第百一話 理想と、現実
新しい財務長官が始めたのは、労働者への賃金支払いと、穀物流通の自由化。
どちらも正しく、必要な改革のはずでした。
しかし、理想に現実が追いつかず。物価は上がり、輸送は混乱し、王宮には不穏な空気が漂い始めます。
王妃様は、まだ。
自分には関係のない話だと、思っていました。
そんなこんなで。新病棟計画が始まり。
わたしは、朝早くから夜遅くまで。請求書と書類に、埋もれる毎日を、送っていた。
ただ。そんなわたしでも。
王宮が少しずつ。険悪な空気に、包まれていくのは。わかった。
テレーのときと違い。今回は、わたしはほとんど部外者だ。だから、はたから見ているだけ、だったのだけれど。
貴族たちの様子が。明らかに、おかしい。
王族の人たちも。彼らをなだめるだけで、手一杯といった感じだった。
物価上昇。輸送費の急騰。
病院運営も。十分すぎるほど、苦しい。
でも。今の王宮は。それどころではない空気、だった。
* * *
その日も。わたしは、理事長室で。大量の請求書と、格闘していた。
ふと気になって。横で書類を書いているヴァロワに、声をかける。
「ねえ。最近、すごいことになってるけど。ぶっちゃけ何なの?」
「……と、言いますと」
「たしか、今の財務長官の政策が原因なんでしょ? もしかして、びっくりするほど無能な人なの? テレーもひどかったけど。今度はさらに、駄目な感じ?」
そう言った瞬間。ヴァロワの眉が、ぴくりと動いた。
「テレー前長官も、現長官も。大変優秀な方です」
「じゃあ、なんでこんなことになってるのよ。王宮、不穏な空気が流れてて。こわいんだけど」
「テレー前長官は。財政に大鉈を振るう方でした」
「うん」
「対して、現長官は。非常に論理的な方です。本来あるべき理想の形へ。国の制度を、作り変えようとしておられます」
「理想の形なのに。なんでこんな地獄になってるの?」
ヴァロワは。少し、間を置いた。
「理想と現実は。必ずしも同じ速度では、動きません」
「嫌な名言っぽく言うの、やめて」
ヴァロワは、ため息をついた。
「ただし。勘違いしてはいけません。行われている政策自体は、非常に理にかなっています」
「へえ」
「道路工事に賃金を払わせる。穀物流通を自由化する。どちらも、本来あるべき姿です。ただ、それを一度にやろうとすれば。現実のほうが、ついてこられない」
「……つまり。正しいことをしてるのに。タイミングが、悪すぎるってこと?」
「平たく言えば。そうなります」
「はぁ……。なんでもいいけど。我が家……というか王宮に飛び火するのは。勘弁してほしいわね」
ヴァロワは。何も、答えなかった。
その沈黙が。わたしには、一番、こわかった。




