第百八話 数字の、マジック
今回のお話は、数字のマジックです。
黒字の国家。赤字の病院。
一見すると、めでたい話と悪い話ですが。中身をよく見ると、真実はまるで正反対。
数字は嘘をつきません。
ただし。数字を並べる人間は、いくらでも嘘をつきます。
朝。いつものように。病院に、出勤した。
いつものように。風呂に入って。「はぁ〜」と言って。
さっぱりした顔で。理事長室に向かって。
扉に、手をかけた、ところで。
中から。言い争う声が、聞こえてきた。
「おい、ヴァロワ!! なんだこれは、どういうことだ」
「しらん。私も今初めて知って、困惑している」
ドブレが、うるさいのは。まぁ、いつものこと、だが。
ヴァロワが、うろたえている。
……これは。珍しい。
というか。あの冷血眼鏡が、「困惑している」なんて言葉を口にしたの。初めて、聞いた気がする。
一体。何だというのだろう。
「どうしたの、二人とも。朝っぱらから」
扉を開けると。ドブレが、振り返った。
「あ、おはようございます。ちょうどよかった。どうしたもこうしたもないですよ。これ、見てください」
と。差し出されたのは。
一冊の、本だった。
表紙には。こう、書かれている。
『コンプト・ランデュ』
* * *
「なによ、これ?」
と、訝しみつつ。本の中身を、軽く、目を通した。
ところ。
「え!!」
目が、飛び出そうになった。
「なにこれ。国家財政、黒字化に成功したって。すごいすごい! これで、わたしのギロチンの心配、なくなったじゃない!」
ぱらぱらと、さらに読む。
「おまけに、これをやったのが。ルイ君と、ネッケル新長官による改革が成功したからだって。いやぁ、ルイ君、やるじゃない。やっぱり、やればできる子だったのよ!」
テュルゴーのときは、散々だったけど。今度の長官は、ちゃんと結果を出した。
国が黒字。つまり。借金が減る。つまり。わたしの首が、遠のく。
ヒャッほー!
……と。一人で有頂天になっている、わたしを、よそに。
ドブレとヴァロワは。表情を、曇らせていた。
「そこは、とりあえず。おいておいてください」
ドブレの声が。やけに、低い。
「まぁ、そこに書いてるのも。問題大ありなんですが。もっとやばいのが。後ろのほうの、このページ」
と言って。ぱらり、と。本の後半を、開いた。
* * *
そこには。
マリー・アントワネット記念病院の、収支報告が。書かれていた。
巨額の、借入金。
それに伴う、高額の、政府補助金。
数字が、ずらりと、並んでいる。
わたしは。青い顔で。ドブレを、見た。
「え? うちって。こんな借金、抱えてたの? おまけに、なに、この巨額の補助金。第二病棟が軌道に乗って、黒字化のめど付いたって。言ってたじゃん」
ヴァロワが。眼鏡をかけ直した。
「えぇ。黒字化の目途は、たっております。すぐにではありませんが。順調にいけば、三年ほどで達成すると、思われます」
「でも。これ見る限りじゃ。巨額の赤字抱えて。それを政府の補助金で、ごまかしてるように。見えるわよ」
「完全に。数字のマジック、です」
ヴァロワは。静かに、だが。はっきりと、言った。
「うちは。この王都にある本部と。地方出張所の、二枚看板で運営しています」
「うん」
「本部は。慈善病院と、民間病院の二つ。慈善病院側は、政府からの補助金で運営されています。といっても。国立慈善病院時代の予算の、半分以下です。実質的に。民間病院側の利益で、回しています」
「うん」
「地方出張所は。当初より、出張先の領主の支援を前提に運営しています。赤字ではありますが。経営に、支障はきたしておりません」
「つまり。うちは、健全ってこと?」
「はい。しかし」
ヴァロワの目が。すっと、細くなった。
「数字だけ見れば。補助金頼みの、ゾンビ企業に。見えなくもありません」
「ゾンビ……」
「この本は。意図的に。そう見えるように、書かれています」
* * *
ドブレが。腕を組みながら、吐き捨てた。
「この本は。意図的に、この病院を攻撃するよう書かれた。悪意のある決算書なんですよ」
「悪意って……。じゃぁ。うちの経営は健全なのに。なんで、そういう解釈に、なっちゃうのよ」
「補足ですが」
ヴァロワが。さらに、続けた。
「この本では。財政は黒字と、書かれていますが。実情は。破綻寸前の自転車操業です」
「……え?」
「国家のほう、です」
わたしは。ぽかんと、した。
「ちょっと待って。国家が、破綻寸前? だって、この本には。黒字化に成功したって……」
ヴァロワは。本のページを、めくった。
「ここに。小さい文字で、注釈が。いくつか入っていますね」
「……うん。あるわね。ちっちゃいけど」
「この注釈で。『別項目』とされた部分に。とんでもない額の借金が、隠されています。この国は。いつ破綻してもおかしくない状態にまで。追い込まれているんです」
「…………」
一瞬。頭が。真っ白になった。
つまり。
黒字の病院を。赤字に見せている。
赤字の国家を。黒字に見せている。
「黒字の病院を赤字に見せて。赤字の国家を黒字に見せてんの!!」
思わず。叫んだ。
「なんなのよ!! 財務長官に就任すると。わたしをいじめないといけないって。ルールでもあるっていうの!!」
テレーには、はめられた。テュルゴーには、振り回された。そして今度は、ネッケルに。粉飾された。
三代続けて。全員、わたしの敵じゃないか。
何の恨みがあるのよ。会ったこともないのに!
* * *
ドブレが。少しだけ、冷静な声で。
「まぁ。まだこの病院が、標的にされると。決まったわけでは、ないので」
「え?」
「この本には。官僚や貴族などの。補助金や年金なども。大きく書かれています。どれに飛び火するか。わからない状態です」
「つまり。うちだけじゃなくて。あちこちに、火種をばらまいてるってこと?」
「はい。もう少し。様子を見ましょう」
ドブレは。そう言って。本を、ぱたんと閉じた。
わたしは。机に、突っ伏した。
さっきまでの。「国家黒字化やったー! ルイ君すごい!」が。恥ずかしくて、消えたい。
あれも。全部。数字のマジック、だったのだ。
ルイ君は。すごくなんかなくて。国は。黒字なんかじゃなくて。
わたしの病院は。悪者に、仕立て上げられようとしている。
……ネッケル。
インフルエンサーみたいなもの、と。前に、軽口を叩いた。
けど。こいつは。インフルエンサーなんて、かわいいものじゃない。
数字で、嘘をつける人間だ。
一番、たちの悪い、やつだ。




