っていた。
そして、わたしは。「村人と教会のいざこざは、村人と教会の問題でしょ」って。めんどくさそうに、聞き流したのだ。
シャルティエが、病院の帳簿さえ守れば。それでいいと、思って。
あのとき。自分の手で、ぽいっと、投げ捨てた。小さな、引っかかり。
それが今。まるまると育って。わたしの首めがけて、まっすぐ、飛んでくる。
……いやいやいや。落ち着け。
悪いのは。勝手に人の名前を使って商売する、あの司祭、でしょ。
うん。わたしは、悪くない。わたしは、悪くない。
ぜんぶ。あいつが、悪い。
そう自分に、言い聞かせた。次の瞬間。
頭の中で。最悪の絵が、完成した。
* * *
あの痩せた村の。生気のない大人たちと。栄養の足りない子供たちが。
出張所ができると聞いて。ぱっと、顔を輝かせて。
それから。「王妃様の病院のために、もっと寄進しろ」と、言われて。
期待が、まるごと。恨みに、裏返る。
その恨みの先に、いるのは――教会じゃない。
看板になってる、わたしだ。
ちょっと待ってよ。冗談じゃない。
わたしは、ギロチンを回避したくて。支持率を稼ぎたくて。その一心で、あの面倒な出張所計画に乗って。ゲロを吐いて。お尻を痛めて。魂を半分、道端に置いてきて。
それでやっとこさ、契約をまとめてきたのに。
その契約が、よりにもよって。「貧しい村から、王妃が金をむしり取る」っていう。ギロチン直通の地雷だったなんて。
そんなの、ある!?
ふつふつと。腹の底から、怒りが、湧いてきた。
しかも、そこに。あの長時間の馬車地獄の恨みまで、上乗せされて。火に油、である。
ぜったい。許さない。
あの、愛想笑いの、司祭。
わたしの、ゲロを返せ。
* * *
「王妃様」
シャルティエの声が、いつになく、硬かった。
「もし事実なら。慈善の名を借りた、ただの搾取です。許されることでは、ありません」
ロジエも、難しい顔で、うなずく。
「栄養の足りない子供がいる村で。これ以上、負担を増やすのは、危険ですな。病人が、増えるだけです」
アンリは。自分がとんでもない火種を、持ち帰ってしまった、という顔を、していた。
「アンリ」
「は、はい!」
「あなたは、悪くないわよ。よく報告してくれた。手柄よ、手柄」
「……ありがとう、ございます」
わたしは、小さく息を吐いて。ふと、部屋を、見回した。
ヴァロワ。シャルティエ。ロジエ。アンリ。
……よし。いない。
「あのクソリプ記者、今日は、来てないわね」
「ドブレ殿のことですか」
「そうよ。こんな話を嗅ぎつけられたら。あいつ、どんな見出しを立てるか、分かったもんじゃないわ。今日に限って来てないのは、不幸中の幸い、ね」
シャルティエが。なんとも言えない顔を、した。
* * *
ヴァロワが、眼鏡を押し上げる。
「まずは、事実確認です。教会側の説明、現地での寄進の名目、村人への告知内容。一つずつ、裏を取ります」
「そういうのは、任せたわ」
「最初から、そのつもりです」
言い方。でも、本当に、助かる。
こういうとき。有能な部下が、いるというのは、ありがたい。
わたしが一人だったら、たぶん。今ごろ、その辺の壺を、割っている。
わたしは。机の上で、ぎゅっと、手を握った。
まだ。噂の段階だ。決まったわけじゃ、ない。
だから。怒るのは、まだ早い。まずは、事実確認。冷静に。慎重に。
わたしはもう。いっぱしの王妃で。理事長で。立派な、大人なのだ。
噂を小耳に挟んだくらいで、机をひっくり返して。あの司祭のところへ、鍬を担いで殴り込む。そんな短気な女子高生では、断じて、ない。
……まあ。
本当だったら。
机ごとひっくり返して。あのぴかぴかのステンドグラス。一枚残らず、叩き割ってやるけどね。
もし本当に。あの教会が。うちの病院の名前を盾にして。村人から、金をむしろうとしているのなら。
そのときは。
「悪の栄えたためしなし」というやつを。たっぷり時間をかけて、きっちり。教えてやろうじゃないの。
……ただ。一つだけ。
どうしても、気が重い問題が、ある。
その「悪」を、退治しに行くには。
また。あのゲロ馬車に。乗らなきゃいけない、ということだ。
正義の鉄槌より。馬車酔いのほうが、こわい。
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