第六十九話 白磁の、玉座
新しい理事長室の奥にあった、小さな扉。
何気なく開けたその先で、妙子はこの世界に来て以来、ずっと求め続けていたものと再会します。
それは彼女にとって、ただの設備ではなく、人類の尊厳そのものでした。
「奥にも、部屋があるの?」
何気なく、その扉を、開けた。
そして。
わたしは、固まった。
そこにあったのは。
白い陶器でできた、見覚えのありすぎる形の――便器だった。
洋式、便器。
この世界に来て以来。夢にまで見た、文明の、象徴。
黄金郷ならぬ、白磁の、玉座。
「……っ」
声が、出なかった。
いや。正確には、出た。
「じぇあsがkじゅふぁ、じえふじこぉぉぉ……!」
人間、本当に感動すると、言語を失うらしい。日本語でも、フランス語でも、ない。魂の、叫びである。
「王妃様!?」
わたしの奇声に、驚いたシャルティエが、飛んできた。
そして、扉の奥を覗き込み、首をかしげる。
「不思議な、形ですが……これは、厠で、よろしいのでしょうか?」
わたしは、思わず。シャルティエの肩を、がしっと掴んで、がっくんがっくん、揺さぶった。
「どう見たって、トイレでしょうがぁぁ! わたし、この世界に来て初めて、文明の光を見たわよ!」
「ぶ、文明……?」
「わからないの!? これは、尊厳よ! にんg……人類の、尊厳なのよぉぉ!」
そのまま、わたしは。よろよろと、便器へと、近づいていった。
美しい。
白い。
そして――穴がある。
ああ。穴があるのに。これは、絶望じゃない。希望だ。あの、公開おまるの地獄の日々に、ついに、終止符が打たれる、希望の、穴だ。
「あなた……こんなところに、いたのね……」
「王妃様。なぜ、便器に、語りかけているのですか」
「離しなさい、シャルティエ。この子は、この世界で初めて、わたしの尊厳を、理解してくれた存在なのよ」
「それは、抱きしめるものでは、ありません! ましてや――く、口づけしようと、なさらないでください!」
「水よ流れよ、恥も流せよ、さらば公開おまるの、地獄ぅ――」
「歌わないでください! 後世に、絶対に残してはいけない歌です!」
わたしが、即興で。『流水厠賛歌』を、高らかに歌い上げようとした、ちょうどそのとき。
ヴァロワが、ごほん、と。大きく、咳払いを、した。
「……喜んでいただけたようで。何よりです」
その声が、あまりにも、平坦だったので。わたしは、ようやく、我に返った。
そうだ。わたしは、王妃だった。
便器に頬ずりして賛歌を歌う王妃というのは。さすがに、後世の歴史書に、書かれたくない。
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