第七十一話 あいつの、置き土産
白磁の玉座だけではありませんでした。
テレー前長官が遺していたのは、換気、採光、排水、患者動線まで考えられた、新しい病院そのもの。
それは妙子の名を掲げた、王室の新たな象徴となるはずの計画でした。
ヴァロワは、鞄から、一冊の分厚い計画書を、取り出して。机の上に、どん、と置いた。
表紙には、こう、書かれている。
『マリー・アントワネット記念病院設立を軸とする、新国家戦略計画』
……え。
病院を、軸?
新、国家?
何それ。怖い。タイトルだけで、もう、胃が痛い。
「新病棟には。換気、採光、排水、患者動線、薬品保管、清潔な寝具管理など。現時点で取り入れられる限りの、新しい設計思想が、組み込まれています」
「え……トイレ、だけじゃ、ないの?」
「はい。テレー前長官は。この病院を、単なる慈善施設では、なく」
ヴァロワは、淡々と、続けた。
「王妃様を、中心とした。新しい、王室の象徴に、するつもりだったのでしょう」
「新しい、王室……?」
「民に、近く。衛生を、重んじ。慈善を、制度として、支える、王室です」
ヴァロワの声は、いつもの、冷静なものだった。けれど、その内容は。わたしの想像を、はるかに、超えていた。
「王妃様の名を冠した病院が。汚く、臭く、死を待つだけの、場所であっては、ならない。テレー前長官は――そう、考えたのだと、思われます」
わたしは。
何も、言えなかった。
あの、胡散臭い、営業スマイル男が?
わたしを、いいように利用して。さんざん、振り回した、あの男が?
頭の中で、テレーの顔が、ちらつく。あの、目だけ笑っていない、胡散臭い笑顔が。
「それに。工事の進み具合を見る限り――なんとか、王妃様の、お誕生日までには。開業に、間に合いそうです」
「誕生日……?」
その言葉に。
ふと、わたしの記憶の奥で。何かが、かちりと、噛み合った。
——以前、テレーと、最後に会ったときの、こと。
あいつは、確か。こう、言った。
『次の誕生日は、我々のほうから。お心ばかりの、贈り物など、用意しておりますので。楽しみに、お待ちください』
あのときの、胡散臭い、営業スマイル。
てっきり、また何か、ろくでもないことを企んでいるのだと、思っていた。気持ち悪いから、適当に流して、追い返した。
でも。
「……まさか」
「はい」
ヴァロワは、静かに、頷いた。
「テレー前長官は。この新病棟を、王妃様への、誕生日祝いとして。開業させる、つもりだったようです」
「これが……?」
わたしは。まだ工事中の、木材だらけの廊下と。完成したばかりの、清潔な理事長室を。そして、あの、白磁の玉座を。ぐるりと、見回した。
「これが……あいつの言ってた。贈り物……?」
宝石でも、ない。
ドレスでも、ない。
わたしの名前を、掲げた。新しい、病院。
そして。二百五十年ぶりに、わたしの尊厳を取り戻してくれる、水で流れる、奇跡の厠。
「……なんなのよ、あいつ」
胸の奥が、ぐちゃぐちゃに、なっていた。
怒れば、いいのか。呆れれば、いいのか。それとも――感謝、すれば、いいのか。
もう、自分でも、わからなかった。
弾除けにされて。さんざん、恨んで。何度、藁人形に五寸釘を打ち込んでやろうかと、思ったか、わからない、あの男が。
最後に遺していったのが。
わたしの尊厳と。患者たちの、生きる場所、だった、なんて。
「……ほんと。最後まで、胡散臭いやつ」
わたしは、そう、つぶやくのが。精一杯だった。
お読みいただきありがとうございました。
本作は毎日19時40分ごろ更新予定です。
続きが気になる方は、ブックマークやページ下部の星評価で応援していただけると、執筆の励みになります。




