第三十二話 優しさを、使い切られた
母からの手紙に胸を温められた妙子。
しかし、優しい言葉のあとに続いていた追伸は、彼女の血の気を一気に引かせるものでした。
マリーの体に刻まれた記憶は、母マリア・テレジアという存在の恐ろしさを、はっきりと覚えていたのです。
そう思いながら、手紙の続きに目を落とした。
追伸が、あった。
『追伸。
ところで。
なぜ、いまだに懐妊の知らせが来ないのかしら?』
…………。
ん?
空気が、変わった。
『あなた、わかっているでしょうね? これは、国と国との盟約なのですよ。
まったく。王太子妃殿との関係が一向に進展していない、という話まで、こちらの耳に届いてきていますよ。
母があなたの年の頃には、もう二人や三人は産んでいましたけれど?
まさか、本当に、王太子様とまったく進んでいない、なんてことはないわよね?
具体的に、どこまで進んでいるのか、手紙で詳しく知らせなさい。
あと。変な政治家に利用されたり、賭博にはまって散財したり、なんてことはしていないでしょうね? 王宮というのは、とても危険なところよ。ちょっとした油断が、命取りになるの。
くれぐれも、母を失望させないように。
母より』
――サーーーッ。
血の気が、引いていく。
手紙を持つ手が、かたかたと震え出した。いや、手だけじゃない。体の芯が、勝手にがたがたと震えている。
これは妙子の恐怖じゃない。
マリーの記憶が――マリーの体そのものが、本能的に、この手紙の差出人に怯えているのだ。
……ちょ、ちょっと待って。なんでわたしの体が、勝手に震えてるの。手紙一枚だよ? 紙だよ? なんでこんな、捕食者を前にした小動物みたいに――。
そこで、わたしは思い出した。
いや、思い出したくなかったけど、思い出してしまった。
わたしの母。
マリア・テレジア。
歴史にそれほど詳しくない人でも、名前くらいは聞いたことがあると思う。
簡単に言うと――超、怖い。
一言で表すなら、そう、ワンピースの四皇のビッグマム。あんな感じ。笑顔で一国を丸ごと潰せるタイプの、化け物みたいな大政治家である。
しかも、たちが悪いことに、本気でわたしを愛している。愛しているからこそ、容赦がない。
手紙の前半の「心配してる」「いじめられてない?」は、全部、本物だ。演技じゃない。心の底から、娘を案じている。
だからこそ――裏切られたと感じたときの圧が、尋常じゃない。
考えてみれば、お母様は、十四歳の娘にいきなり世継ぎを作れというのは酷だと、わざわざ二年も猶予をくれたのだ。母としての、精一杯の優しさで。
その二年が、過ぎた。
なのに、届く便りといえば、賭博がどうの、慈善病院がどうの、政治家に利用されてどうの、という不穏な噂ばかり。肝心の夫婦のことは、音沙汰なし。
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