第六十六話 墓標の前の、男
いつも理事長室に現れては、妙子に嫌味を投げつけていたフリー記者ドブレ。
その日、彼は王都の外れにある古びた墓地に、一人で立っていました。
彼が慈善病院を憎む理由は、妙子たちの知らない過去にありました。
その日の夕方。
王都の外れにある、古びた墓地に、ドブレは一人で立っていた。
傾きかけた陽が、ふぞろいに並んだ墓石を、赤く染めている。風が吹くたび、乾いた雑草が、かさかさと、頼りない音を立てた。
ドブレは、ひとつの、小さな墓石の前で。
ただ、黙って、立ち尽くしていた。
「……やはり、ここでしたか」
背後から、声がした。
ドブレは、ぎょっとして、振り返る。
そこに立っていたのは――シャルティエだった。
「……なんで、お前が、ここにいる」
「悪いが、あなたのことは、調べさせてもらいました」
「はっ」
ドブレは、鼻で笑った。
「王妃様の忠犬は、ずいぶんと、趣味が悪いな」
「王妃様が病院改革に乗り出す、一年前。……今から、三年前ですね」
シャルティエは、その嫌味を、まるで聞かなかったかのように、静かに続けた。
「この病院で、あなたは――奥様と、お子様を、亡くされた」
ドブレの顔から。
あの、へらへらした、薄笑いが、消えた。
「……へっ。全部、お見通しか」
「王妃様の近くをうろつく者は、誰であれ、調べます。側近として、当然のことです」
「そうかよ」
ドブレは、墓石へ、視線を戻した。
しばらく、沈黙が落ちた。
風が、また、乾いた草を揺らす。遠くで、鳥が、ひと声だけ鳴いた。
やがて。
「俺はな」
ぽつりと、ドブレが、口を開いた。
「昔は、大手の新聞社に、いたんだ」
シャルティエは、何も言わず、黙って聞いていた。
「だが、会社の方針が、どうしても気に入らなくてな。国や貴族の顔色をうかがって、都合の悪い記事は、全部、没だ。常に、誰かに忖度しながら書く記事に――何の価値も、何の魅力も、感じなかった」
ドブレは、低く、笑った。自嘲するような、笑い方だった。
「それで、上司と喧嘩して、辞めた。フリーの記者になった。自分なら、もっと自由に書けると思ったんだよ。……馬鹿だろ」
「……」
「世間は、俺が思ってたほど、甘くなかった。特ダネを拾えば、金にはなる。だが、特ダネなんて、そうそう、転がってるわけじゃない。生活は、どんどん、苦しくなった」
ドブレの声が、少しだけ、掠れた。
「それでも、妻は、文句ひとつ、言わなかった。ずいぶん、年下でな。こんな、うだつの上がらない男に、よく、ついてきてくれたもんだ。内職で、家を支えてくれてな。貧しかったが――幸せ、だったよ」
そこで、ドブレは、いったん、言葉を切った。
墓石を見つめる、その目が。ほんの少しだけ、やわらいだ。
「息子も、三歳になってな。休みの日には、よく、公園に連れて行った。走り回って、転んで、泣いて。それでも、また、けらけら笑って……あいつ、笑うと、妻にそっくりでなぁ」
やわらいだ目が。
ふいに、暗く、沈んだ。
「……あの頃が。俺の人生で、一番、幸せだった」
シャルティエは、何も言えなかった。
ただ、その横顔を、見つめていた。
「三年前だ」
ドブレは、続けた。声から、もう、温度が消えていた。
「流行り病が、出た。妻と、息子が、ほとんど同時に、倒れた。熱が、下がらなくてな。息も、苦しそうで。俺は、二人を抱えて、あちこちの病院を、梯子した」
「……」
「だが、どこも、相手にしちゃくれない。金のない患者なんざ、診てる暇はねぇ、ってな。当然、わずかな貯えなんて、あっという間に、底をついた。そうして――最後に、行き着いたのが」
ドブレは、ゆっくりと、顔を上げた。
そして、遠くに見える、あの病院の方角を。睨むように、見つめた。
「あの、慈善病院だった」
シャルティエの肩が、わずかに、強張った。
「だが、そこでも――断られた」
ドブレの目が、暗く、底光りした。
「もう、受け入れはできない。空きはない。薬も、足りない。医者も、足りない。……そう、言われたよ」
「……」
「理屈では、わかってる」
ドブレは、絞り出すように、言った。
「あの頃のあの病院が、どういう場所だったか。俺だって、知ってる。廊下まで人が溢れて。床で、死にかけてる奴がいて。医者も、看護婦も、とっくに限界だった。俺の妻と息子だけを、特別に受け入れろなんて――できるわけが、なかった」
握りしめた拳が、震えていた。
「わかってるんだよ」
それでも。
それでも、と。ドブレは、墓石を、睨みつけた。
「その日、息子が、死んだ。妻も……あとを追うように、息を、引き取った」
ふっと。
風が、止んだ。
「俺は」
ドブレの声が、ひどく、低くなった。
「あの病院が、憎い」
「……」
「憎くて、憎くて、仕方がない。病院が悪いわけじゃ、ないことくらい、わかってる。わかってるんだ。だが――そう思わないと、俺はもう、壊れちまう」
一度、彼は、自分を嘲るように、笑った。
「いや。……もう、とっくに壊れてるから。そう思ってるのかも、しれないな」
シャルティエは、何も言えなかった。
慰めの言葉も。励ましの言葉も。この男の前では、何ひとつ、意味を持たない気がした。
「そんなときに、現れたのが」
ドブレは、吐き捨てるように、言った。
「あの、王妃だ」
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