第9話「黒い噂と見えざる敵」
新商品発表会の大成功により、サンライズ商会の地位は不動のものとなった。
「ロイヤルモイストソープ」を始めとする三種類の機能性石鹸は、飛ぶように売れ、エトリアの市場を席巻した。ガンツが作った生産機械のおかげで、大量生産も問題なくこなせている。
あれだけ目の敵にされていた商業ギルドも、今や手のひらを返したように俺たちに協力的だ。領主であるシルヴィア様が後ろ盾についているのだから、当然だろう。
一方、ゴルドマン商会は、すっかり鳴りを潜めていた。会長のバルトロは、あれ以来、表舞台に姿を見せていない。主力商品だった粗悪な石鹸の売上は激減し、相当な打撃を受けているはずだ。
「カイリ様、見てください! 今月の売上、先月の倍以上です!」
リリアナが、帳簿を手に嬉しそうに報告してくる。商会も大きくなり、今では何人もの従業員を雇うまでになった。アルクライド邸も増改築を重ね、立派な本店兼工房となっている。
すべてが、順調に進んでいるように見えた。
だが、俺は一抹の不安を感じていた。
『あのバルトロが、このまま黙って引き下がるタマか?』
あの男は、金と権力のためなら手段を選ばない、蛇のような男だ。表立った妨害ができないとわかれば、今度はもっと陰湿な、裏からの攻撃を仕掛けてくるに違いない。
その予感は、的中した。
ある日のこと、街で妙な噂が流れ始めたのだ。
「サンライズ商会の石鹸を使うと、肌に黒いシミができるらしい」
「なんでも、得体の知れない薬品が使われているとか……」
「裏では、悪魔に魂を売って、その製法を手に入れたという話だぜ」
最初は、単なる根も葉もない噂だと、俺もリリアナも笑い飛ばしていた。だが、その噂は、まるで計画されたかのように、じわじわと、しかし確実に街中に広がっていった。
そして、ついに実害が出始めた。
「カイリ様、大変です! 契約していた商人たちから、次々と取引停止の申し出が……!」
リリアナが、青い顔で駆け込んできた。
噂を信じた商人たちが、サンライズ商会との取引を敬遠し始めたのだ。客足も、目に見えて減ってきている。
「くそっ、ゴルドマンの奴らめ……!」
直接的な証拠はない。だが、こんな卑劣なデマを流すのは、奴らしか考えられない。証拠がないからこそ、タチが悪い。俺たちは、反論しようにも、その手段がなかった。
追い打ちをかけるように、さらなる事件が起こった。
サンライズ商会の倉庫が、何者かによって放火されたのだ。
幸い、火はすぐに消し止められ、商品への被害は最小限で済んだ。だが、従業員の一人が、消火活動の際に軽い火傷を負ってしまった。
「申し訳ありません、カイリさん……。俺が、もっとしっかり見張っていれば……」
火傷を負った若い従業員、トムが、悔しそうにうつむく。
「お前が謝ることじゃない。悪いのは、こんな卑劣な真似をする犯人だ。怪我は大丈夫か?」
「はい、この通りピンピンしてます!」
トムは気丈に笑うが、その顔には疲労の色が隠せない。他の従業員たちも、相次ぐトラブルに、不安と動揺を隠せずにいた。
商会の空気が、明らかに重くなっている。
『このままじゃ、内部から崩壊してしまう……』
バルトロの狙いは、これか。直接サンライズ商会を潰すのではなく、悪評と度重なるトラブルで、俺たちの信用と結束力をじわじわと削り取っていく。実に、陰湿で効果的なやり方だ。
***
その夜、俺は一人、工房で頭を抱えていた。
どうすれば、この状況を打開できる? 噂の出所を突き止めて、黒幕がゴルドマン商会だと証明できればいいが、相手もプロだ。そう簡単に尻尾は掴ませないだろう。
「カイリ様」
静かな声に顔を上げると、リリアナが心配そうな顔で立っていた。その手には、温かいハーブティーのカップが握られている。
「……眠れないのか?」
「カイリ様こそ。お一人で、悩まないでください。わたくしも、一緒に考えます」
リリアナは、俺の隣にそっと座った。彼女の存在が、ささくれだった心を少しだけ癒してくれる。
「すまないな、リリアナ。お前まで、巻き込んでしまって」
「何を仰るのですか。サンライズ商会は、わたくしたちの商会です。どんな困難も、二人で乗り越えると決めたではありませんか」
そのまっすぐな瞳に、俺は少しだけ救われた気持ちになった。そうだ、俺は一人じゃない。
「ありがとう。……なあ、リリアナ。お前は、どう思う? この状況、どうすればいい?」
俺は、彼女の意見を求めた。俺一人では、考えが凝り固まってしまうかもしれない。
リリアナは、しばらく考え込んだ後、静かに口を開いた。
「噂を打ち消すには、噂以上の『真実』を見せるしかないのではないでしょうか」
「真実、か……」
「はい。私たちの作る商品が、どれだけ安全で、素晴らしいものか。そして、私たちサンライズ商会が、どれだけお客様と、従業員のことを大切に思っているか。それを、街の皆様に、改めて知っていただくのです」
リリアナの言葉に、俺はハッとした。
そうだ。敵の土俵で戦う必要はない。俺たちは、俺たちのやり方で、正々堂々と信頼を取り戻せばいいんだ。
「具体的には、どうする?」
「例えば……工房を、一般の方々に公開するのはどうでしょう? 私たちが、どのような環境で、どのような想いを込めて商品を作っているのか、実際に見ていただくのです」
工房見学。なるほど、面白い。
「いいな、それ! 衛生管理を徹底しているところを見せれば、不衛生な薬品を使っているなんて噂は一発で消し飛ばせる!」
さらに、俺の頭の中に、次々とアイデアが浮かんできた。
「それだけじゃない。街の広場で、無料のハンドソープ体験会を開こう! 実際に使ってもらって、その品質を肌で感じてもらうんだ! 子供たち向けに、泡で遊ぶイベントもいいかもしれない!」
「素敵です! それなら、きっと楽しんでいただけますね!」
闇雲に反論するのではなく、圧倒的な「事実」と「楽しさ」で、黒い噂を塗り替えていく。
道は、見えた。
「よし、やるぞリリアナ! サンライズ商会の、逆襲の始まりだ!」
俺たちは、顔を見合わせて力強く頷いた。
見えざる敵との戦いは、まだ終わらない。だが、俺たちの心には、再び希望の光が灯っていた。仲間の絆と、商品への誇り。それさえあれば、どんな困難だって乗り越えられるはずだ。




