第二話 二百五十年の時差と、おまる
第二話です。
目が覚めたら二百五十年前。
しかも自分はマリー・アントワネット。
普通なら歴史改変とか断頭台回避とか考えるところですが、まず妙子の前に立ちはだかったのは、もっと身近で、もっと切実で、そして非常に見られたくない問題でした。
ふと目を上げると、心配そうに覗き込んでくるメイドと目が合った。
ものすごく、不憫なものを見るような顔をされた。
「(あぁ、おかわいそうに……頭を打って、とうとう)」みたいな顔。
やめてその顔。慌てて話を変えることにした。
「と、ところで。今日って、何年の何月何日でしたっけ?」
「え、ええっと。今日は西暦千七百七十二年の、十二月二日です」
『……二百五十年前!?』
昨日が二〇二六年の十二月一日。出てきた数字が、七百年代。差し引き、約二百五十年。
つまりわたし、現代から二百五十年遡ったわけだ。タイムスリップ……いや、転生? どっちでもいいけど、とにかく遠い。LINEも届かないし、なんなら電気も通ってない。
「そ、そう。ありがとう。ってことは、そろそろクリスマスね」
動揺を悟られないよう、なんとか笑顔を作る。
「はい。今年は盛大なパーティーが催される予定です」
「どんなパーティーが開かれるの?」
「基本はいつもの舞踏会ですが、神聖ローマ帝国の要人が多数いらっしゃるそうです。王太子妃様のお加減が気になって、確認にいらっしゃるのではないでしょうか」
「そうなの。誰が来るのか楽しみね」
なんてことのない雑談を装いつつ、せっせと情報収集をしていると、朝食が運び込まれてきた。
一応、けが人ということでわざわざ部屋まで運んできてくれたらしい。出てきたのはパンとスープという、わりとありきたりなメニューだった。美味しいことは美味しいけど、王族の食事ってことでちょっぴり期待していたので、肩透かしではある。まあ、朝から脂っこい手の込んだものを出されても胃もたれするだけだし、こんなものか。
人間というのはげんきんなもので、混乱や不安に苛まれていても、お腹が膨れてくると不思議と落ち着いてくる。だいぶ気分が安定してきたところで、この際、雑談で集めた情報と、わたしの妙ちくりんな記憶と、周囲の状況を総合して、現状を整理してみることにした。
一、わたしは歴史上最悪の悪役妃、マリー・アントワネットに転生してしまったらしい。
二、わたしは羽生妙子だけど、なんとなくマリー・アントワネットの記憶もある。比率でいうと妙子とマリーが七対三くらい。いや、なんかそういう数字でもない、もっとふわっとした感じ。
三、結婚二年目、現在十六歳。奇遇にも、わたし妙子が生きていたときの年齢と一緒だ。
以上。
……なんの参考にもならないまとめが完成した。
そんなことを考えていると、人間、生きている以上どうしても避けられない生理現象というものがやってくる。あまり綺麗な話ではないが、食べたものは、出る。これは古今東西、貴族も庶民も変わらぬ真理である。
そこでメイドに「あの、トイレに行きたいんですけど」と声をかけてみた。
すると、なぜか変な顔をされた。
そして、しばらくして運ばれてきたのは――真ん中に穴の空いた椅子だった。
早い話が、おまるである。
いや、確かにけが人ではあるけど、いくらなんでも大げさだ。普通に歩けるのに。
「あ、わたし普通に歩けるので、トイレの場所に案内してくれるだけでいいんだけど」
すると、さらに怪訝な顔をされた。
「……ですから、トイレです。どうぞ」
そう言って、おまるを差し出してくる。
え。
考えてみれば、わたしは王太子妃。将来の王妃。国にとってはVIP中のVIPである。何かあってはいけないと厳重に管理されるのも、まあ、わからなくはない。そう自分を納得させつつ、改めておまるを見る。
椅子の中に壺が入っているだけの、しごく単純な構造。現代の簡易トイレと、まあ同じようなものだ。せいぜい違いといえば、臭いことくらいか。
などと冷静に観察しているうちに、本気でもよおしてきた。
そうこうしているうちに、本格的に限界が近づいてきた。あーだこーだ言っているともらしてしまいそうだ。ここはもう、腹をくくるしかない。
覚悟を決めて、おまるを使用した。
すっきりして、ほっと顔を上げる。
――全員が、こちらを見ていた。
メイド、ずらり。全員、わたしに注目。
つまりわたしは、たった今、大勢の面前でいたしてしまったらしい。
いやおかしいだろ。医療従事者だって、患者がいたしてるときくらい目をそらすだろ。何を平然と見守ってるんだこいつら。羞恥心はないのか。こっちはあるんだよ。猛烈にあるんだよ。
恥ずかしい。
ものすごく、恥ずかしい。
こんなのもう、お嫁にいけない……。
……いや、知らないうちに既婚者になっちゃってるんですけどね、わたし。
はぁ。
こんな羞恥プレイから一刻も早く脱するためにも、一日も早くこの体を治さねば。
そう固く心に誓う、転生初日のわたしであった。
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