第百十四話 ちょっとだけ、だからね
今回は、ルイ君とマリー、二人きりのお話です。
国のため。
王家のため。
未来のため。
そういう立派な理由はいろいろあるのですが。
結局のところ、この二人。
びっくりするくらい、うぶです。
たぶん今回、一番大変なのは国家財政ではありません。
義叔母様に。「二人で話し合いなさい」と。言われたはいいけれど。
二人きりになれる場所なんて。この宮殿には。意外と、ない。
どこへ行っても。侍女がいる。衛兵がいる。使用人がいる。
結局。中庭の奥にある。小さな東屋に。落ち着いた。
ここなら。人目につかない。
ここなら。二人きりに、なれる。
……なれて、しまった。
* * *
沈黙。
二人。並んで。石のベンチに。座っている。
ルイ君は。うつむいて。懐から取り出した小さな鍵を。いじっている。
カチ。カチ。カチ。
その音だけが。東屋に。響いている。
わたしは。
……何も。言えない。
何か言わなきゃ。何か言わなきゃ。
頭の中では。フル回転で。セリフを。組み立てている。
「ルイ君、あのね」
——ダメだ。恥ずかしい。
「ところでさ」
——軽すぎる。
「国のために」
——重すぎる。
「子供を」
——直球すぎて、死ぬ。
脳内リハーサルが。全滅、する。
一つも。口から出てこない。
前世で。恋バナの一つもしたことが、あれば。こういうとき、何か、気の利いたセリフが出てくるんだろうけど。
あいにく。前世のわたしは。踊ってみた動画を上げるだけの。彼氏なし歴イコール年齢の。ぼっち女子高生だったので。
参考に、なるものが。何一つ、ない。
つまり。
わたしは今。人類史上最大の。「どうしよう」の、ど真ん中に、いる。
* * *
カチ。カチ。カチ。
ルイ君の、鍵の音だけが。続いている。
あの鍵。いつも、いじってるやつだ。
……そういえば。前に聞いたことがある。ルイ君は。緊張すると、鍵をいじる癖がある、って。
つまり。ルイ君も。今。めちゃくちゃ、緊張している。
なんだ。お互い様、じゃない。
そう思ったら。ほんの少しだけ。肩の力が、抜けた。
よし。言おう。何でもいい。とにかく、口を開こう。このままじゃ。日が暮れる。
「あの——」
「あの——」
ハモった。
また。ハモった。
さっきの会議室と。まったく、同じ。
「……どうぞ」
「いや、そっちから」
「いや、そっちこそ」
「……」
「……」
沈黙。
カチ。カチ。カチ。
……ダメだ。これ。永遠に、終わらない。
* * *
「あの——」
「あの——」
二回目。
また、ハモった。
「…………」
「…………」
もう。ここまで来ると。おかしくて。
ぷっ、と。つい。吹き出してしまった。
すると。ルイ君も。つられて。ぷっ、と。
「……なんで。毎回、かぶるのかな」
「わかんない。相性が、いいのかも」
「そう、かな」
「そうよ。たぶん」
……あ。
なんか。ちょっとだけ。空気が、ゆるんだ。
鍵の音が。止まった。
* * *
ルイ君が。ゆっくりと。顔を上げた。
「マリー」
「……うん」
「僕は。うまく。言えないけど」
「……うん」
「僕は……」
長い、長い、間。
夕暮れの光が。東屋の石畳に。オレンジ色の影を、落としている。
「マリーと。家族に。なりたい」
…………。
…………。
一瞬。
時間が。止まった。
家族。
家族に、なりたい。
その言葉が。胸の真ん中に。すとん、と。落ちてきて。
じわ、と。あったかいものが。広がった。
……やば。泣きそう。
泣くな。泣くな。わたし。ここで泣いたら。負けだ。何に負けるのかは、知らないけど。とにかく、負けだ。
「……べ、別に」
声が。ちょっと。震えた。
「別に。国のため、だからね」
「……うん」
「ギロチン回避のため、だからね」
「……うん」
「ちょっとだけ。ちょっとだけ。あんたのこと。嫌いじゃないだけ、だからね」
「……うん」
ルイ君は。小さく。笑った。
あの。おどおどした笑い方じゃ、なくて。
なんか。ちょっとだけ。大人の、笑い方。
ずるい。
そういう笑い方、ずるい。
* * *
でも。
その笑顔が。ふっと。曇った。
「……ただ」
「ん?」
「僕は。マリーに。こんなことを。頼む資格が。あるのかな」
「え?」
「王宮は。めちゃくちゃだ。暴動は止まらない。ネッケルの嘘に。付き合うしかない。僕は。何もできていない」
「ルイ君……」
「テレーのように。一人で国を背負う力も。ない。テュルゴーのように。正しいことを断行する勇気も。ない。僕は。鍵ばっかり、いじって。何も——」
「ストップ」
わたしは。ルイ君の言葉を。遮った。
「なに。弱気なこと、言ってんの」
「……え」
「あのね、ルイ君。わたし。テレーにはめられて。テュルゴーに振り回されて。ネッケルに粉飾されて。三回死にかけたの」
「……うん」
「でも。三回とも。なんとかなったのよ。なんでだかわかる?」
「……マリーが、すごいから?」
「ちがうわよ、ばか。わたしがすごいわけないでしょ。周りがすごいの。ヴァロワがいて。シャルティエがいて。ロジエがいて。クレールがいて。ドブレがいて。みんなが、なんとかしてくれたの」
「……」
「そして。トイレの図面を。こっそり直してくれた。鍵オタクの、旦那様が、いたの」
ルイ君が。目を、見開いた。
「あのね。わたしは。ただの、バカな、元女子高生よ。王妃だの英雄だの言われてるけど。中身はぜんぜん変わってない。ゲロ吐いて。風呂に入って。支持率がどうの借金がどうのって。毎日ばたばたしてるだけ」
「……」
「でもね。それでも。なんとかなってきたの。なんとかする人たちが。わたしの周りに。いてくれたから」
わたしは。立ち上がった。
「だから、ルイ君。あんたも。一人で背負おうとしないで」
そして。ルイ君の目を。まっすぐ。見た。
「王宮のことは。わたしに、任せなさい」
「……え?」
「義叔母様も言ったでしょ。ポジティブなネタで、返り討ちにしろ、って。だったら。とびっきりの、でっかいやつを。ぶちかましてやるわよ」
ルイ君が。ぽかん、と。口を、開けている。
「あんたは。鍵でも、図面でも。好きなものをいじってなさい。王宮の危機は。この、マリー・アントワネットが。なんとかしてやるんだから」
……我ながら。
でかいこと、言った。
でかいこと、言ってしまった。
言ったあとに。胃が。きゅうっと、鳴った。
何の計画も、ない。何の策も、ない。
いつもの。勢い、だけ。
でも。ルイ君の目が。さっきまでの曇りが。少しだけ。晴れたのが。わかった。
「……マリーは。本当に」
「ん?」
「すごいよ」
「…………」
「…………べ、別に。すごくないし」
顔が、熱い。また、耳まで。赤くなっている。
もう。ほんと。
やめて。
その、笑い方。ずるいって、言ったでしょ。
* * *
東屋を出て。
並んで、廊下を歩きながら。
わたしは。ルイ君に。聞こえないくらいの、小さな声で。つぶやいた。
「……ちょっとだけ」
「え? 何?」
「なんでもない」
ちょっとだけ。
この人の、隣に。いたいだけ。
ちょっとだけ、だからね。
……本当に。
ちょっとだけ。
なんだからね。




