第三十六話 鍵オタクが、少し頼もしく見えた
王太子ルイの鍵講座を、笑顔と相槌でなんとか乗り切る妙子。
甘い会話とは程遠い時間でしたが、楽しそうに語るルイの姿に、彼女は少しだけ彼のことを知った気がします。
そして妙子は、次の一手として慈善病院への視察を提案することにしました。
ただ、ひとつ確かなのは――義叔母様の横で、興味のない政治談議を延々と聞きながら笑顔で頷き続ける、あの公務で培った「笑顔スルー技術」が、こんなところで役に立つとは思わなかった、ということだ。
「へぇ」「まぁ」「すごいですね」
中身ゼロの相槌を、絶妙なタイミングで打ち続ける。我ながら、職人芸である。公務、無駄じゃなかった。
そうこうしているうちに、刻々と時間は過ぎ、そろそろお開きの時間となった。
これがただのお見合いなら、「またご縁がありましたら。それでは、また」とでも言って、にこやかに解散すればいい。
けれど、相手はわたしの旦那様である。逃げられない。
おまけに、お母様から「進展を報告せよ」との厳命が下っている。このまま「鍵の話を四時間聞きました」なんて報告した日には、確実に殺される。嘘をついて引き延ばす手もあるけれど、この王宮にはオーストリアの工作員がどこに潜んでいるかわからない。嘘がばれたら、それこそ百倍返しだ。
どうしよう。どうしよう。
何か、次に繋がる一手を。会話の糸が切れる前に、なんとか――。
「あ、あの、王太子様!」
気づいたら、わたしは口走っていた。
「もしよろしければ、今度は、わたくしの慈善病院に、視察にいらしていただけないかしら?」
苦し紛れの、なけなしの一手。
我ながら、強引すぎたかも。断られるかな。
そう思った、次の瞬間。
「いいよ」
ルイ君は、あっさり頷いた。
「一度、マリーがどんなことをしているのか、見てみたかったんだ」
……え。
意外な、即答だった。
しかも、「見てみたかった」って。
それって、わたしのこと、ちょっとは気にかけてくれてた、ってこと……?
いやいや。深読みは禁物。どうせ社交辞令だ。期待するだけ無駄。
そう自分に言い聞かせつつも。
なぜか、ほんの少しだけ、胸の奥が、あたたかくなった気がした。
視察の予定は、三日後に決まった。
普通、王太子の視察なんて、警備だの日程調整だので、そう簡単に決まるものじゃないと思う。なのに、即決。三日後。
このスピード感に、周囲がどれだけこの「夫婦の進展」に焦っているかが、痛いほど伝わってくる。オーストリアサイドからの圧力はもちろん、おそらくフランス側にも、同じくらい凄まじいプレッシャーがかかっているのだろう。
そういう意味では。
わたしとルイ君は、国家ぐるみの圧力に挟まれた、運命共同体なのかもしれない。
敵だらけのこの世界で、初めて見つけた、同じ船に乗っている人。
そう思うと、あの鍵オタクの横顔も、少しだけ、頼もしく見えてくるのだった。
――まぁ、視察当日も、たぶん鍵の話をされるんだろうけど。
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