第九十話 アンリ、単身赴任
二号出張所、いよいよ本格始動。
新妻と赤ん坊を残して、アンリは単身赴任へ。
そして現地から、あまり聞きたくない報告を持ち帰ります。
「うひぃぃぃ……やっと、帰ってこられた……」
あのあと。わたしたちは、日帰りで、王都へ戻った。
当然、帰りも。あの馬車、である。
揺れて。跳ねて。内臓が浮いて。胃が反乱を起こして。
結局、わたしは。帰り道でも何度か。道端の草むらと、友情を深めることに、なった。
行きで、親交。帰りで、友情。
草むらとだけは、急速に。仲良くなっていく旅、だった。
ヒロインのはずが。これじゃ、ただの、ゲロイン、である。
もう二度と。地方視察なんて、行かない。
わたしは、揺れる馬車の中で。胃を押さえながら。固く、固く。心に、誓った。
……まあ。この誓いが、わりとすぐ、破られることになるのだけれど。
それは、もう少し。あとの、話。
* * *
本部では。いよいよ本格的な地方進出に向けて。立ち上げ班と、常駐班の編成が、進んでいた。
第一出張所は、王族直轄地。いわば、試験運用だった。
けれど、今回の教会領は。土地も建物も、教会のもの。現地の人員も、一部は教会持ち。こちらは、医師と看護婦と薬品を送り込んで。帳簿で管理する。
つまり。初めての、本番である。
「二号店ね」
「出張所です」
ヴァロワが、間髪入れずに、訂正してきた。
うるさい。こちとら、もう。気分は、全国チェーンの、本部社長なのだ。
看板に「二号店」と、書きたいくらい、である。
* * *
立ち上げ班には。ロジエの孫娘、クレールの夫。アンリも、入っていた。
厚生局から声のかかった、若い、医者の卵。まだ頼りないところは、あるけれど。妙に真面目で。目の下にいつも、疲労を住まわせているような、青年だ。
しかも、今回は。
単身赴任だと、いう。
クレールには、小さな子供がいて。本人も、本院で、働いている。
つまり、アンリは。新妻と赤ん坊を、都に残して。たった一人。あのゲロ地獄の道の果ての、辺鄙な村へ。送り込まれるわけ、である。
……合掌。
「あの、王妃様。なぜ、わたしを見ながら、手を合わせているのですか」
「気にしないで。あなたの、ご無事を、祈ってるだけよ」
「祈られる理由に、まったく、心当たりが、ないのですが」
大丈夫。心当たりは。行きの馬車で、わかるから。
まあ、これは。クレール夫婦が、決めたことだ。がんばってもらうしか、ない。
わたしだって、がんばっている。
主に。机に積まれた請求書と。夢にまで出てくる借金に。追われながら。
* * *
そうこうするうち。立ち上げ班は、例の村へ派遣され。しばらくして。入れ替わりに、常駐班を残して。王都へ、戻ってきた。
準備は、順調に進んだらしい。
……と。そのときは、思っていた。
その日の午後。戻ったばかりのアンリが、挨拶に来たので。わたしは、さっそく。最高幹部会議を、招集した。
出席は。わたし、ヴァロワ、シャルティエ、ロジエ。報告役の、アンリ。
最高幹部会議とは、名ばかりの。実態は、ただの、病院関係者の、寄り合いである。
でも、気分は、大事だ。
「それで、アンリ。現地は、どうだったの?」
アンリは、少し緊張した様子で。背筋を、伸ばした。
「はい。出張所の開設自体は、予定より、順調でした。教会側の建物は古いですが。診療室、薬品保管室、待合に、分けられます。井戸も近く、水も、問題ありません」
「へぇ。そこは、ちゃんとしてるのね」
換気だの、動線だの。難しい単語も、交じっていたけれど。
要するに、「建物は、使える」ということらしい。
そこだけ受け取って、あとは、聞き流す。
これでも。報告を聞く技術には、自信がある。なにせ、王宮で何年も。義叔母様の隣で、ニコニコ頷くだけの修行を、積んできた身だ。
順調、順調。これでまた一つ。わたしの支持率が積み上がって。ギロチンが、一歩、遠のく。
皮算用が、捗る。
「患者数の見込みは?」
ロジエが、尋ねた。
「多いと、思います。正式開設前なのに。初日から、何人も、相談に来ました。怪我、熱、腹痛、咳。それから――」
アンリが。少しだけ、声を落とした。
「栄養不足と思われる。子供も」
栄養不足。
その一言で。わたしの楽しい皮算用が、ぴたりと、止まった。
あの村には、畑があった。川も、あった。作物も、それなりに、実っていた。
土はちゃんと、食べ物を育てている。
なのに。子供が、栄養不足。
……作物は実っているのに。子供が、痩せている。
それは、つまり。実った分を、誰かが。横から、持っていってる、ということだ。
ぴかぴかの白壁の。心当たりが、一つだけ、ある。
……そういえば。
村に入ったとき。痩せた子供たちが。すがるような目で、こっちを見ていた。
あのときは、期待がこわくて。慌てて、目を逸らしたけれど。
あの目は。こういうこと、だったのか。
畑は、実っているのに。腹をすかせて。それでも。誰かがなんとかしてくれるのを、待っている。
その「誰か」に。勝手に。わたしが、選ばれていた。
なんだか。胃の奥が、また。しくしく、してきた。
……でも、まあ。
搾取しているのは、教会で。わたしじゃない。
わたしは、ただ。病院を、建てにきただけ。
他人様の村の、搾取の後始末まで。面倒、みきれない。
うん。そこは。線を引いておこう。
深入りすると。ろくなことに、ならない気がする。
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