表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
67/91

第六十七話 手のひらで、掴めるもの

慈善病院を憎み、王妃を憎んできたドブレ。


けれど、目の前の病院が少しずつ人を救う場所へ変わっていくほど、その憎しみは行き場を失っていきます。


墓標の前で崩れ落ちた彼に、シャルティエは王妃がこれまで救ってきたものを静かに語ります。


挿絵(By みてみん)

「病院は、拡張され。壊れたところは、直され。薬も、少しは、回るようになった」


ドブレの声が、震えた。


「あの女は、自分で、現場に来てな。手を振って。患者の手なんか、握ってやがる。掃除まで、しやがる」


彼の顔が、歪んだ。


「そしたら、どうだ」


ドブレは、墓石の前に立ち尽くしたまま、こぶしを握りしめた。


「今の病院は――みんな、笑ってやがる。死を待つだけだった場所が。生きる希望みたいに、なってやがる」


その声は、もう。


怒りなのか、泣き声なのか、わからなかった。


「なんでだ」


ドブレは、ついに、膝を、折った。


崩れ落ちるように、墓石の前に、うずくまる。


「なんで、あいつらは、生きる希望を持てて。俺の妻と、息子は……この、冷たい墓の下で、眠ってるんだよ……!」


慟哭だった。


三年分の、どこにも、ぶつけようのなかった慟哭が。乾いた墓地に、響いた。


シャルティエは、何も、言えなかった。


「王妃様なら救えた」などとは、言えない。


「もっと早ければ」などとも、言えない。


そんな言葉は、この墓の前では、何の慰めにもならない。むしろ、この男の傷口に、塩を塗り込むだけだ。


しばらく、二人の間に、沈黙が、落ちた。


風だけが、二人の間を、通り過ぎていく。


やがて。


シャルティエが、静かに、口を開いた。


「王妃様は、以前。こう、仰いました」


ドブレは、顔を上げなかった。うずくまったまま、肩で、息をしている。


「自分の手のひらで、掴める偽善しか、しない――と」


「……それが、どうした」


「確かに、王妃様は。あなたの奥様と、息子さんを、救えませんでした」


ドブレの肩が、ぴくりと、震えた。


「ですが――代わりに。あなた自身は、二度、救われています」


「……なんだと」


ドブレが、ゆっくりと、顔を上げた。


涙で、ぐしゃぐしゃになった顔で。信じられない、という目で、シャルティエを見た。


「俺が……あの女に、救われた、だと?」


「ええ」


シャルティエは、まっすぐに、ドブレを見て、頷いた。


「一度目は――あなたが、王妃様に暴言を吐いた、あのときです」


ドブレの記憶が、巻き戻る。


初めて、あの理事長室で。「偽善か、自己満か」と、王妃に噛みついた、あの日。


「あのとき、衛兵は。あなたを、斬ろうとしていました。サーベルの柄に、手をかけていた。……王妃様が、止めなければ。あなたは、あの場で、死んでいた」


「……」


「二度目は。あなたが、現国王陛下に――当時はまだ、王太子殿下でしたが。暴言を吐いた、あのときです」


ドブレは、何も、言わなかった。


「近衛が、剣に、手をかけました。あのときも、王妃様は――止めた」


シャルティエは、あのときの言葉を思い出すように、少しだけ、目を伏せた。


「ここは、人の命を、救うところ。奪うところじゃない。やり合いたいなら、外でやれ。……そう、仰って」


ドブレは、何も、言えなかった。


ただ、唇を、噛んでいた。


「王妃様は、自分の手で掴めないものは、救えないと、仰いました。けれど――掴めるものなら。あなたのような、ドブネズミでも、救う」


「……ずいぶんな、言い方だな」


「あなたが、そう名乗るに、相応しい振る舞いをしているからです」


「はっ」


ドブレは、笑おうとした。


だが、笑えなかった。


シャルティエは、続けた。


「あなたは、知らないでしょう。……あなたが初めて、王妃様と話したあと。王妃様は、両手を組んで、天を、仰いでおられた」


「……何を、して」


「わかりません。ですが、私は――こう、思いました。王妃様はきっと、自分の無力を。悔やんで、おられたのだと」


もちろん、それは、シャルティエの、勝手な解釈だった。


実際の妙子は、なろう系主人公みたいな決め台詞が、見事に決まった余韻に、うっとりと浸り。「次は、どの台詞を使おうかしら」などと、考えていただけである。


けれど。


今、この場で。それを知る者は、誰も、いない。


「手のひらで、掴めるものしか、救えない。……あれは、王妃様の、強がりです」


シャルティエの声は、静かだった。


「その手から、こぼれ落ちていく命が、あると。知っているからこその――強がり、です」


ドブレは、墓石を見つめたまま、歯を、食いしばった。


「王妃様は、外国から、嫁いでこられた方です。この国に、味方など、ほとんどいない。それでも、あの方は――自分にできることを、しようとしておられる」


「……」


「だから、私は。少しでも、王妃様の負担を、軽くしたい。そのためなら、何でもする覚悟です」


シャルティエは、そこで、言葉を切った。


そして、もう一度、ドブレを見た。


「今後、あなたが、どうするか。それは、私には、わかりません」


「……」


「ですが――あなたが、一番、わかっているはずです」


「……うるさい」


ドブレの声は、震えていた。


「お前なんかに、言われる、筋合いは……ない」


「ええ」


「くそ……」


ドブレは、墓石に、額を、押しつけるようにして。


ふたたび、うずくまった。


「どうして、だよ……」


絞り出すような、声だった。


「どうして、あいつは。他の連中を、救って……俺の妻と、息子は、助けて、くれなかったんだ……」


答えなど。


どこにも、なかった。


「どうして……どうして……」


ドブレは、叫び、泣き続けた。


子どものように。声を、上げて。


三年間、誰にも見せられなかった涙を。誰もいない墓地で、ただ、流し続けた。


シャルティエは、何も言わず。


ただ、その背中を、いつまでも、見つめていた。


傾いた陽が、二人を。そして、小さな墓石を。静かに、赤く、染めていた。

お読みいただきありがとうございました。


本作は毎日19時40分ごろ更新予定です。

続きが気になる方は、ブックマークやページ下部の星評価で応援していただけると、執筆の励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ